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2002年06月24日
インタビュー : 世界市場へのアプローチ
AcapelはITベンチャーSoftFrontの100%子会社として2000年6月にサンノゼに設立された。SoftFrontは札幌を本社とする総数125名の企業で、年商約10億円の有力ベンチャー。SoftFrontの事業内容は、インターネットを介して音声を伝えるためのVoIP(ボイスオーバーIP)の各種技術開発やシステム構築。アメリカ法人であるAcapelは、SoftFrontのVoIP技術をデファクトスタンダードとするために世界市場へのアプローチを強めるため、札幌発世界標準を目指して設立されたもの。今回のインタビューではAcapelの若いマネジャー3名にお話を伺いました。 (インタビュー日:2002年6月13日)
プロファイル
牧田芳朗
Senior Manager, Technology
1975年11月11日、東京生まれ。1998年6月、UCLA経済学部卒業。1998年7月、アンダーセンコンサルティング(現アクセンチャ)に入社。そして、2000年8月、Acapel入社。現在、Senior Managerとして、顧客・市場のRequirementを統括しAcapelのVoIP製品の企画、及び製品の方向性/ロードマップの策定に従事。営業・マーケティング活動において、顧客・パートナーに対する技術面でのインターフェースを務める。Acapel以前には、多国籍企業における務改革を目的としたビジネスプロセス・システムの提案、デザイン、導入などに従事。
林 利幸
Manager, Technology
1973年10月9日生まれ。1996年3月、京都大学工学部電気工学科卒。1998年7月、アンダーセンコンサルティング(現アクセンチャ)入社。2001年1月、Softfront Inc。(Acapel) 入社。現在は技術部門のマネージャーとして、セールス・マーケティング活動における、カスタマー/パートナーに対する技術面でのサポート・製品の企画・管理(将来の方向性および拡張機能等の検討・決定)などをこなす。 Acapel以前には、ITコンサルタントとして、クライアントへの業務改革・改善のためのシステムの提案から実際のシステムのデザイン・インプリメントまで統括的な業務に従事。
Walter Bockl
Director Sales&Marketing
1995年、インディアナ大学卒。1998年1月、アンダーセンコンサルティング(現アクセンチャ)入社。2000年8月、Softfront Inc。(Acapel) 入社。
インタビュー
Q: 日米両方で働いた経験から、日米の社内カルチャーの違いについてどう感じますか?
A(林): (日本法人のソフトフロントで働いた事はないので)前にいた外資系企業との比較を比べると、上司に対して同じレベルで話ができてオープンです。極端な話、CEOに直接話ができるという点でも組織がフラットで仕事がしやすい。ただ、これはアメリカのカルチャーというだけでなく、スタートアップの特徴だとは思いますが‥‥。
Q: 牧田さんとBocklさんは2000年8月のアカペルのスタートアップから参加されているようですが、そのモチベーションは?
A(牧田): BocklからAcapelの紹介があった時には、まずは、(Acapelのコア技術である)Voice of IPの技術に興味をもちました。そして、シリコンバレーでやるということで、大きなことができそうな印象があったので、前の会社を辞めて移ることを決意しました。
Q: シリコンバレーのほうが大きなことができると思ったのはなぜですか?
A(牧田): 大きな会社にいると日本では若いうちに大きな仕事ができないと感じました。シリコンバレーはスーツも着ないところ。良いアイデアさえあれば、人種、年齢など本質的ではない部分に関係なく真剣に見てくれる。そこが魅力的でした。
A(林): スタートアップと比べて、大きな組織では個人にかかる責任と自分のハンドルできる部分が小さい。スタートアップではどうしても少ない人数でやるので、1人で多くのことをする必要があるので、自分のアイデアでやることが多い。その分、リスクもあるけどチャンスも多いと感じました。
Q: 大きな責任にプレッシャーを感じませんか?
A(牧田): プレッシャーというよりも楽しいですよ。何でも自分で考えて行動できますし、見合うようなチャンスも大きいですし、プレッシャーというよりは楽しくやっていますよ。
A(BOCKL): 若いうちにここのような経験をできるチャンスは少ないと思います。マネジメントということで色々なプロジェクトを運営したり、チームを創ったり、アイデアを実現したりという仕事に触れるということが前の会社では少なかったが、今ではそれが毎日の仕事になっているので、仕事の満足度はかなり高いと思います。5年から10年後に大企業で同じようなポジションに立った時に、ここでの経験が活かせるというのが一番の魅力だと思います。
Q:シリコンバレーにいる方の多くがリスクマネジメントを考えていると聞きますが、皆さんはいかがでしょうか?
A(林): 自分達は特殊なケースだと思います。Acapelは日本法人の100%子会社。自分達が出資しているわけではないので、リスクは普通の会社と代わらないと思います。普通の会社でも解雇される場合もありますし。自分の資金で起業するケースに比べれば、ずっとリスクは小さいと思います。
Q: 言語とかが仕事をする上で問題になることはありますか?
A(林): 他のメンバーのほとんどは米国人。牧田も学生時代から海外にいるので全く問題はないです。一番問題にあるとすれば普通に日本にいた私かもしれませんが、仕事に価値を出せるのは言語だけではないと思います。当然、営業でお客さんと細かいことをやりとりして、細かいことをつめる時などは、現地のスタッフにカバーしてもらったりすることで問題なく仕事こなしていると思っています。
Q:アメリカ人と日本人で一緒に仕事する上で気をつけていることは?
A(牧田): 前の会社にいた時から、外国人が多いプロジェクトで働いた経験がありますが、日本語で話すとちょっと壁を作ってしまうなどということには、たまに気をつけていますね。なるべく、1つのグループとして物を進めていこうと考えています。
Q: 今後もシリコンバレーで仕事をしていきたいと感じますか?
A(BOCKL): ここのメンバーは特殊で、日本で長く仕事をしていました。シリコンバレーは確かに仕事はしやすい場所ですけど、日本でも仕事をしたいし、必要なネットワークはもっている。私はどっちかに偏ることはなく、日本とアメリカ両方で仕事をしていきたい。:
Q: シリコンバレーの悪い点って何がありますか?
A 全員: 一杯ある笑)。遊ぶところがないこと。意外と物価が高い。ずいぶんと下がってきたけど、東京と同じか高いくらい。他にもご飯食べることころは少ない。このオフィスの人はサンフランシスコから通ってきている。週末はサンフランシスコでゆっくり遊んで‥‥やはり、シリコンバレーはビジネスの中心の町ですね。:
Q: ビジスは非常にやりやすいのですね。
A(牧田): 来ている人が中国人、インド人と本当に多様で、日本人ということを意識しません。これはというものがあれば認めてくれるので、すごく仕事をしやすい環境だと思う。まったくつながりがない会社と出会うことで新しい価値が生まれる経験を何度かしました。そのような新しいァリューのクリエーションを面白いと感じました。そこは日本で仕事をしている時には感じなかった。シリコンバレーには新しいものを創る環境があると思います。
Q: そういうアイデアのオープン性はシリコンバレーの特徴ですか?
A(牧田): 馬鹿げたアイデアでも頭から否定はしないと思います。どうやったら良いかと真剣に検討してくれる人が多い。新しいものに対する好奇心、新しいものに対する許容範囲が広い。それが新しいビジネスのドライバーになっていると思う。:
Q: アカペルで働くモチベーションは何ですか?
A(BOCKL): 一番のモチベーションはマネージァーとしてのスキルアップすること。例えば、大企業では時間がかかる。若いうちから色々な角度からのマネジメントの経験があれば、将来的にマネジメントの仕事がきたら、自信をもってできる。
A(牧田): 私の場合もやはりスキルアップ。スキルを身に付けることが一番のモチベーションだと思います。小さな会社なのでどうやったらソフトウェアが売れるのかを真剣に考えないといけない。そういう意味では恵まれた環境です。
A(林): シリコンバレーにいるから、フラットな構成で個人に大きな権限がある会社でもやっていけるのかもしれないですね。成功すれば会社にとってもメリットだし、自分にとってもスキルが身につく。そういう環境があれば場所にはこだわらないが、そういう環境が多くあるのが、シリコンバレーかもしれませんね。
A(BOCKL): でも全くこだわっていない。
Q: 大企業にいた時とAcapelにいる時で仕事の思い入れは変わりましたか?
A(林): 大企業ではほんの一部しかやらない。広げようとしても組織の中での限界がある。例えば、そこができなくても、ダメージが少ないですよね。果たせる役割に限界があるから意気込みがうすくなる傾向にある。
Q: シリコンバレーのこだわりはない?
A(BOCKL): 仕事をする上では便利。歩いて30秒でお客さんがいたりするのは便利ですよね。アメリカでは普通は飛行機。シリコンバレーは小さな東京。有力な会社がシリコンバレーにあるのでネットワーキングのしやすいし、人材は集めやすいでしょうね。エンジニアとか、セールスとかを雇うとか‥ ただ、たまたまここにいる感じです(笑):
Q:シリコンバレーへの思い入れがあるのは、皆さん(26歳〜29歳)よりも年が上の人が多い気がしますが?
A(牧田): 96年のブームになる以前の人は技術に関する人が多かったと聞いています。昔からの人は『シリコンバレーは技術者の天国』といった印象があるようですね。逆にちょっと前は投機的な意味が多かったと思います。とにかく、シリコンバレーで大もうけしようという感じで‥。
Q: 皆さんは第三世代という感じでしょうか?
A(牧田): そうですね。波に乗り遅れましたね。2年位前にきていれば、お金入ったかも(笑)
Q: 皆さんのように若い世代の日本人はシリコンバレーで働いていますか?
A(牧田): 来る人は減っていると思いますよ。当然、日本から来る人もへっている。一時期はスタートアップがブームだったが、今は逆に少なくなっていますよ。:
Q: 海外でチャレンジするためのこういうスキルがあれば良いのではというアドバイスを頂きたいのですか?
A(牧田): 技術があれば良い。
A(林) ただ、日本でスタートアップに入るのと差はないと思いますよ。特別にここだから必要なものはないと思います。差別とかはないので障壁が一番低いのではないでしょうか?
Q:シリコンバレーになじめない人
A(林): 私達もなじめませんね(笑)ただ、ここでは時間に関係なく、成果を問われます。頑張ったプロセスよりも成果を評価するというのになれていない人はなじめないかもしれませんね。
Q: そのような話もシリコンバレー特有というよりはアメリカ特有と印象があるのですが‥
A(牧田): シリコンバレーには個人的な思い入れとかはありませんが、仕事ということを考えればシリコンバレーが一番良いと考えていますよ。
ありがとうございました。
インタビュアー感想 :大野一樹
自らのキャリアアップへの明確な意志には敬意を感じるとともに、生活も楽しみたいという感覚には共感を覚えました。また、本当に仕事の楽しんでいる印象を受けましたが、シリコンバレーという土地が作っているのか?彼らのような人柄の人がシリコンバレーにいるのか?興味がつきないところです。
インタビュアー感想 :石戸奈々子
仕事の選択の仕方、仕事場の選択の仕方に共感を覚えました。自分のやりたいことをする、楽しみながらキャリアアップをする、自分のやりたいことが実現できる場所を選択する、すべてが当たり前のことのようで皆がなかなか実行できない生き方のように思います。それをさらっとこなしている彼らに尊敬の念を覚えました。人生の楽しみ方を教えていただいた気がします。
on インタビュー Posted by jtpa at 02:02
インタビュー : 渡辺 誠一郎
ラジオ少年時代からのモノ作りへの夢を持ちつづけた渡辺さんは、長年大手の日本企業に勤務された後、外資系の大手企業を経て、仲間と夢の機械を作るべく起業されました。インタビューを通じて大企業の良かった点悪かった点や、起業をしようと決めたときのから現在までの、モノ作りに賭けるストーリーを伺うことが出来ました。(インタビュー日:2002年6月14日)
プロファイル
渡辺誠一郎
NuCORE Technology CTO
慶應義塾大学工学部を卒業。『モノ作りに携わたい』という思いから、日立メディコに就職。10年目にインテルへ転職し、その後自らの商品を製造販売するべく、NuCORE Technology Inc.を立ち上げ、現在同社のCTOを努める。
- http://www.nucoretech.com
インタビュー
Q: 大学を卒業されて、就職なさる時にはもうモノ作りを一生の仕事にしようと思っていたのですか?
A: はい。もともとエンジニアになるのを自明のことと考えていました。小学校のころから、ラジオのアンプを組み立てたりしていましたから。モノ作りが大好きだったのです。
Q: 大企業にお勤めになられて、良かったと思った点はあります?
A: 大企業である日立では自分の好きなものを作れるわけではありません。しかし、製品が量産されて使われることで、ユーザからのレスポンスを早く貰って改善できる。エンジニアにとってはいい環境であったと思います。
また、私のいた会社では工場プロフィット制といって、1つの工場が1つの企業のようになっていました。そして、全工場のエンジニアのトップが集まって合宿をする企画があり、7年目に参加したのですが、そこで受けた衝撃は大きかったですね。何年か勤めて自信がついた時期であり、集まった人間達もそれぞれ自負があるのですが、皆本当にすごい人たちばかりでした。まだまだ上には上がいるのだと思いました。エンジニアとしての刺激になりましたし、そこで知り合った人との人脈は今でも大切にしています。今の会社に関わっている人の中にもいます。
Q: 逆に悪かったと思った点はありますか?
A: 会社に対する大きな不満はなかったですね。ただ、1つあったのは、大企業だからというわけでは無いのですが、IC部品1つ1つまでは自分では作らず(当然ですが)、他社から買ってそれを組み立てている事です。エンジニアの私にとっては、プラモデルのキットを買ってきて組み立てているように思えました。当時のチップはアメリカ製のものが最高でしたから、それを使っていたのですが、その新製品が実際に出た際に前もって約束されていた性能が充分でない、あるいは一部機能が変わるなどのために、私の設計そのものにも変更を余儀なくされることが多々あり、隔靴掻痒の感が募るばかりでした。もう一つは品質に関する不満です。一生懸命自分がチップを探して、実験して使い込んで、やっとそれを製品として世に出したら、チップでの不良が起きたのです。しかし、チップ製造元であるアメリカの会社の対応はあきれるほど悪いものでした。こんな経験を積み重ねているうちにチップを作る側に行ってみたいと感じ始めたのです。
その矢先に、インテルで品質管理マネージャーのポジションにつくことができたので、次の10年をインテルで過ごすことになりました。
これまでのエンジニアとしての経験から私が言えることは、初めから小さな会社あるいは外資系の様に極めてダイナミックな会社に入るよりも、大企業に入ってある程度自分を育ててもらうのも大事なのではないかということです。特に物を作る現場ではある程度時間をかけて経験を積まないと身につかない事だらけで、机上の空論だけでは 何も出来ません。人それぞれの考え方はあると思いますが、大きな会社では何も得ることがなく磨り減るだけ、ということはない。考え方次第では、大きな会社にいたからこそ身に着く事もあると思います。
Q: インテルに移られたわけですが、日本の大企業とシリコンバレーの大企業で何か違いを感じましたか?
A: 実は、私は英語が苦手でした。英語で2年も落第したほどだったのですから(笑)。技術者だからスペックシートが読めればいい位の気持ちだったのですが、毎週のウィークリーレポートが英語で、半日以上かけて書いていました。もう、泣きそうでしたよ。そういった笑い話のような言葉の問題にもショックを受けましたが、それよりも大きかったのは、コーポレートカルチャーの違いからのショックです。
Q: 渡辺さんが感じた、コーポレートカルチャーの違いを詳しくお聞かせください。
A: 結論から言ってしまうと、全然違う世界があった。仕事の進め方をはじめ、仕事に関するルールが日本とは全く違いました。また、出張で初めてアメリカへ来ました。そのとき、飛行機から見た地面の色が違ったのです。日本は緑ですが、こちらは土色の荒野の上で、懸命に人々が生きる為の土地を確保しながら働いている印象を受けたのです。
仕事面では、出張でアメリカに来た人間に対して机くらいは用意してくれるのですが、後は全て自分でやらなくてはなりません。しかし、上下関係があまりなく、組織がほぼフラットでしたから、明確な目的と問題点を伝えれば、それに関係した人がスピーディーに動いてくれました。そういった経験を通じて、個人としての仕事の仕方を学んだと思います。
毎年組織が変わることにもショックを受けました。日本では数年は一つの部署や課にいるものですが、それが毎年変わってしまうのです。また、上司と直接の面接を下の者から申し出ることができる制度からも刺激を受けました。
Q: 上司との面接の際言われたことで、何か印象に残ったことはありますか。
A: 上司から『おまえは仕事をエンジョイしているか』と聞かれたのです。そんな概念を聞いたのは初めてでした。そして、『はい、面白いです。』と答えると、上司は『ならいい!』と言ってくれました。この時、仕事は楽しくなければならないということを確信しました。あとで判ったことですが このような場合、もし「面白くない」と答えていたらどうなるか? というと「理由は? 私がどのようにしてその問題解決に協力できるか教えてくれ」と来るわけです。
Q:インテルをやめていよいよ起業されたわけですが、起業されるまでのお話を教えてください。
A: 何でも言い合える、モノを作るのが大好きな仲間と、昔からしばしば、『こんなのがあったらいいなあ、こういう技術は作れるぞ!』などということを語り合っていました。当時は夢に関する技術アセスメントをやっては消して、の繰り返しでした。ただ、キーポイントになることは書き留めておいたので、それを繋ぎ合わせたら会社の構想になっていったのです。外界を認識する機械を作りたいということと、アメリカのベンチャーキャピタルから出資してもらい、シリコンバレー型のベンチャー企業として成功させようということは皆の共通認識になっていました。ただ、そうなると 基本的に私企業ではなく株主という他人の資金を元にするので 大きなリターン、すなはち大きなビジネスがなくてはならない。そのためにいったいどんなマーケットがあるか、というところで皆しばらく沈黙したのですが、その時に誰かが『カメラ』と言ったのです。ちょうどそのころ、ほとんどおもちゃに毛の生えたような物でしたが、デジタルカメラなる物が市場に出始めた時期でした。それで、カメラならある程度のビックビジネスになるという結論に達し、いよいよ起業したのです。そのときにできた構想が今でも会社の事業の根本となっています。
Q: 実際に起業する際に障害になったことはありますか。
A: まず、言い出しっぺとしての葛藤がありました。こんなハイリスクなことに友人やその家族を巻き込んでいいのか、ということです。仲間も会社を辞めて一緒にやるわけですから。でも、それは『自分と一緒にやって欲しい』と言えるように、私自身のコンフィデンスレベルを上げることで乗り越えようと思いました。心理的な障害はそのようにして解決していきました。ビザの問題や、本当にVCがつくのかといったことから始まって、今にいたるまで、またこれからも障害は山ほどありますが、いちいちめげていては、前に進めなくなってしまいます。わけのわからない暗闇の中を駆け抜け、それでも走り続けるとある時ズバッと光が現れるという『マドル・スルー』を楽しむ感覚を身につけることが大切です。
Q: 起業先としてシリコンバレーを選んだのはなぜですか
A: 半導体の会社を作ろうと思った時点で、起業そのものがハイリスクですから 他のリスク要因は極力下げると言う意味で まず設立場所としてもっともふさわしい環境(半導体ベンチャー育成環境)としてシリコンバレーに本社を置くのは自然に決まりました。 また、開発設計者の流動性が高いのも大きな魅力でした。具体的にいえば、エンジニアの人材流動性に加え、弁護士や投資家達がすぐには見返りを求めないという、フレキシブルな社会的サポートがあるということです。つまりは、自分でコントロールできるリスクをできる限り低くできる場所であると考えたのです。
Q: 日本にも本部を置いていらっしゃる理由は?
A: 日本企業が主な顧客である私達にとっては、リアルタイムで常に顧客と密接に対話が出来る環境が重要だからです。 これは問題が起きたときの対応だけでなく、製品を企画する際に顧客が将来どのような機能性能のものを必要としているかを顧客と共に考えることが出来るか否かで、殆ど成否が決まってしまうと考えているからです。
Q: 渡辺さんのビジョンを教えてください。
A: エンジニアとして私達が世の中に提供できるものは、人間の使う道具です。この会社で究極的には、道具に外界を認識する能力を持たせたいと思っています。今の道具は外界を認識していません。道具を使う人間が認識しているのです。人間がいないと道具は暴走してしまいます。今までの技術は目覚しい進歩を遂げてはきましたが、それは全て、人間の身体の機能拡張にすぎないと思うのです。機能を拡張されたパワー倍増装置は、そのパワーが一体外界に対して何をしているのかを知りません。しかし、そのようなパワー倍増装置にはセンシングやオブジェクトを認識する技術が必要です。私たちの会社では、外界を認識する一つの要素として、目に相当するものを取り上げています。目の機能を備えた車などが一つの応用例と言えると思います。自分が作ったモノが、世の中に出回り、多くの人たちに使ってもらえるようになることが最大の喜びであり、私の活動を支える原動力です。
■ インタビュアー感想 :石川 智子
ラジオ少年の頃から直向にモノ作りに打ち込まれてきた渡辺さんのお話をきいて、便利になった世の中の裏ではこのようなエンジニアの方々の努力があるのだという事を改めて感じました。個人的には、『目』の機能を備えたデジタルカメラや車の登場が楽しみです。
■ インタビュアー感想 :池田 森人
自分個人の技術力と語り合える仲間、明確な夢とそれを成功させている事実。渡辺さんほど、技術者としての成功をここまで痛烈に感じさせてもらえる方には、今まで会った事がありませんでした。感度しました。お話を伺って私自身、本当にやりたい事を考え、渡辺さんのようにモノを作っていくエンジニアになりたいと感じました。
■ インタビュアー感想 :石戸 奈々子
渡辺様のお話には感動した、の一言に尽きます。渡辺様の目の輝きは本当に忘れられません。今までの自分の生きてきた道を楽しそうに生き生きと語る姿から自由で夢のある生き方を感じました。全速力で駆け抜けていて、仕事が楽しくてたまらないといった印象を受けました。言葉がこれほどまでに人を感動させるということに初めて気がついた気がします。それが、夢を持って、自分の実力で勝負をしている方々の言葉の重さなのでしょう。
on インタビュー Posted by jtpa at 02:01
インタビュー : 来たいと思うなら来てみよう
来たいと思うなら来てみよう、それが二人のメッセージであった。やりたいと思う気持ちと技術、それさえあればシリコンバレーで自分の夢を達成できる。(インタビュー日:2002年6月14日)
プロファイル
吉川 欣也
IPInfusion Vice President
1990年法政大学法学部法律学科卒。日本インベストメント・ファイナンス株式会社(現エヌ・アイ・エフ ベンチャーズ株式会社)、ニューメディア専門のシンクタンク株式会社プロトコルを経て、1995年8月に株式会社デタル・マジック・ラボ(DML)を設立。コンパック、FedEX、ファミリーマートなど大業のWEB構築を手がける。DMLの社長・会長を歴任し2001年7月退社。現在は1999年9月に米国・San Joseに設立したIPInfusion社(次世代ネットワークソフトウエア開発) のCo-founder and Vice Presidentを務める。
IPInfusion CTO
1993年北海道大学農学部卒。株式会社SRA、ネットワーク情報サービス株式会社、株式会社デジタル・マジック・ラボで、UNIX ソフトウエアの開発、インターネット経路制御の運用に関わる。JANOG(日本ネットワークオペレーターズグループ)の初代会長。フリーな経路制御ソフトウエア GNU Zebra の開発を行い、現在は1999年9月に米国・San Joseに設立したIPInfusion 社(次世代ネットワークソフトウエア開発) の CTO。
- http://www.ipinfusion.com
インタビュー
Q: 会社の概要に関してお話いただけないでしょうか?
A 1999年の秋に、我々2人+1人の、3人で設立しました。今社員は60人ほどいます。オフィスはサンノゼ、ノースキャロライナ、ボストン、ダラス、パリです。台湾にパートナーがいて、そのうち日本にも設立する予定です。そのうちエンジニアの数は3540くらい。ほとんどソフトウェアエンジニアです。ファイナンスの方はアメリカのVCを中心に、香港、日本、台湾など色々な国から出資を受けています。これまでに2040万ドルを調達したので、ひと段落して開発に専念できる状態です。製品はルーティングソフトウェアで、IPv4、IPv6のモジュールなどを提供しています。顧客企業は35社くらいで、うちアメリカが半分くらいですね。去年の2月に出荷し始めて1年3カ月くらいでこれだけの顧客ができたのは成功している方だと思います。
Q:シリコンバレーで会社をはじめる前は?
A: もともとデジタルマジックラボという会社を東京でやっていて、ウェブ開発をしていました。ファミリーマート、フェデックス、エリクソン、アップル、プリンスホテルなど、かなり大きい企業のウェブサイトのお手伝いをしていました。
Q: シリコンバレーに来ようと思ったモチベーションはどこにあったのですか?
A: とりあえず来てみよう、というのが大きいですね。シリコンバレーはハイテクのメッカですから、ここで成功してはじめて成功だと思ったので。東京の会社もうまくいっていてずっと黒字だったので、ここで失敗してもさほど失うものもなかったのです。皆が考えるほどシリアスでなく、気楽に来ました。大変な部分ももちろんありますが、失敗したからといって困るわけでもない。こちらでは,あまり日本人でベンチャーをやっている人はいないので、先駆者として手探りでもやってみたかった、というのが正直なところです。
色々な日本人の方がサポートして下さったので、そういう意味ではラッキーでした。色々な方のお手伝いがあってここまできた感じです。もちろんやる気はありましが、サポートがなければ今の状態までこられなかったと思っています。
モチベーションは、来てみないとわからないから来てみようということです。大リーグでも投げてみないと分からない、立ってみないと分からない。色々難しいという人もいるけれど、実際やってみた人はあまりいないわけです。コメンテーターはいても実際にやった人の声が少なかったですね。ハイテクできちんとシリコンバレーに会社を作っている日本人は両手で数えられるほどしかいないと思います。
Q:実際に起業している方とサポート側の観点の違いがあると思いますが、起業している側としてはどうですか?
A:やっている側は、自分たちのことで精一杯なので、人のことを気にしていられません。競争相手がたくさんいる中で残っていかないといけないですから。しかも日本と違って3−5年でエグジットを見つけないといけません。IPOするのか売るのか。いずれにせよ会社の価値をあげなければなりません。会社は商品で、やっている本人は走りっぱなし。100メートルダッシュの連続で進んでいくのがシリコンバレー。中に入るとそのスピード感は違います。
Q: 日本でビジネスしていた時とアメリカの違いはどこにありますか?
A: お金の集め方が違います。日本はVCがやさしいですね。あまり文句を言わない。でもアメリカはVCがボードメンバーとして中に入ってきて、お金も口も出すというのが普通です。投資してもらう側もそれを望んでいて、顧客の紹介などもしてもらいたいと思っています。
もう一つ、日本ではベンチャーの経営者は若いけれど、アメリカでは経験がある40代以上が多いです。元気があって新鮮なアイディアがある若手エンジニアと経験のあるマネージメントチームの組み合わせというのが多いです。もちろん年齢は関係ないので、若くてもいいのですが、経験があるほうが強い。シリコンバレーの特徴として「混ぜる」というがあります。世代だけでなく、人種もそう。アジア系のエンジニアがたくさんいて、マネージメントはネイティブなアメリカ人というのが典型的なスタイルです。望んでいなくてもそうなるのです。若くて生きのいいエンジニアはハングリーなインド人や中国人。彼らはネットワークもありますし。日本は日本人同士のネットワークがないですね。インド人などは常にオポチュニティーを探せる点でうらやましいです。
Q:日本人のコミュニティは少ないということですか?
A:雀の涙ほどしかないですね。日本人同士でやることにも限界がありますし。日本人だけで集まっているとマーケットが日本だけになってしまうということもあります。ただ、日本のマーケットがよく分かっているというのは日本人のアドバンテージで、アメリカ人が日本に入り込むことは難しいということもあるのですが。
アメリカで受け入れられないと、日本だけか、と思われてしまいます。一方で、(アメリカ人にとって難しい)日本とアメリカの両方を手に入れれば6割か7割のマーケットが取れるという利点がある。企業としての信頼も増します。アメリカのマーケットが取れれば次のステップが見えるかもしれない、というのもここにきたモチベーションの一つでした。
またコンペティターが周りにいるというのも重要です。コンペティターがどのような戦術を持っているかがわかりますから。シリコンバレーは、競争しながらも仲間、コミュニティなんす。誰が何をやっているかが筒抜けで、情報誌で見えない情報も丸見えです。よく見える中で勝ていかないといけない。これもシリコンバレーの面白いところですね。ここではアイディアもシェアます。人に盗まれるようなアイディアはたいしたことがない、と思われているからです。アイディアだけでなくチームがないとうまくいかない。チームを作るのには信頼関係が必要なので、人を出し抜くような人はいないし、そのような人はうまくいかないですね。アイディアとマネージメントチームを両輪で走らせる、しかもそれを3年くらいで行わないといけないので、アイディアを取ってからだと間に合わない、ということもあります。もちろん会社としてはコンフィデンシャルな部分はありますが、個人間では情報交換しています。あと、ここでは人の悪口は絶対いいません。誰がいつ自分のボスになるか部下になるかわからない。常に笑顔で生きていかないといけない場所。もう一つのシリコンバレーの特徴はおじさんが元気なことです。元気な人たちはなかなか引退しないので。ネットワークと経験をもったおじさんをどう使うかが重です。じさんが前線で働いているのです。
Q:日本からアプライしてくる人はいないのですか?
A:いないですね。でも日本からでも給料が安くてもいいと言えば、チャレンジすれば受け入れてくれる会社あるはずだと思います。
問題は日本からくると、リファレンスが取れないということですね。こっちではチームワーク、パーソナリティーなどのリファレンスを必ず取ります。日本からだと誰かの強力な推薦がないと、入り口が難しいかもしれないですねここで5年くらい実績をあげないと難しい。
Q:こちらに来て良かったと思いますか?
A:結果的には良かったと思いますね。コンピューターの情報などが溢れていますし。日本だとそうした情報は入らないと思います。
Q: シリコンバレーでやっていくためのキャリアパスに関してどう思いますか?
A: 学歴はまったく問いません。特にエンジニア系の学問は専門範囲が狭いので、ぴったりマッチしないとメリットがないと思います。それよりもベースの基礎体力や、その分野での経験をむしろ問います。会社全体として投資家からの受けを良くするために、MIT、スタンフォード、カルテックの卒業生を入れることもあるけれど、全体をみれば関係ないです。年齢を重ねるにつれて、どんどん関係なくなっていくだろうと思います。確かにいい大学を出たということは正当に評価されるけれど、ビジネスがうまいか、セールスができるかには結びつかない。学歴よりも実際できるかどうか。評価する側としても、学歴など見なくても判断できる、というのがかっこいい。そこらへんもシリコンバレーの面白さです。年齢も関係ないからそれを問うことはありません。普通に仕事をしていて、学歴や資格を聞くことなどない。それよりも、儲けられるか、などが重要です。実績が大切。資格はあるならばあった方がいいけれど、それがどう役にたったか言える方が大切です。
Q:新卒に関してはどう判断するのですか?
A:新卒は難しいと思います。ベンチャーは,普通は新卒をとって面倒を見る暇はないから採りません。新卒は働いて実績を作らないといけない。ビジネスマンで一番きくのは一発当てたかどうか。このセールスディビジョンで売り上げを100万ドルら1億ドルにした、などのレジュメが多いです。実ビジネスで何ができたかをレジュメに書きます。面接で学歴のことをアピールする人間はいないです。
気合とかガッツとかモチベーションを高め続けられるか、ということも重要ですが、それ以上に自分で問題を発見し解決できるかを見ますね。日本だと今から勉強します、というけれど、ここでは面接の時にそこはもう勉強してあります、と言わないといけない。明日からすぐ出てきますと言わないと採用されません。明日から上にいけるかどうか。勉強してきたかどうか。うちに来た女性も、次の日から普通に働いていました。やりながら覚えていっていましたね。
Q:日本のエンジニアとアメリカンのエンジニアを比較した時どうですか?
A: 平均をとると、日本のエンジニアのほうが優秀だと思います。こちらに来ている人の中にも優秀な人もいます。最終的には個人の問題であり、出身国は関係ありません。優秀ならいい。違う点としては、転職が常態のシリコンバレーでは、次のステップに行くためにはどんどん新しいことを勉強しないといけない、ということがあります。だからスキルアップし続けます。日本だと一つの会社にいて同じことをやり続けるからモチベーションが続かないので、10年、20年たった時に差が出るのではないでしょうか。
しかも、日本では途中でエンジニアをやめてしまう人が多い。マネージメントに移ってしまったり。テクノロジーを追いかけ続けられるのがシリコンバレー。サラリーなどは別として、テクノロジーをずっと続けられるのは楽しいことです。スタートアップもたくさんあるので、大会社が嫌ならば小会社に移ってまたテクノロジーを追いかけられます。大きい会社にいたいなら、それも選べる。一方で経験を積んで給料があがっていくとどこかで費用対効果が頭打ちになって、若い世代に取って代わられるようになり、リタイアしなくてはいけないかもしれない。常に競争はある。リプレイスがきく、ということは常にチャレンジが必要ということです。
Q:シリコンバレーではエンジニアの選択肢は広いのですか?
A:選択肢は山のようにあります。それを獲得できるかは別として。なぜここに来たいのか、本気で来たいのか、そこが明確であれば受け入れてくれる人はいると思います。10社がだめなら100社くらいあたれば、そんなにやりたいならやってみれば、という人もいると思います。ベンチャーをやっている人は元気がある人を欲しがっているので。でも違う所で何か勉強したいだけならば、日本で勉強すればいい、となってしまうと思いますけれど。やりたい、という気持ちが大切です。
早く来てみるといいのでは。若いうちなら失うものないし。でもここでは自分の勤める会社がなくなってしまう可能性もあるので、仕事をしながら色々なところに顔を出してネットワークを確保し、サバイブできるようにしておくことが必要です。生きるためにどうするかを考えておくのは楽しいですし。帰る所のないハングリーな人と戦わないといけないから、ネットワークを作ることが必要。ここに来たら日本人でも、インド・中国の人のネットワークに入っていかないとだめだと思います。日本のコミュニティは駐在員のコミュニティですから、すぐに帰ってしまいます。
でもエンジニアで優秀だったらネットワークは問題ではありません。優秀なエンジニアはどこも欲しがっているし、優秀ならすぐに優秀だとわかります。一度どこかに潜り込んで実力を証明することが大切です。いったんリファレンスができる実力を見せられれば、国籍も年齢も関係ありません。実力社会。
Q:こちらでは転職が多いと聞くのですが、キャリアステップに関してはみなさんどう考えていらっしゃるのですか?
A: ゴールがどこにあるのかを設定しておかないとステップを考えるのは難しいです。転職といっても給料をあげるだけなら簡単。10年後、20年後だいたいどうしたいのかがおぼろげにでも見えていた方が次のステップが見えやすくなります。ずっとエンジニアでいきたいのか、マネージメントチームに入りたいのか。そういうのが見えていないと10年後のことを考えるのは難しい。でも一回働いてみないとわからないですね。
若いうちはこっちでやってみることをお薦めします。実力もつくし、楽しいし。来てみたいという気持ちがあるなら来てみたら。来るために何が必要か、という前提条件を聞くのでなくて一緒に仲間を作って来てみたら。皆好きで来ている。やってみないと分からないし、たまたまそれがアメリカだっただけです。ただ、シリコンバレーは大量生産する場所でなく個々で勝負する場所。個人で勝負できないようでは厳しいと思いますが。
Q:キャリアのための転職のスパンはどのくらいですか?
A:3−5年です。3年いないと結果がでない。しかもそのハードルは日本に比べてはるかに高い。自分が持っているものが小さければ乗り越えられないかもしれないですね。やりたいことを持っていれば得るものも大きいと思います。最初はキャリアなど考えないほうがいいのではないですか?どの会社でも大学を卒業して2,3年は学ぶことがありますしね。
業界にもよりますが、ドクターはあったほうがいいとは思います。グリーンカードを取ったりするときに便利。仕事は別として、社会的に何かをする時に学歴があったほうがいい場合は確かにあります。でもはじめからそれは考えないほうがいいのでは,と思っています。
■ インタビュアー感想 :石戸 奈々子
個人での勝負。力強さと勢いを感じました。気持ちさえ整っているのであれば、自分で壁をつくってしまうのでなく、とりあえず飛び込んでみるという勇気が一番私達に欠けている所なのかもしれない、と感じました。
来たいなら来てみたら、自分への励ましの言葉とすると同時に同世代の皆にも伝えたい言葉です。
on インタビュー Posted by jtpa at 01:59
インタビュー : 原 邦雄
キャリアパスというものを非常に意識してご自身の働く場所を選んできた原さんの、それぞれの会社で得た事や感じた事などをお話ししていただきました。これからキャリアパスを考える人にとってのRole Modelとなるお話です。(インタビュー日:2002年6月17日)
プロファイル
慶応経済学部を卒業後、住友商事に就職し事業投資などのファイナンス関連の業務に携わる。その間にコロンビア大学でMBAを取得。8年半を住友商事で過ごした後、孫正義氏にリクルーティングされソフトバンクに転職、3年半ITに特化した海外事業提携に従事。さらに、米国企業でキャリアを積みたいと考え、SGI(シリコングラフィックス)の日本人に転職し、実績を認められてシリコンバレーの本社へ社内異動。2000年9月に現在のGAP(Global Alliance Partners, Inc)を起業する。
- http://www.ga-partners.com/
インタビュー
Q: アメリカに留学した感想は?
A: これは違うなと思いました。日本の大企業にこのまま20年いてやっていくのが本当に良いのか考えましたね。特に1年と2年の間にsummer jobとしてある投資銀行で6週間働いたのですが、その時、アメリカビジネスのダイナミズムを感じました。実力があれば若いうちから実力を発揮できる場というのを目の当たりにしたんです。
Q: それに対して日本の印象はどうでしたか?
A: 帰国後、日本はちょうどバブル崩壊時期だったのですが、日本の社会は今よりもっとconservativeでした。日本型のやりかたは完璧だという考えがあってなかなか会社も大きく変わる雰囲気なかったので、自分の能力をもっと生かせる仕事がしたくなりました。
Q: ソフトバンクに転職した理由は?
A: 孫正義さんにリクルートされました。その頃はまだITバブルじゃない時期で、これからソフトバンクが海外展開をする要員を探していて、その1人でした。仕事内容は海外事業提携です。出始めた頃のシスコシステム、ノベルネットワーク等、アメリカの会社を連れてきてジョイントベンチャーを組んだり、逆にアメリカの会社を買収したりとか。
Q: SGIに転職した理由は?
A: 今度はアメリカ側のテクノロジーを生み出す会社でキャリアを積みたいと考えました。当時はSGIがシリコンバレーで一番伸びている会社でしたね。日本でビジネスプランニングマネージングをしていたのですが、シリコンバレーの本社に行って、本当の意味でアメリカのハイテク会社を経験したいと思いました。だからアジアのヘッドクォーターをシリコンバレーに作る企画を立ち上げて、自分がマネージャーとして始めたんです。仕事内容はアメリカ本社と日本アジアの各支社をスムーズに結ぶ掛け橋です。
Q: そこで感じたことは?
A: シリコンバレーに異動したとはいうものの、最初はアジアからの派遣、駐在員という事でお客さんだったんですよ。だから、されに「アジア子会社からの派遣」という立場から、「本社雇用」という立場に切り替えて、本社にいる他の人たちと対等に勝負したいと思い、実際に働きかけてそうしました。そんなことをしながら、スピード、クオリティ、比較にならない位のテクノロジーの変化、ベンチャービジネスに対するインフラの違いを肌で感じました。シリコンバレーの人がどう動くか、どういうモチベーションで動いているかが分かりました。
Q: 原さんが起業されたGAP(Global Alliance Partners, Inc)の紹介をして下さい。
A: 日本・アジア・アメリカ、環太平洋、それぞれにルートがあってビジネスが展開し、国境を越えたボーダレスなコラボレーションが存在しますよね。しかし、そこにはギャップがあります。例えば、日本はブロードバンドのインフラはあるのにテクノロジーがないとかアメリカはその逆だとか。中国は今は製造力、低価格で製造できる事が重要視されていますが、将来はコンシューママーケットとしての価値が大きいです。人が絡むので言葉も含めビジネスモデルのずれがあり、それでうまくいかない事があります。そのような環太平洋間のマーケットのギャップを埋めるインテリジェントなエージェントが必要なのではないか、というのがコンセプトです。大企業は人材が豊富なのでいいのですが、ベンチャー、スタートアップには無理です。自分の技術をどこにどういう形でアピールし、交渉、アプローチすれば良いのか、どの部分を改良して、あるいはチューニングしたら良いのかをサポートしたり、逆にこういうテクノロジーが欲しいというのがあれば我々のネットワークから捜しだします。あとは日米のVC、投資家に呼びかけファンドレイジングのお手伝い。知名度を上げるためのマーケティングプロモーションもします。
Q: シリコンバレーでスタートアップのプロセス、困難、日本と比較、やりやすさはどうですか。
A: シリコンバレーで会社を作るのは日本より簡単ですよ。資本金の制限が少ないですし。会社を作り伸ばしていくインフラがしっかりしているので、ネットワークがあれば日本よりずっとハードルは低いと思います。
Q: 不安はありませんでしたか?
A: 殆ど大企業で働いていたので、独立して会社を作るのは、ある意味崖から飛び降りる気持ちでした。面白いのはやってみるとサポートしてくれる人が多いんですよ。日本だとほら、大企業辞めてスタートアップする人をサポートする雰囲気はなく、どうしちゃったんだろう、と思われますよね。どんなに良いアイデアを持っていても、家を担保にしなければならないとかで非常にハードルが高いんです。
Q: スタートアップしようと思って準備を始めてから実際できるまでの期間は?
A: 最初はインターネット関係のビジネスモデルで、それから現在のモデルに変えたのですが、トータルで1年位です。
Q: ビジネスモデルを変えたというのは?
A: 当時、インターネットバブルで自分なりのビジネスプランを書いて、いくつか日本の商社もお金を出してくれそうなところまでいきました。でもよく考えてみると、無理があるんです。一番良い時期だったらお金も集まったと思いますが、長い目で見ると本当にきちんと利益が出て、うまくいく確率は極めて低いと自分で判断しました。実際、熱に浮かれてばぁっとやったのが今は淘汰されて散々な目にあっていますよね。しかもそれを言ってくれるシニアの人がいました。
シリコンバレーで一番になるための、他の人が持っていないスキルは何だ?と考えました。そこで今までの経歴から環太平洋間のビジネスムーブメントをアウトソースする事が思いつきました。それはアメリカ人だけではできないですからね。最初は自分達のバリューを出せる所からスタートしようと考えたんです。
Q: シリコンバレーで起業すにあたって感じた事はなんですか?
A: シリコンバレーは面白いことに、足りないものは借りてくる社会なんです。社長もCFOもレンタル。フルタイムでは雇えない時期は限定したfunctionはアウトソースして、コアな技術開発だけに専念するんです。しかしインターナショナルにビジネス能力がある人を雇ってくる事は結構大変でお金もかかりますし、知らない人ですとその人が適切な人か分からないですよね。だからうちのモデルは受け入れ易いのだと思います。win-winの関係です。
Q: タートアップしようと思ったモチベーションは?
A: 日本にいたらハードルの高さでやらなかったと思いますが、自分の中では決めていました。今まで、3種類異なる経験してきたじゃないですか、日米の大小企業を。一通り経験したと思ったので、次は自分でやるしかないと考えたんです。でも最初は自分で自分の給料を払う事は大変でしたね。それが慣れてくると自由ですよ、うるさい上司もいないですし。その分自己責任を大きいですし、今は社員も生活できるようにして、彼らのモチベーションも上げなきゃならないです。
Q: 日米、大小と違う種類の会社に移ったのは意識してですか?
A: 住友商事に入ったときは、海外と勝負できるかな、と寄らば大樹の陰的発想でしたけど残りの2つは意識しました。最終的なキャリアパスをどういう風に組んでいくか、そのためにどういう能力が自分には必要かを考えた結果です。
Q: そのようなキャリアを経て得るものはそれぞれ違いますか?
A: 孫さんと緊密に仕事したのも大きいですが、一番有意義だったのはシリコンバレーに来てからですね。独立してから1年半の密度は10年分くらいあったのじゃないかなと思います。というのは全部自分でやらなければならないでしょ?経営っていう意味でも、ネットワークの意味でも。
Q: やはりネットワークが大事ですか?
A: ここで一番重要なのはネットワークです。よく日本だと交友社会だとか言われていますが、ここでも物凄くあるんですよ。日本以上にあるかもしれないです。ただ学閥とかじゃなくて職場閥なんですよ。
成功した人がもう一度やる時はまた同じ仲間とやります、勿論広がっていきますけど。そういうコアな人脈、ネットワークが大事なんです。日本は会社の名刺を背負っていますよね、こっちではso what?と言われますよ。個人がどういうバックグラウンド、バリューを持っていてどういうネットワークを築いてきたかが重要なんです。
Q: 原さんのネットワークのなかで一番大きいのはSGIの物ですか?
A: そうですね。ただネットワークっていうのは多角的に作らなくてはなりません。まず1番大事なのは会社でのネットワークです。伸びている会社には優秀な人が集まるので、そういう人たちと緊密に仕事をして、しかも認められる事が大事です。ただ知っているだけではなくて、あいつに仕事を頼めばなんとかなると評価されれば、その中でも優秀な人の人脈ができます、類は類を呼ぶという事ですね。更に3年くらいするとそれぞれがシリコンバレー内にちらばります。その人達が新しくスタートアップをしたりVCになったり大企業の幹部になったりすると、今まで一つの部署で働いていた人達が数年後にはものすごいネットワークとなるんです。
もう一つは社会のコミュニティですね。例えば子供の学校、ボランティアとかバーベキュー、ボーイスカウト、ベースボールクラブ、教会でも別の人脈ができます。仕事を離れて付き合うから仲良くなりやすいです。勿論、すぐにビジネスにしようと思っては駄目ですけど、自然に積み重なっていって大きなネットワークができるんです。
Q: アジアの情報を集めるという意味でSVの重要性は?
A: そうですね、ここでは例えば中国人同士、インド人同士、韓国人同士といった人脈の
クラブがあるので、そういう所と情報交換すると良いですね。私も韓国政府が半分お金を出しているシリコンバレーでのスタートアップを支援する会の定例会に参加したり、他にも中国人、インド人とも情報交換したりもしています。ただ、日本人のは弱いですね、駐在員主体のネットワークなので。ゴルフしている暇はないですよ。(笑)
Q: シリコンバレーの魅力は?
A: ネットワーク、インフラ、ダイナミックでスピードが速い事です。日本では10年経っても結果が出なかったりしますが、ここでは2〜3年で結果が出る。良い所ばかりではないですが。
Q: 良くない所というのは?
A: 逆に短絡主義なんです。近視眼的なところもあります。リターン主義だから5年利益が出なかったら駄目とか。日本みたいに戦略的に重要だからもうちょっと頑張ってみようかとかはないです。
Q: これまでに面白いと思ったベンチャーは?
A: KeyHoleという会社があって衛星写真と航空写真をデジタルに合成して3Dで見ることができるものを作った。都市計画や観光、不動産などに使える。非常に面白いことをやっています。
Q: SVというのはアイデアの宝庫という感があるのですがアイデアが生まれるのはどうして?
A: そういう教育なんですね。人と違う事をやるのが美徳という考えです。まず教科書がなくて先生が作るんですよ。例えば低学年でアフリカの勉強をしましょうという時間があったとしますよね、その時絵を描く子、国名を覚えた子、歴史を勉強した子、音楽を実演した子、全員丸なんです。個性、自分の得意な事で勝負するんですよ。
Q: 教育でアイデアの出やすさに影響が?
A: すごくあると思いますよ、勿論全てが良いわけではないですけど。またアピールする能力がありますよね、小学校1年から皆の前に立って1人づつ発表する場があったりとか。どんなに良いアイデアでもアピールしなかったら資本家も集まらないですし、お客さんも獲得できません。こっちの人は小さな頃からやっているからプレゼンテーションは勝てないです。
Q: どういう所が?
A: もう全て。日本だと固くなってしまうでしょ?こっちは小さな頃からやっているから恐怖感もないですし、どういう風にスムーズに行えば伝わるかを体で鍛えられているんです。中身は別としてもプレゼンテーションはすごく上手いです。頭が固くならないうちにこっちの教育、会社を体験して良い所を吸収して日本に持って帰らないと、日本が変わるのを待っていては駄目だと思いますよ。だって土曜日を休みにするのでも10年位かかったでしょ?それで土曜日休みになったから学力が下がっただなんて文句言ってますよね。そんなの個人の勝手だろって思いますよ。それを学校に求めている事がおかしいですよ。日本はそういう社会なんですよね。根本的に違いがあるからまだ時間はかかりますよね。
Q: 原さんご自身は日本にいつか戻ろうという考えはありますか?
A: それはいずれは。今はやっぱりこっちで仕事していますけど、8時間で帰れますからしょっちゅう帰ってますよ。教育面でもこっちは個性を伸ばす等の意味でも非常に良いのでまだこっちにいたいです。日本だとお受験とかありますよね。こっちでも本当に良い大学に入るのは大変ですけど。
Q: 他、どういうご苦労がありましたか?
A: 社会的なインフラは日本の方が優れています、電気ガス水道とか治安の意味で。サービスの質も悪いですしね、でも慣れてしまえば平気です。
Q: 日本の学生の中ではこっちに来る不安感が大きい人が多いのですがどう思いますか?
A: 一歩踏み出す勇気です、その後は前に進むしかないですから。自分から出て行って色んな人に協力を求めると結構協力してくれます。自己PRをすれば。プロセスを積んで、自分の中でのインフラを作らないと日本からアメリカに来てすぐスタートアップは無理だと思います。シリコンバレーでスタートアップをするのも良いですけど、ここで経験して日本に帰ってスタートアップするのも良いと思いますよ。日本も変わってきてますし。
Q: 自分の中のインフラとは?
A: シリコンバレーで仕事をしたりシリコンバレー流の仕事をしたいならここの会社に入って何年か働いた方が良いです。習うより慣れろですから。その時に3年後にこうしたいからというような意識を持って人脈を作ると良いです。
Q: SVに来たいと思っている人へのメッセージは?
A: 日本を枠として捉えない事、簡単ではないが最初の一歩出してしまえばサポートしてくれる人がたくさんいますから、そういう経験を積んで欲しいです。がむしゃらにやるんだけど最終的に自分の意見を絞って、3年後5年後10年後にどういう風になっていたい、どこでどういう仕事をやっていたいというのをイメージしてチャレンジしていくという事ですね。
ありがとうございました。
■ インタビュアー感想 :池田森人
原さんの生き方を伺って、これからのビジョンと自分の現状を常に分析している冷静さと、それに向けて積極的に挑戦しているアグレッシブさの両面を備えている事が着実に成功に導く秘訣であり、シリコンバレーのスタイルな気がしました。今の自分はそのどちらも欠けていますが、このマインドセットを意識して行動していく事はすぐにでもできることであり、やるべき事だと思いました。
■ インタビュアー感想 :石戸奈々子
将来の自分のイメージを持った上でがむしゃらにがんばる、原さんのインタビューの中で最も印象に残ったメッセージです。シリコンバレーで働いていらっしゃる方々は、
ここのインフラがスタートアップを可能にしている、とおっしゃいます。しかし、インフラだけの問題ではなくそこで働いている人の意識、マインドがそれを可能にさせているのだ、と痛感しました。
on インタビュー Posted by jtpa at 01:58
インタビュー : 橋本 千香
バイオの本場を求め、アメリカに渡り、バイオベンチャーからスタートして自分の会社を立ち上げるまでの橋本さんのサクセスストーリーを聞かせていただきました。橋本さんは運があった、とおっしゃっていましたが、運だけではない何かを感じさせられました。(インタビュー日:2002年6月18日)
プロファイル
中央大学理工学部卒業。雪印生物科学研究所勤務後、渡米。カリフォルニア大学デービス校にてリサーチアシスタント、ティーチングアシスタントを経験。1990年Neurex Corporation(現Elan Pharmaceuticals社)に入社しStanford大学、Warner-Lambert社(現Pfizer社)との共同研究開発研究担当。1995年Lynx Therapeutics社入社。 Johns Hopkins大学、PE-ABI社(現Celera社)等との共同研究担当。1998年、故Robert Swanson氏(Genentech創立者)Acting CEOのもとに、AGY Therapeutics社設立とともに参加。事業開発ディレクターとしてベンチャー会社育成に携わり、2001年よりGallasus, Inc.社として独立。USライフサイエンス、バイオテクノロジー、ベンチャー投資、ベンチャー経営等のコンサルティングを展開
インタビュー
Q: 簡単な経歴からお話ください。
A: 私は日本では普通に中央大学の理工学部を卒業しました。そのころはちょうどバイオの波が来たときで、ちょうど遺伝子組み替えの頃です。学部1、2年の頃はなにもやりたいことがなくdisappointedという状態でした。
細胞生物学という新しいテクノロジーを大学4年のとき学び、生命の謎ということに非常に興味をもち、それが今に至るのです。その当時新しい、興味のある研究室に入りまして、ノーベル賞クラスの研究者と一緒に研究をなさっているような自治医科大学の先生と共同研究をしたりして、これは面白いと思いました。でも私は工業化学だったので、女性は少人数。だから大学院に行くなんて恐れ多くて、それよりも給料をもらって研究したい、と思うようになりました。あの当時募集条項には"男"何人という頃でしたから女性の技術者はおまけのような存在でした。女性は別に採用面接をするのですが、真剣に技術者として雇ってくれるのは2社ぐらいだったのですね。それで、雪印乳業の生物科学研究所に入りました。エリスロポリチンの研究をするグループでした。
当時の最先端の研究で、周りにいる人も素晴らしい人たちばかりで。その人たちの強力なサポートがあって、たいした学力もないのに、全部基本から教えてもらいました。その時痛切に感じたのは、素晴らしい研究はほとんどアメリカ発だということです。ちょうどその時、アムジェンという会社が世界に先駆けて我々のテーマであったエリスロポエチンをクローニングしました。やはりアメリカはすごいなぁ、と。やっぱり見てこないと、と思い、本当に軽い気持ちでとりあえず少し行って来ようと思いました。英語もできなかったし、何もあてもなかったのですが、アメリカの大学に聴講生としてアプライしたところ、あなたならドクターコースなのでは?と言われ、応募しました。そしてUCデイビスのドクターコースに入ったのです。
教授のリサーチアシスタントになることで給料が出ました。さらにティーチングアシスタントになると授業料免除とともに給料がもらえました。額としては学生として十分生活費がカバーされるぐらい出ます。それで1年半ほどたった頃、日本企業が開催する日本での就職斡旋セミナーに参加しました。ドクターを取らずに就職を考えたのは、もともとドクターを取るつもりはなかったということもありますし(日本に帰国して高学位なのは良くないと思ったので)、日本にしばらく帰っていなかったのですが、帰国旅費を出してくれたので。教授にはなぜやめるのだ?と、しつこく聞かれました。まったく理解できなかったようです。2企業から真剣にお話しがきたのですが、あまり納得できませんでした。そこで振り返ると日本の大学、日本の企業、アメリカの大学を知ったけれど、アメリカの企業は知らないと思い、それにトライすることにしました。
大学の就職案内にいき、ベイエリア周辺にあるすべてのバイオベンチャーのリストをつくり、全部に手紙を出しました。大手企業はVISAの関係上、外国人を雇わないと聞いていたので、ベンチャー企業しかないと。数社から電話があって、まずある企業からインタビューに来てくれと言われました。ものすごくうまくいって、次のインタビューが設定されました。
実は電話を受ける前に知人とのスキートリップに行っていたのです。そこに来ていたアメリカ人に「何をやっているの?」と聞かれたので「仕事を探しています」と答えたのですね。「分野は?」と聞かれたので「バイオだ」と答えると「レジュメを送ってくれ」といわれ一応送りました。その事は忘れていたのですけど、実はインタビューに呼んでくれてたのはそこの会社だったんです。最後のインタビューで副社長に「ところでどうしてトムと知り合いなのだ?」と聞かれました。その時トムというのが誰だかわからなくて「知らない」と答えたのですが、後で結局分かったのは、スキーに行って話した人の仕事仲間がそのバイオベンチャー設立者のトムだったのです。トムは私がインタビューしたバイオベンチャー設立者のひとりでした。私の知らないところで就職斡旋の話が進んでいたわけです。仕事のオファーが出る頃に、私はどうしても日本とアメリカが橋渡しする仕事がしたかったんですね。だから、ずうずうしくトムに「私はこういうことがしたい」とごねました。その時、彼は「第一ステップとしてバイオベンチャーを見ておくといいのでは」と話したのです。入社第一日目に自分のデスクに案内されしばし机を眺めていると背後から「Chika」と声をかけられました。振り返ると大きなブラックスーツを着たアメリカ人で「僕がトムだ」と微笑んでいたのをよく記憶しています。というのもそれまで電話でのみのコンタクトだったからです。
企業で働いてみると本当によかったという感じで、女性だということも日本人だということもまったく関係ないんです。言ってみればマイノリティーの一人ですよね。それでも、面白いプロジェクトをいただいて、スタンフォード大学との共同研究だったのですが、研究成果が思いのほかうまくいってしまったんです。最初だれも信じてくれなかったのですけど。そんなこともあって、米国大手製薬会社との提携が決まりました。その共同研究担当メンバーになったり、スタンフォード大学との共同研究をしたりを通じて、企業、大学との研究のやり方を経験し、提携というビジネスがどうやって進むか実際に体験することができました。その当時開発していた鎮痛剤が、薬品になって商業化もされました。非常に心打たれたのが、第三臨床試験にはいると、患者さんたちの声が聞こえることです。クウォリティ オブ ライフということを痛切に実感し、バイオビジネスに携わる賜物だと感じました。ビジネスに関しても、会社が上場するところも通りましたし、すべての面を経験しました。
米国企業で働いていると、ヘッドハンターから電話がかかってくるようになります。ボスも何度も変わるのですが、移動のたびに一緒に来ないか、と誘ってくれたり。それで、もうそろそろ会社を移ってもいいかな、と思っているときにアムジェンからヘッドハントされました。あこがれていた会社からヘッドハントされてインタビューし、仕事のオファーをもらって。その時一緒に仕事をするはずだった人はアルツハイマーで後にすばらしい発見をした方でした。ですが、結局オファーもらった後で蹴ってしまいました。「あなたのために何でも用意するし、何でもする」といってもらったのですが、会社の場所がアムジェンしかない所なのです。
私はやはり毎日色々な人と会えるシリコンバレーの環境が気に入っていたので、前のボスが誘ってくれたベンチャーに行きました。その時考えていたのはツールがよくないと、ドラッグディスカバリーもうまくいかないということ。そこでもまた米国大学との共同研究や、後のセレラ・ジェノミックス社、アプライドバイオシステムズとの共同研究の担当になりました。この研究の中から興味深い遺伝子群が見つかり、ドイツのケミカルの会社とジョイントベンチャーを設立することになりました。とにかく運は強いようです。
その後、ボスが会社を作りたいから来ないか、と言ってきました。普通だったらちょっとリスキーと思うのでしょうが、でもやはり行くことにしました。そのボスが、世界で最初のバイオベンチャー、ジェネンティックを創業した故ボブ・スワンソンに投資を依頼したところ、おもしろい、といって社長になってくれました。最初オフィスもない時、自分のオフィスを使ってもいいともオファーされました。「何をやりたいの?」とスワンソン氏に聞かれた時に、「将来は日本と米国とのビジネスに貢献したい」と話しました。彼はオフィスに鎧兜と刀を置いているような人でしたが「そのうちやればいいよ」と言ってくれて。その刀は特別注文したものだということです。その会社ではビジネスディベロップメントのディレクターになり、ベンチャービジネスを実体験でき、スワンソン氏じきじきの教訓も習うことができました。
ところが残念なことにスワンソン氏が脳腫瘍になり、あと9ヶ月の命だと言われてしまったんです。CEOが死の宣告をされてしまった。でもそれまでの間、会社というのはどうやって作ってどうやって進んでいくのかを見せてもらいました。その時、いつか自分なりのことがやりたいと思うようになり、現在に至ります。今は米国企業、ベンチャー企業への日本マーケット、投資、共同開発斡旋、日本企業に対する米国バイオ・ヘルスケア業界のコンサルティング、提携、投資斡旋、技術トランスファーなどを行っています。
すべて運でここまで来ました。そして米国の人々にいつも手を差し伸べられて、サポートされてなんとかきています。大きな国だと思いませんか。まったく見ず知らずの外人にチャンスを与えてくれるのですから。スワンソン氏に「ビジネスベンチャーに必要だと思うものを3つ言ってごらん」と聞かれたことがあります。「お金も必要だし、テクノロジーも必要だし、人も必要」と答えると、彼は「違う。第一、人、第二、人、第三、人」だというのです。「人がテクノロジーを生んで、そのテクノロジーがうまくいったうまくいかないは人が決めるのだ。だから人なのだ」というんですね。そのことは次のことにもつながります。世の中って広いけれど一生で会う人は意外に少ないのです。だからいくら意見が違っても否定してしまうのでなく、その人を大切にして欲しい。つまらないことでケンカするのでなくて仲良くすることが自分にとって良いことだと思うのです。というのも私は外国でこちらの人には今迄までずっとお世話になって生きてきているわけですから。
Q: 上司の方などに言われた橋本さんのいい所、というのはどういうところにありましたか?
A: いい点・・・。アプローチしやすい、話しやすい、打ち解けやすい、とは言われましたね。こっちにくると感じるのはいくら肩肘を張って生きてもただ一人の人間だ、ということです。あるインタビューで「あなたにとって一番のアチーブメントは何か?」と聞かれたことがありあました。私はその時「ここに来たことだ」と答えたら、「それがどうしたの?」と言われてしまいました。彼が言ったのは「確かにそれは素晴らしいけれど、僕もそうだし、僕の友達もそうだよ」というのです。アメリカは移民の国ですから、それは皆が経験していることなのですね。その時にそんなもんなのだな、と思いました。バイオベンチャーはIT系のハイテクとは少し違います。でもバイオサイエンスの世界は90%正しいと思っていたことが、往々に間違えだったりするのです。そうするとネガティブの実験結果は日常茶飯事です。そういうときにどういうプレゼンテーションをして結論を伝えるか、そこから何の仮説、発展などが考えられるかというプレンゼンテーションスキル、コミュニケーションスキルが必要です。どういうふうにconvincing storyを伝えるかが大切です。それが米国企業ではトレーニングされるのです。「こういう結果がでたけれど、自分はこういうことをしてこういう結果がでたから次はこうするとこういう結果がでる」とか。そうでないと誰も認めてくれないですしね。できるだけ相手に分かりやすいようにすることが必要ですね。
Q: こちらに来てまわりとの比較で劣等感などを感じたことはありますか?
A: いつもでした。パーティーとかに行っても人の言っていることがわからなかったし。ごみやさんともコミュニケーションとれないし。自分はばかでないか、と思ってしまったり。日本だったら自信があった部分が、米国に来るとそれがすべて壊されて打ちのめされますね。
Q: それに対してどのような努力をなさいましたか?
A: 自然に慣れました。仕事をしていたことが良かったのかもしれないです。自分はこれだ、と見せるものがあったし。大学だけではわからないアメリカ社会を学んだと言えるでしょう。実際に現地のヒトと現地企業で働いて初めてアメリカという国が理解できました。現地のヒトと浮き沈み、悩み、喜びをともに体験することにより、同士の絆が生まれてくるものではないでしょうか。
Q: 先ほど自分にとってアチーブメントは何か?と聞かれたとおっしゃっていましたが、今そう聞かれたらどうお答えになりますか?
A: 今だったら、結果ももちろん大切だけれど、過程を楽しむことに気がついたことがアチーブメントだと思っています。試行錯誤してやってきた過程自体がやってよかった点です。だから今も何かをつくることに興味があります。スタートアップはその点で面白いですね。
Q: 日本にいるときもやはりそういうことは好きだったのですか?
A: たぶん好きだったと思います。なんでもいいのですが、人に言われるよりも自分でやるほうが好きですね。だからアメリカがあっていると思うのですが。こちらでは皆それぞれ好き勝手で、自分のペースが認められます。
Q: シリコンバレーで他に自分にあっていた、という点などはありましたか?
A: コミュニケーションに関してはあっていたというよりは努力して気をつけています。こちらでは悪いことを相手にしてしまったら、すぐに直さないといけないですし。そういうのは常に気をつけています。
Q: いきなりアメリカに行こうと思って行けた、というのはやはりすごいと思うのですが不安などはなかったのですか。
A:今だったらそんなこと絶対しないですけど、かえって情報があふれていなかったのが良かったのだと思います。安易な気持ちだったのが逆に良かったと。重要な立場だったわけでもないですし。目の前にいい話がおりてきて、それにぽっとのる感じですね。
Q: 探すというよりも来るのですか?
A: 探しているときにはないもので、自然体でいるとき気がつきます。
Q: 技術を持っていたことが強かったと思いますか?
A: 技術を持っていたといってもドクターを持っていたわけでもなく、私くらいできる人はたくさんいます。テクノロジーはある程度は必要ですが、どういうプロジェクトを与えられるか、どういうボスにつくかがそれ以上に大切なことですね。ボスに反抗することはアメリカでは首につながりますし。
Q: アメリカはフラットで上下関係がないイメージがありましたが。
A: アメリカは完璧な上下関係です。だからこそ決定が早いのです。日本はだれもが決定権を持っていないから進むのが遅い。でもこちらでは各々担当と義務、権利が決まっているのです。
Q: やめさせられる場合も十分にあるのですね?
A: しょっちゅう首がとんでいましたね。グループで10人いて、残るのは2人という環境も経験しました。
Q: 不安はなかったのですか?
A: 不安でしたよ。ある日突然ミーティングによばれると、○○さんが首だ、と告げられたり。
Q: それに対してなにか対策はとっていたのですか?
A: 取れるようで取れないのですね。でもほとんどのアメリカ人は危なく感じた時点で、もう次を探しています。だから米国人は100%仕事に専念するよりはある程度の時間を外の世界と連絡をつないでいざというときに備えています。
Q: 橋本さんもそうでしたか?
A: そうでもなかったですね。
Q: 首をきられる原因はボスとの意見の食い違いですか?
A: そうですね。人間関係が非常に重要ですから。米国広いですから同じ能力を保持する人材はたくさんいます。一緒に働く人はやはり気が合うのが非常に強い条件の一つです。CEOのポジションも同じですね。
Q: 会社を作ったときの経験に関してお話いただけますか?
A: やりたいことを形にしただけです。
シリコンバレーでは分業がはっきりと出来ていて、プロフェッショナル化が進んでいるので、仕事がしやすいですね。それぞれの分野でのプロフェッショナルが時間労働で雇える環境にあります。たとえばバイオのマーケティングは誰にやってもらって・・・と。日本はあまりスペシャリスト化が進んでいないですよね。そこがもう少しうまく進んだらスタートアップもおこりやすい環境になるのではないでしょうか?
こちらでとりあえず企業に入ってみたのはすごくよかったと思います。というのは良い人とそこで知り合えたからです。ネットワークというのはお金にはかえられないですね。
Q: スタートアップをする際のコツみたいなものはどのように考えますか?
A: 一番大切なのは失敗を怖れずにやってみることだと思います。何が起こるかわからないですから。その時に大切なのは人だと思います。というのはビジネスの成功もためもあるのですけど、この人とやろうと思った時、その人とは昼も夜も一緒にいることになります。それは人生にとって大切な部分の、何かをクリエーションしていくとか、自分が一番信じている部分をシェアしていくことになるわけで。非常に重要に思えないといけないし、そういう人が見つからないなら無理はしないほうがいい。しばらくしてけんか別れすることも多い。その時の問題解決にかかる時間も労力も費用もエモーショナルな面もつらいですよね。いい知人とはじめると作る過程も一層おもしろいし、シェアするのも楽しい。それを推薦しますね。今でも仕事をやっていて必要な時は友達に聞きます。または友達を雇ったりする場合があります。彼らは業界のクリエーターですから。知った仲だからやりやすい。また人によっては友達なのだからお金のことは言って欲しくない、という人もいます。困ったときは頼むことがあるだろうから、と。
Q: そういう関係が日本よりもここでは成り立ちやすいのですか?
A: 日本でもあるかもしれないのですけど、ひとつ違うのは、ここは環境が変わりやすいでしょ?だからそういうところを一緒にくぐってきた同士のような感覚があるのです。
Q: 日本にいたらスタートアップしなかったと思いますか?
A: 絶対になかったと思います。そういう環境だし。
Q: バイオの分野でこちらで技術者としてやっていくにはPh.D.は必要だと思いますか?
A: 絶対に必要です。私はたまたま運がよかっただけです。テクニシャンとしてならできるけれど、それだとちょっとつまらないですけどね。
Q: それは分野を問わず、ですか?
A: エンジニアだったらマスターでもいいと思いますね。On the job trainingで技術が伸びますしね。
Q: バイオベンチャーは半分以上はシリコンバレーと聞いたのですが。
A: もうすこし少ないですね。シリコンバレーとボストンが同じくらい。ボストンの方が少し多いかな。その次がサンディエゴで次がシアトルで・・・。でもこちらは確かに多いですね。
Q: 研究をもう一度したい、という気持ちはありますか?
A: ないですね。自分よりも優秀な人がたくさんいるのにどうして自分がやらないといけないんだ、という感じです。大学の先生が言っていたのですが「世の中はみんな研究する必要がないんだよ、中にはハンバーガーを焼いている人もいないといけないからね」と。それにはアグリーですね。
でもなんでこんなにうまくいいプロジェクトを次から次に与えてくれたのが不思議ですけど、それがアメリカの懐の深さですね。
Q: それはアメリカではよく起こることだったのですか?
A: やはりレアだと思いますね。人も少なかったということもあってのではないでしょうか。
Q: 初めからこのような仕事をしたいという気持ちはやはりあったのですか?
A: あったのだと思いますね。初めの仕事の時やりたいことを言ってごねたぐらいですから。だから、ことあるごとに聞いて回ったり。
Q: シリコンバレー以外で、ということは考えていますか?
A: ヨーロッパに住みたいのですけど、リアリスティックでないですよね。シリコンバレーは人種のるつぼなのでアクセッサブルですしね。今思うのは、若いうちから20年後なにをやりたいかを考える教育を日本はするべきですね。
Q: どうして大学の時理工を選んだのですか?
A: 数学が好きだったから。とくに具体的なイメージは何もなかったですね
Q: こちらの人はキャリアデザインをしっかりしている、と聞くのですがやはり皆さんそうしていらっしゃるのですか?
A: 結果から言ってしまうと、見かけはそういう風にいくといい、というのはあるかもしれないですけど、あくまで結果ですよね。
時代、産業、経済状況で着々とキャリア路線は見直されていくため、追いつかないのが現状です。いい例は5-6年前はITがブームで現在はバイオ。それぞれの産業内でのRequirementも変化しています。ベンチャーが出てきたの自体が最近ですしね。
Q: 特に考えているわけではなくその時にやりたい方向に進んでいる、ということですか?
A: ビジネスの人だとお金で流れる人もいますけどね。でもそれが幸せかはわからなくて。弁護士は給料は高いですけど、その仕事に満足している人の割合は少ないんです。一番大切なのは自分が何をやりたいか、なのではないでしょうか?私も好きなほうにコロコロ転がるタイプですね。転がるように道は作らないといけないんですけれど。
Q: 運が良かったとおっしゃっていましたが、luckをluckと感じられない人もいると思うのですが?
A: その時点ではチャンスと思っていないんですね。後になってから分かるんですけれど。意図的に考えた時はだめです。ふらふらと行ったときの方が後でうまくいったと思うんですね。意識するとない、というか。なんとも言えないですね、こればかりは。もう一つは、運が良かったと後で思うこともその時はすごく泥にまみれていてぜんぜん良くないんですよ。
みんながいいな、と思っているピカピカのものは、もうそれだけなんです。もっとファンダメンタルに自分にとって役に立つものが重要なのではないでしょうか?それはものでなかったりとかして、情報だったりします。何か情報が入ってきて、その時自分がそれを考えるタイミングだった、というときもありますし。
Q: よくメンターといいますがそういう存在の方はいらっしゃいますか?
A: 私は今それが非常に欲しいですね。自分をかなりしっかりと持っていないと分からなくなってしまう世界なんです、シリコンバレーは。何人かいいことを言ってくれる人はいます。言われたときは腹がたったりすることもあるのですけど。そういう人を何人かもっていると自分を戻してくれます。それは年下でもいいと思います。なにかハッとすること言ってくれる人。
むかし高校生の男の子をインターンにつけたことがありました。私は彼から学ぶことが多かったですね。その時彼は新聞部の編集長、生徒会長、武道の倶楽部に所属、バイオリニストで、夏にインターンでベンチャーに来ていて・・・。色々と教えていくうちに、彼の世界を見せてくれました。彼は前の年まではジャーナリストになりたくてそのインターンもしたらしんです。そこでジャーナリストに幻滅するところがあって、次にやりたいことが研究だったらしいのです。彼の父親は東ヨーロッパ出身で苦労してお金のない中、彼を育ててくれたらしいのですね。彼は、はじめは音楽学校に在学したのですが、それではお金持ちにならないと感じてプライベートスクールに入りなおしたらしいんです。でもそこにはお金持ち出身の子ばかりいて、いつもお金がないということがハンディキャップになっていたと。彼の夢はスタンフォードに行くことでした。結局彼はそこには入れなかったのですが、高校生なのにここまでキャリアトラックを考えていることに大変刺激をうけました。脳神経関係の仕事をしたいというのでMDとPh.D.を両方とれるコースを勧めたところ、今がんばっています。彼なんかは学ぶことの多かった人ですね。
Q: アメリカにはそのように意識レベルの高い人が多いのですか?
A: アメリカはピラミッドなんですね。すごく意識の高い人もだからいます。話をしていて年の差を感じない。対等になって話すことができます。
インタビュアー感想 :石戸 奈々子
あくまでも自然体でお話する橋本さんは、とても不思議な魅力にあふれていました。橋本さんは運が良かったとおっしゃっていましたが、運だけでなくその橋本さんの性格、考え方、生き方すべてが、チャンスを生み出しているのだと思います。人間としての深い魅力が周りにすばらしい人を集め、すばらしい経験をよんでいるのだと感じました。キャリアとしてのロールモデルにとどまらず、人生そのもののロールモデルになっていただきたい、そう思わずにはいられない存在の方でした。
on インタビュー Posted by jtpa at 01:56
インタビュー : 西川 徹
大手銀行員からベンチャー企業の世界に飛び込まれた西川さんからは、シリコンバレーのベンチャーと取り巻く環境の違い等を分かり易く教えていただきました。また、実際にベンチャーを始めた際の苦労話などの貴重な体験談もお聞きする事ができました。(インタビュー日:2002年6月14日)
プロファイル
慶應義塾大学経済学部を卒業後、日本興業銀行に入行。『新しい事業をどう立ち上げるのか』に興味を持ち、興銀より派遣されスタンフォード大学に留学。帰国後は、M&A等を扱うようになる。その後興銀を退職し、NuCORE Technology Inc.の創業に参画、現在同社 のVice Presidentをつとめる。
- http://www.nucoretech.com
インタビュー
Q: スタンフォード大学へ留学されたことについてお話していただけますか?
A: 私が入行した頃は、バブルの時期でした。そのときに、銀行の新規業務の立ち上げを色々見ていくなかで、新しい事業を興し、如何に成功に導くかに非常に興味が湧いたのです。そこでスタンフォード大学の留学を申し出ました。92年のことです。
卒業したのは94年で、ちょうどその頃、ネットスケープ社の創業に象徴されるドット・コムの始まりの時期で、周りのクラスメートの何人もが、まだ名も知らない会社へ就職していきました。私は企業派遣で留学していましたので、当時は銀行に戻り勉強した内容を生かし活躍することを目指し帰国しました。
Q: 日本に帰国して何か感じたことはありましたか。また、再びアメリカに来られたのはなぜですか?
A: 私が帰った頃の日本は、ちょうど景気が目に見えて悪くなってきた時期でした。また特にハイテク新興企業の成功例が輩出されなくなって久しい現実がありました。自分が垣間見た、どんどん新興会社が立ち上がり、著名企業に成長していくシリコンバレーの土壌とは何か違うと感じました。何かしら仕組み的なものが違うのではないかと考えたのです。その仕組みを深く知るには、投資サイドやコンサルティングサイドにいては分からない部分も多いのではないか、自らが会社を立ち上げる現場に入って見る必要があるのではないかと思い、シリコンバレーに、また来たのです。
Q: 会社設立の頃のお話を聞かせてください。
A: 最初は渡辺の家の隅っこを事務所にしていました。二人で投資家をまわって事業計画書のプレゼン、事業、技術の説明を行い、事業資金を募りました。渡辺を中心としたエンジニアリングのチームが強かったことが幸いし、資金も集まり、製品も完成し、また製品が世の中に出まわって現在にいたる、という感じですね。今は60人ぐらいの会社になっています。
Q: アメリカのビジネスモデルは最高といた風潮が世間の一部にあるような気がしますが、西川さんはどのようにお考えですか?
A: アメリカの経営モデル万能論は極端だと思います。たかだか12〜3年程前までは、日本企業の研究がアメリカで盛んにされていたのですから。しかも、シリコンバレーはアメリカの中でも特殊であると思います。シリコンバレーでは、ゴールドラッシュのカルチャーの流れを受け継いだアンチ・エスタブリッシュメントの良い作用が働いているという側面があるでしょうね。
将来性のある事業を評価し、人材、お金という限りある資源をいかにして最適に配分していくかを各個人が考えている点においては、日本もシリコンバレーも同じであると思います。エンジニアリングに関しては日本の技術は高いと思いますし。
ただ、現実に今のパラダイムの中では、シリコンバレーのビジネスモデルのほうが成功している「結果」を出している点に関して異論のある人はいないでしょう。ならば、学ぶべき点は多として学ぶ姿勢は重要です。特に有望な技術をいかに成功ビジネスにプロデュースするかという、生態系とも言える仕組みが、日本ともアメリカの他の地域とも違っていることは確かで、注目すべきポイントと思います。
Q: その『生態系』について詳しく教えていただけますか。
A: よく、シリコンバレーでは、VC、弁護士、会計士といったサポート側の量・質共に日本とギャップがあるといわれますし、よく研究されている部分です。しかし、こういった議論の中で欠けていると私が感じるのは、実際にベンチャーを立ち上げる人の層はどうなのか、ということです。この点にも日本とはかなりギャップがあると思います。こちらで事業をする人も、日本で事業を行う人も所詮は同じ人間です。そんなに差があるわけではないと思います。違うのは、事業を行う人が学習を行える環境と経験値ではないでしょうか。
Q: 学習を行う環境とはなんでしょうか?
A: 会社を運営するとは、何かを開発するという面と、経営を行うという面があります。その、経営とは何かと簡単に言えば、動いている環境の中で、自分を取り巻く多様な情報を分析し、判断し、意思決定することです。しかし、全ての情報が手に入るまで状況判断を待って、行動を控えていたのでは何もできません。不十分な情報を基に正しい判断ができるかどうかというのは、経験が関係してくると思います。これは訓練が必要です。年功序列社会の中で、やっと意思決定をする立場に立つようになった人と、若いときから意思決定をするポジションにいた人では、経験値が違ってくるのは当然でしょう。シリコンバレーではそういう訓練を受けられるような場が多くあるということで、学習環境が日本とは違うと思います。
また、もう一つ日本との違いは、ここでは失敗を経験として扱ってくれるということです。正当な理由での失敗ならば、投資家達も認めてくれます。失敗の繰り返しによって成功の確率が高くなると考えているのが普通なのです。
Q: 優秀な人材を育成する環境が整っている他に、日本とは違った点はあるのでしょうか?
A: ビジネスにおいて忘れてはならない事に、作ったモノ・サービスを買ってもらうということがあります。シリコンバレーにおいて重要なのは、もちろんベンチャー企業を興す人がいるということもありますが、ベンチャー企業から製品を買ってくれる、もしくはベンチャーとうまく付き合うすべを熟知している大企業の存在が欠かせません。この大企業の存在は非常に大きい。
Q: それはなぜだと思われますか?
A: 大企業がベンチャー企業を評価するのは、ベンチャー企業と大企業との間の密接な人的な繋がりがあるからだと思います。大企業で成功した人がベンチャー企業をはじめることが多い、またM&A等を通じて大企業にもベンチャー経験者が大勢いることが背景にあります。シスコなんかが良い例ですよね。ベンチャー企業が持つ技術はもちろん重要ですが、ベンチャー企業をやっている人が元同僚や上司だったりすることで、その質を評価・信用できるという面があります。そういうこともあって、先端技術分野で大企業−ベンチャー間のビジネスは活発で、製品購入、提携、アウトソーシング、M&Aと多岐にわたっているわけです。その点、日本での大企業のベンチャー企業と付き合うノウハウとギャップはあるのでしょう。
Q: 長期的なスパンで考える研究等はどうなっているのでしょうか?
A: 大学の研究室や大企業の果たす役割が大きいと思います。大学の研究室や、そこにプールされている人材の存在は大きいですよ。一方、ご存知のように大学の先生や研究室がそのまま新規技術を事業化しようと会社を興す例も多いです。産学連携がうまくいっているという事が大きいのではないでしょうか。
Q: ベンチャー企業を興す人は、一度大企業に入る人が多いのですね?
A: そうだと思います。シリコンバレーというとベンチャー企業が注目されがちですけど、大企業で得られる経験は非常に大切です。特にベンチャー企業では即戦力が必要ですから、大企業でビジネスや製品開発に直結した経験を積み、人脈を作った人に対する需要は大きいです。
Q: 大企業に入るのは、そこで一生過ごすつもりではないということですか?
A: 日本では、いまだに『入社』という感覚が多いかと思いますが、米国では皆『就職』するという感覚です。自分の責任範囲が決まっているので、自分が大学で学んだ経験をそのまま生かそうとしているという感じがします。スペシャリスト志向が強い感じです。しかし、それは逆にいえば、会社や開発プロジェクトの全体像を見られるジェネラリストが少ないということです。どちらがいいとは言い切れないと思います。
Q: シリコンバレーに来てよかったこと、また、ベンチャー設立を通じて得たことはありますか?
A: こちらで会社の立ち上げを通じて学んだことは、その実体験に基づいて今後もベンチャー企業経営に携わる中で大きく生かすことができることだと思います。自分の現在のキャリアステージで多様な経営局面で意思決定を下す、生きた経験・訓練を得られたことは貴重で、とても感謝しているところです。また将来、投資の世界に関わることがあれば、実際のベンチャーのオペーション経験をもって、一味違ったバリューアッドが出来れば嬉しいな、と思います。
インタビュアー感想 :石川 智子
ご自身は現在ベンチャー企業で働いていらっしゃるにもかかわらず、常に周りの社会経済を見据えていらっしゃる冷静な西川さんでした。大企業とベンチャー企業との関係の日米間の違いや、ベンチャー企業立ち上げにかかわる人たちの質の違いがどこから生じるのかを、分かりやすく説明してくださいました。日本の企業もベンチャー企業をもっとうまく活用してほしいと思いました。
インタビュアー感想 :池田 森人
シリコンバレーで実際にマネージメントをなさっている、西川さんのお話に非常に重みを感じました。またCTOの渡辺さんにお会いする前から、日本の会社を辞めてシリコンバレーに来られた、という驚異的な行動力は、私も学んでいくべきだと感じました。
インタビュアー感想 :石戸奈々子
西川さんの冷静な現状分析に驚かされました。熱い思いと冷静さと、そのバランスに感動しました。西川さんのお話しから、日米における"働くこと"に関する意識の違いを認識させられた気がします。「入社」と「就職」と。その二つの言葉にその違いが込められていました。
on インタビュー Posted by jtpa at 01:55
インタビュー : 立野 智之
シリコンバレーで多くの人に接してきた立野さんに、シリコンバレーで働くためのHow to を聞かせていただきました。どのようなマインドを持っている人がシリコンバレーで活躍しているのか、そしてその実態を立野さんの知人の方を例にお話いただきました。(インタビュー日:2002年6月18日)
プロファイル
慶應義塾大学工学部卒業。慶應義塾大学大学院、工学研究科修士。プラントエンジニアリング会社日揮にて海外プロジェクトマネジメントシステム開発エンジニアとして勤務。リクルート社、米国ハイテック部門Senior Vice Presidentとなる。その後、Justsystem米国法人にて、Senior Vice President / Justsystem Venture Capital 責任者を務める。現在はIMCA AMERICA, Inc. にて、Managing Director & CEOを務めるかたわら、JETRO US-Japan Business Incubation Center ボードアドバイザー、およびVenture Capital Fund of America アドバイザーとして活動。
インタビュー
Q: 会社の概要に関してお聞かせください。
A: まず東京にあります親会社のイムカ(IMCA)について説明します。イムカは、エンジニアやマネジメントの方々を企業に紹介するという人材紹介「Executive and Engineer Search」のビジネスを日本で最も早く始めた会社で、現在ハイテック関連企業の顧客を中心に活動しています。ご存知ない方が多いと思いますが、「Executive Search」というビジネスは、マネジメント・コンサルティング会社から枝分かれしたビジネスです。マネジメント・コンサルティング先の顧客から組織戦略の一環として「新しいCEOを探したい」あるいは、「VPを入れ替えたい」という要望が頻繁にあり、それでは人材探しという一部機能を切り離して、Executive Searchという新しい産業を作ろうという動きが37年前Los Angelesで起こったのが起源です。イムカのファウンダー武原氏は当時UCLA留学中で、この動きを身近に体験しExecutive Searchビジネスを日本に持ち帰りイムカを起業しました。それから37年、現在では年間約1000人の方がイムカの紹介で新しい仕事にチャレンジされるまでになりました。
イムカの戦略子会社としてシリコンバレーの会社を作ったのは2年半前で、現在3つの動きをしています。一つは「アウトバウンド」アメリカのハイテクベンチャーで日本進出を計画している会社に対して、日本法人の社長やマネジメント、エンジニアを紹介し組織作りの支援をしています。二つ目は、「インバウンド」日本から米国に進出するベンチャーに対してアメリカのエントリーの仕方をサポートします。米国進出のビジネスプランをレビュー、組織戦略を検討し、それに見合ったマネジメント人材を探してきてチームを作ってお渡しします。3つ目はシリコンバレーにおいて、「日本」というキーワード求人企業に人材を紹介することです。パターンは3つあり、一つは、日本市場進出計画中だが、日本のことをよく知らないというハイテクベンチャーの「日本市場担当Director」採用。2つ目はプロダクトマーケティングという役職で日本向けの商品開発を考える人の採用。米国ハイテク企業の多くが日本市場向け商品開発は日本で行わないで、こちらで日本人を採用して開発を行います。最後は在シリコンバレー日系企業の「人事国際化、現地化」戦略として、駐在員をローカルプロフェッショナルに置き換える人材採用です。
Q:立野さんご自身に関する経歴をお願いします。
A:私のキャリアパスが皆さんのお役にたつのかはわかりませんが。
大学では、今や恐竜時代ともいえるパンチカードを利用してデータを入力する時代に、コンピュータエンジニアリングを勉強しました。大学院へは勉強のためというよりヨットをするために行ったような不真面目な院生で、1年のうち200日くらいヨットにのっていたと思います。いざ就職ということになり、ヨットを続けるのに地理的に便利そうな会社を選ぶというのが条件でした。当時この条件に合うのは、NTTの横須賀通信研究所と日揮という会社しかない。NTTは競争も大変そうですし、自分を活かすには組織が大きすぎると思い、むしろ海外プロジェクトに携わる機会が多いことに着目し日揮に入社することにしました。石油精製プラントを海外に作るためのマネージメントをする会社で、プロジェクトをコンピュータシステムでマネージする部隊に配属となりました。入社2ヶ月後で資材管理、給与計算、会計処理などのプログラムを開発