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2002年08月28日
セミナー情報 : ワークショップ:「キャリア構築」
「エンジニアやサイエンティストから別のポジションへのキャリア構築方法」というテーマでパネルディスカッションを行いました。
■関連ページ
アンケート集計結果
「シリコンバレーの雇用状況」
IMCA America, Inc., Managing Director & CEO, Tom Tateno

2002年8月28日(水)午後6時から9時までシリコンバレーで働くエンジニアやサイエンティストのための第1回JTPA(Japanese Technology Professionals Association)ネットワーキング・ワークショップが、シリコンバレーを本拠とし、950 Page Mill Road, Palo Altoに事務所を有するウィルソン・ソンシニ・グッドリッチ&ロサティ法律事務所で開かれた。
6時からネットワーキングが始まり、アドビ・システムズ、サン・マイクロシステムズ、アップル・コンピュータ、オラクル、サン・ディスク、ロッキード、といったハイテク企業から約50人のエンジニアやサイエンティスト達が集まり、楽しくネットワーキングが行われた。

今回のテーマは「エンジニア・サイエンティストから、マネジメント、マーケティングやセールスへの転進。異なる役職に必要なスキルは何か、それをどうやって身につけたのか、また新たなポジションに就いてみて、エンジニア・サイエンティストだった時には見えなかった発見は何か?」
■ パネリスト
Vikki Yamazaki氏
ブラウン大学のバイオ・ケミストリー専攻で、大学卒業バイオ・フィジックスでスタンフォード大学から博士号取得、Hyseq Pharmaceuticals等でのbio-physicistから、もうすぐ第一回目のベンチャーキャピタルからの増資をクローズするスタートアップ会社、Proteomic Systemsのコア・メンバーへ転進。
Daisuke Terasawa氏
16歳から米国に滞在、スタンフォード大学電気工学科で学位と修士課程を卒業後、S&P500の大手ワイヤレス関連企業で、ASICエンジニアから30名のエンジニアを統括するディレクター・エンジニアリングへ転進。
南 博剛氏
日本大学理工学部卒、東京エレクトロンにASIC半導体のデザイン・エンジニアとして勤務した後、Global Management Major at Japan-America Institute of Management Scienceを経て米国の半導体設計ソフトウェア企業に移り、現在はInTime(半導体設計用ソフトウェア)の日本向けのビジネス・ディベロップメント・ディレクター。
竹内健氏
東京大学物理工学科修士を卒業後、東芝でエンジニアとして半導体(フラッシュメモリ)を立ち上げ、現在はスタンフォード大学ビジネス・スクールの2年生。
■ 各パネリストのプレゼンテーション
Vikki Yamazaki
東京生まれ。Vikki Yamazaki氏が6歳の時、家族がサンノゼのウィロー・グレンに引越。ウィロー・グレン小学校等を経て、ブラウン大学でバイオ・ケミストリーの学位を取得、その後スタンフォード大学にてバイオ・フィジックス博士課程終了。
スタンフォード大学では、「世界で2−3人しか理解出来ないようなことをするのではなく、応用研究をしよう」と考え、Department of Radiation Oncologyで、20歳以前に発病する癌の基礎研究に携わる。博士課程取得後、Hyseq Pharmaceuticals社に入社。同社では、データ・マイニングを担当し、protein therapeuticとmembrane targetを特許化。
この頃にスタンフォード大学の同期の友達とその同僚がProteomic Systemsを起業。彼の論文からそのMembraneChip技術に興味を持ち、シード段階の資金調達が終了したばかりの初期段階でProteomic Systemsに入社。転職した理由は、もっとチャレンジが欲しかったから。たまたま適した時に適した場所にいたという「運」、自らの技術に対する「熱中」が助けとなった。
2000年11月に設立されたProteomic Systemsは、MembraneChip Drug Discoveryに関してenabling technologyを有しており、バイオ・テクノロジーの分野で世界的なリーダーのBill Rutter, Ed Penhoetなどから$1,000,000のシード資金を調達。科学者として実験室から働き始め、特許出願などを行ったが、その頃に会社の2人の創設者が「Vikkiは人材採用、資金調達などに関わっているほうがより役に立つ」と判断。現在資金調達のため、プレゼンテーションを作成したり、プレゼンテーションしたり、ベンチャー・キャピタリスト達と接したり、デュー・ディリジェンスに対応している。
結論としては、チャレンジを克服するには、人生に対して良い態度を持つこと。楽観的で、自分自身を信じること。融通性を持つこと。間違いを恐れず、自分を笑えるようになること。純粋な研究者から現在に到った変化を見ると、「自分が誰であるか?」が良く分かった。
Daisuke Terasawa

ワイアレス通信を主な業務とする企業に勤務。Terasawa氏が関わっているのはCDMA Technologies、携帯電話、および、基地局用のチップの開発で、パソコンで言えばCPUの部分にあたる。
アメリカには既に15年ほど住んでいて、父親の仕事の都合で16歳の時からアメリカに滞在。その後、アメリカの大学に進学することになり、スタンフォード大学電気工学科で学位と修士課程を終了。いつか日本に帰国しようと思ったこともあったが、結局ずっとアメリカにいる。
現在の会社に入社したのが1995年で、当時は今ほど知名度は高くなかったが通信関係の分野では会社の名前は知られていた。入社当時も社員が3000人ほどとかなり大規模で、社員番号が3301番。入社以来、同社のエンジニアとしては珍しく、2度にわたって地方オフィスに勤務する機会があった。 2度とも、最初に異動になった時にはオフィス自体まだ形ができていない段階。仕事のメインは一応エンジニアリングであるにもかかわらず、オフィスの立ち上げ全般に携わる。オフィスが大きくなっていく過程にかかわることができた事は、非常によい経験となった。 また、東京、シリコンバレーの2箇所で、周囲にほとんど同じ会社の同僚がいないという状況におかれて、必然的に社外の業界で起きていることに対して触れる機会があった。
シリコンバレーのオフィスは実質的には99年に設立され、それと同時に移ってきた。当時はシリコンバレーの景気も最高潮の時期でもあり、開発センターを作ろうという話はでていたが、やる仕事がないとオフィスを作れない。そこで当時の上司と2人で言い出しっぺになってある新しいプロジェクト立ち上げを提案した。 このプロジェクトは次世代携帯システムのチップの開発にかかわるものだった。次世代携帯システムといってもいろいろあり、社内でもプロジェクト立ち上げに対して賛否両論があった。
幸いなことにプロジェクトはうまくいって、シリコンバレーのグループも30人ほどにまで成長した。それに加えてシリコンバレーのベンチャー企業を買収したということもあり、現在キャンベル・オフィス全体では大体150人になっている。
プロジェクトのスタート当時から一緒にやっていた先輩・上司が、プロジェクトがうまく立ち上がったので、学校に戻って勉強するため休職することになった。そこでTERASAWA氏がそのあとを引き継ぐ形で、ASICシステムエンジニアリング部門のシリコンバレー部隊のリーダー的な役割を担うことになった。これが約一年前。
こうした経緯なので、自ら「エンジニアからの転身」を意識して行動した結果マネージメントへと移ったわけではない。ただ、いま自分の経験をふりかえってみると、社内ベンチャー的に自分から積極的にアイディアを提案して行動を起こしたことがいろいろな面でプラスになったと思う。
もちろん大抵のアメリカのハイテク企業がそうであるように、純粋に技術畑でマネージメントの責任を全く負わずに上に上がっていくという道もあった。たとえばVice President-Technology等の肩書きを持ってエンジニアリングに専念して、社内外にも名前を知られるような人も社内には何人もいて、ワイヤレス通信の世界では誰でも知っているほど著名な人も多い(CDMAの技術のパイオニア、もと大学教授、など)。エンジニアとしてはそういう道をたどるのにあこがれる部分もあった。マネージメントの方の責任を担っていく道に進んだことで、エンジニアとしてのスキルアップを多少犠牲にした部分もあることは否めない。
ただ、組織運営には別のやりがいがある。Regional Officeの立ち上げに2度かかわった経験、また日本駐在の際にエンジニアリング以外の面に触れる機会があったことなどで、マネージメントに対する興味、そして少しながらも下地ができたことはプラスであった。
現在はRegional Office だということもあり、扱わなければいけない仕事の種類が多岐にわたる。 もちろんすべて自分で全部やるわけでない。Human Resources(人事)、Facilities(施設)、Admin Services、Finance (財務)、ITなどの社内の他部門と連携をとり、及び自分のグループのマネージメント・スタッフ(マネジャーや秘書など)と協力して、全体がうまく機能するように舵取りする。 エンジニアたちのモーティベーションをどう高めるか、働きやすい環境を整える、などに集約される。
南 博剛氏

大手半導体製造装置メーカー、 東京エレクトロン株式会社で ASIC設計やEDAツールのアプリケーション・エンジニアとして8年勤務後、マーケティング・スキルと英語の必要性を感じ、ハワイにあるJAIMS(日米経営科学研究所)にてGlobal Managementを専攻。卒業後、スタートアップ企業High Level Design Systems Inc. にてエンジニア職を得る。その後,96年には勤務先が業界最大手のCadence社に吸収合併される、後にキャリアチェンジを求めて退職。2001年11月より現職。
1986年,エンジニアリングにおけるキャリアが東京エレクトロン株式会社で始まった。東京エレクトロンでは、EDA(electronics design automation)という半導体製造を支援するソフトウェア(CADの一つ)を販売することと、チップを作ることの両方に携わっていた。時代が古いが、例えばINTELのチップだと80286とか、386などの周辺チップをコンパクトにするような仕事で、チップセットを作っていた。386以降は、メモリー以外の周辺を3つか4つにまとめる仕事だった。
当時、アメリカはPCが全盛であり、日本の多くの企業がPCを作ってアメリカ市場に入りたがっていた。その時にチャンスが来て、アメリカでチップ設計をすることになった。今は買収されてないが、アリゾナ州に当時あったVLSI TECHNLOGYという会社でチップセットを半年間エンジニアとして作る。
最初は英語もあまりできず自信がなかったが、半年後にはチームにも助けられ自信がつき、エンジニアリングとしてアメリカで仕事ができるのではないかと考え始めた。その後日本に帰国したが何をやっても日本の仕事がつまらなく見えた。アメリカのエンジニアリングの環境、その他やったこととか全てが良く思えた。例えば日本だと付き合い残業もあるが、アメリカにはなく、自分の好きな時に来て、プロジェクトのスケジュールさえ守ればいつでも休みが取れた。言いたいことはいつでも言えたし、年功序列がなく、自分のキャリアや仕事の分だけで評価される。またアメリカに来て仕事がしたいという思いが日本で募り、無謀にもアメリカへの転職や留学を考えるようになった。
1993年にハワイにJAIMSというビジネス・スクールで10ヶ月のコースに応募。就職活動も入れて1年くらいだったら適当ではないかと思いハワイに行く。その際2つの目標があった。英語の上達とマーケティングスキルの獲得である。卒業時には、日本が大不況になっていたがシリコンバレーの景気は上り調子だった。履歴書を書いて日本企業とアメリカ企業に出したが、アメリカのほうが履歴書に対するレスポンスが良く、シリコンバレーのスタートアップ企業に50番目の社員として入社。創立後1年少し経っており、ちょうど収益が出てきたくらいだった。
以前働いた日本の会社が大企業だったので、スタートアップ企業では体験する全てが毎日おもしろく勉強になった。しかし、嫌だったのが、英語も勉強したし、技術も知っていたのに、日本の企業が来るとどうしても便利屋のように通訳をさせられアテンド(付き添い)を全部させられることだった。日本のサポートをやめようとある時から決め、日本人以外のカスタマーのサポートをしたいと要求して仕事内容を変えた。
会社自体は非常に上手くいっており、マーケットも大きくなりつつあり、セールスも上がっていた。そんなある日会社に行くと、全社会議が招集され、Cadenceに吸収買収されることが発表された。買収とともにCadenceに移り、senior application engineerになった。Cadenceでも日本以外を対象にする仕事をした。それはそれでおもしろかったが、目標とするマーケティングには全然近づいていなかった。チャレンジしたが、アメリカ人のマーケティングのスペシャリストと比べると上手くプレゼンテーションができない。きれいな英語でプレゼンできないと難しいことを実感した。
その時に思ったのが、「キャリア・チェンジにはやはり日本人なので日本のマーケットを対象にするしかないだろう。」ということ。そのころちょうど、スタートアップの会社からビジネス・ディベロップメントのポジションで誘いがあった。そのスタートアップのCEOがアメリカで一番最初に入社したスタートアップのCEOで、自分を覚えていてくれて電話が入った。そこで会社を移り、テクニカル・マーケティング、セールス、ビジネス・デベロップメント、日本やアジアの代理店の立ち上げなどに従事した。
やはり日本のバックグランドがあったからできたと思う。今でもよく感じるのが日本人は自分しかいないので、会社で自分に変わる人がいないこと。今はEDAの会社に席を置いているが、日本語ができる、日本の文化やカスタムを知っているので、いろいろな会社に転職できるのではないかと思う。最初はその部分が嫌で、よさには意外と気づいていなかった。ちょっとした発想の転換とか、自分自身が持っている一番強い部分を生かせばいろんなことができると学んだ。
竹内健氏
スタンフォード大学ビジネス・スクールの1年生を終わったばかり。何故エンジニアがビジネス・スクールに行ったのかというと、セールスやマーケティングや企画にキャリア・チェンジをしたいからではなく、エンジニアとして幅を広げたいから。生まれも、育ちも、妻との出会いも結婚も東京。30数年間日本のみで過ごし昨年の6月にスタンフォード大学にきた。
東京大学物理工学科修士課程を修了。従業員の10万人の東芝に入社。9年かけて入社当時全く世の中になかったフラッシュ・メモリー(メモリー・スティック、スマート・メディア、コンパクト・フラッシュなどのメモリー・カードに入っているメモリーで、デジカメの記憶媒体として使用されている。)を開発メンバーとして立ち上げた。この分野では東芝は世界のトップ・メーカー(50%以上のマーケット・シェア)となった。その後会社からの派遣で昨年スタンフォード大学に。
一生エンジニアリングに関わり合いと思っているが、単に研究室の中でだけでなく、マーケットを見ながら製品を作り上げていきたい。ポジションはその時その時に一番あったのを選びたい。
大学卒業後は、技術で良いものを作ればお客様は買ってくれると思っていたが、もしエンジニアにビジネスが見えていたら、もっと良いものを作れるのが分かった。例えば、技術を研究室で作れば学会で発表できるが、実際マーケットに届けるには、ビジネスの人々に分かるように説明しなければいけない。会社の中で事業として成り立たせようとすると、まずコスト、会計などが分かってないといけない。会社の全ての人がエンジニアではないので、ビジネス用語がエンジニアにとって宇宙語なように技術用語もビジネスの方々にとっては宇宙語。
ビジネス・スクールで一年経過し、知識がついてきた。会計やバリュー・チェーンなど実際勉強してみればそんなに難しくない。コストなどの内容も理解できる。大学の知識で説明できる。特に印象に残っているのはnon−market issue(市場以外の問題)に関する授業。例えば国の規制や訴訟問題などの法律などで、ハイテク企業でもそれらが必要。アメリカで何故弁護士事務所が大きいかわかった。世界で事業をするために必要なことだと思う。
得たものは「人」。日本の大学と違い、アメリカの大学では先生と学生は近い。仲良くなった先生がいて、知り合いの先生を捜してくれたり、卒業した後も関係が続けられる。
■ Q & A
質問:「Terasawa-さんは16歳でアメリカに来て大学を受験、その後アメリカの大学のエンジニアリング・スクール(工学部)に行くときなど、日本に戻れる機会があったはずなのに何故アメリカに残ろうと思ったか?」
Terasawa:「大学に入る時点、大学院に入る時点、就職する時点。日本に駐在していた時点。そのたびにアメリカを選んだ。日本に残る選択もありアメリカに戻ってきたが、特にアメリカか日本かとは考えず、自分にとってよいものを選んだら、たまたまいつもアメリカになっていた。大学に入るときは日本とアメリカで学期の始まり方が半年ずれていたし、アメリカにいた方が楽だった。大学院に関しても同じ。何かと楽で、そのままいればかなり質の高い教育が受けられたし変わる必要がなかった。就職するときも、日本の会社からもオファーがあったが、いろいろと考えて、アメリカに残った。」
質問: 「修士や博士は必要か?」
Vikki Yamazaki:「bio technologyではPh.D.はかなり必須。」
Terasawa: 「一概に言うのは難しい。Ph.D.を持っていると専門性が高まりすぎて分野が狭くなることもある。例えば履歴書がPh.D.である研究をしたとなっていると、それ以外の分野では採用することはあまりない。社内でPh.D.を持っている人は多いものの、入ってしまえばあまり関係ない。会社によるし、いろいろある。ケース・バイ・ケース。」
南:「スタートアップでは学位は関係なく、どれくらい仕事ができて、どのくらいのアウトプットが出せるかのほうが評価されると思う。しかし、大企業では、確かにキャリアを見てみると、それなりの学位を持った人が就くポジションというのがあるようだ。」
質問:「マネージメント・ロールにつくにあたり、勉強しておくべきことは?」

Vikki Yamazaki:「技術分野にいるので、技術がわかればわかるほどいい。ビジネスについてはその気になればすぐキャッチアップできる。それより、技術を深掘りする方が重要。ジャーナルを読んだり文献を読んだりして知識を深めたり。」
Terasawa: 「勉強したいことだらけで、竹内さんの話を聞いて「ビジネス・スクールに行きたいな。」とも思った。しかし実際の課題は、「いかにして技術的なことから遠ざからないか。」ということ。デイリーの仕事では技術の細かいところに踏み込んでいけないし。Ph.D.を取り立ての人が入ってくるとその人が一番その技術のことを知っている。」
南:「一番大事なのは「タイム・マネージメント」。エンジニアの時はある程度時間を自分で管理できるが、セールスでは、エンジニアリングのどこが遅れているとか、カスタマーからこういう要求が来ているとか、マネジャーがどうとか、社内でそれをプレゼンしろとか、他の人とインタラクティブなところがかなりたくさんあり、いろんなことを同時に平行しながらできるタイム・マネージメント・スキルが必要。9時から5時というような決まった時間でなくても、いろんな空いた時間を利用したり、週末に家から電子メールを送りコントロールしたり、電話を入れたりとか。」
質問:「日本の会社は技術者とそれ以外がまったく離れている。アメリカは技術者がセールスやマーケティングなど他の部門へ流動する。どちらがよいのか?今後どうなるか?」
竹内: 「日本企業からエンジニアがビジネス・スクールに来るのは異例だが、最近では途中で他部門にいったり、マーケティングに行ったり、そして元のエンジニアリング部署に戻すということもある。全体的な流れとしてはアメリカ的に変わってきているのでは。」
南:「どちらが良いかは難しい。アメリカのほうがエンジニアリング、ビジネス、セールスなどのボーダーを感じず、ファジーな部分が多い。セールスでも「何故そんなに細かいところまで聞いてくるのか?」と聞きたくなるくらい細かい技術的なことを知りたがる人もいる。アメリカのセールスが何故一生懸命エンジニアリングのことも知りたいかというと、売り上げを上げるプレッシャーが大きいから。特にスタート・アップの会社は四半期ごとの数字を出すことが一番の使命。どれだけ売れたかが給料に影響する。小さい企業であっても大企業であっても利益追求にベクトルが向いている。日本でもあるが、アメリカでは直接雇用と給料に繋がっている。」
質問:「南さんは最初の会社のCEOに声をかけられ現在の会社に移ったということだが、ある程度そこに好ましい関係があったからだろう。何か意識して努力してきたことはあるか。」

南:「大企業の副社長やエグゼクティブで、何度も日本に出張したような人だったら、日本人の知り合いもいるだろうが、私の会社のCEOは、おそらく身近にあまり日本人の知り合いがいなかったと思う。おそらく私が最初に一緒に仕事をした日本人だろう。人間関係が大事だとは思う。CEOは少し変わった人だった。 最初の会社は50人のスタートアップとしては非常に素晴らしいオフィスだったにもかかわらず、ジャージ姿でうろうろしていたおじさんがCEOだった。会社はCadenceに買収された後もすごく成功している。ただ、彼は今でも見た目はそのころのまま。シリコンバレーでは変わり者に気をつけよう。」
質問:「Terasawaさんにとって、長い間同じ会社で働いている長所と欠点は?」
Terasawa: 「自分の会社では7年勤めるのは珍しくない。よい技術があるし、辞めてほかにいく会社もあまりない。それに7年といっても場所も変わり、仕事も変わった。同じところで同じことをやっていたわけではない。」
質問:「男女差別はないか?アジア人女性として甘く見られることはないか?」
Vikki Yamazaki:「私のいる技術分野ではない。投資家であるベンチャー・キャピタルとの対応では覚えてもらえるという利点がある。他の職種では感じるのかもしれない。」
質問: 「30人の部下のエンジニアへの社内的な教育は?」
Terasawa: 「会社が大きいので教育はかなりしっかりしている。スタンフォード大学のクラスが取れたり、社内トレーニングのクラスがとれたり、サンディエゴのほうに5−6,000人の従業員がいるので、常に社内トレーニングがある。」
on セミナー情報 Posted by jtpa at 00:00
2002年08月27日
セミナー情報 : シリコンバレーの雇用状況
IMCA AmericaのManaging Director & CEOである立野智之氏に
「日本人として仕事を捜す」という観点から全般的にシリコンバレーの雇用状況を語って頂きました。当日使われたプレゼンテーションのPDFファイルはこちらからダウンロード下さい。
1. シリコンバレーの失業率7.6%は数字のマジック? (スライド3)
2. シリコンバレーの雇用状況。(スライド4)
1995年からのベンチャーに対する投資額を見ると、2001年、2002年は1999年、2000年のバブルの頃と比較すれば随分少ないが、1995年当時と比較すればそれほど悪くない。バブルの頃を抜きにして、1995年、1996年、1997年から自然に増加する線を引いていくと今がそれほど悪いわけではない、ということで個人的には悲観していない。
1999年と2000年の「バブル増加分」をオレンジ色の部分とすると、これがトータル300億ドルとなる。資金調達のほとんどは人件費に使われる。平均的には、社員一人の年間コストが大体30万ドル。一方で、シリコンバレーの求職者数は約20万人。このうちの半分の10万人がハイテク関係とすると、10万人かける30万ドルが300億ドル、とちょうどオレンジ色の部分の額と一致する。かなりこじつけではありますが。いずれにせよ シリコンバレーがかなりつらい状況にあるのは間違いありません。
3. どのようなプロフェッションの人がHOTか?(スライド5)
バブルの時にはスタンフォード大学のMBAを出てインスタントCEO(最高経営責任者)という方々はかなりいたが、現在そのような状況ではない。
この表はどのようなポジションがホットかというものを現している。セールスがインパクトを受けていて「曇り」、バック・オフィス(ファイナンスやアドミニストレーション)が「雨」、ビジネス・デベロップメント(戦略的セールスなど、「かっこいい」セールス)は「晴れ」で一番焦点が当たっている、マーケティング(特に、Marketing Communicationsと呼ばれている広告をうったり展示会ををやったりという部分)が厳しく「雨」、エンジニアリング「晴れのち曇り」、R&Dはもともと「曇り」、CEOのところは前年と比べると4割減くらいで「雨」。「雨」の職種の求人は前年比4割減。「曇り」は前年と同じくらい。「晴れ」のところはプラス10%くらい。
4. どのような会社が求人しているのか?(スライド6)
今年1年に投資を受けた会社の一覧表が出ているが、Information Technology (IT)が32%、ソフトウェアが31%、バイオ・テクノロジーが18%、ヘルス・ケアが10%、テレコミュニケーションが9%、これは非常に大事な資料で、投資された金額の7割から8割が人件費に消える。
IMCAのように人材のビジネスをしていると人件費にいくらお金があてられるかを見ることが商売のネタになる。この時期に投資を受けられる会社、特にEarly stage(初期段階)の会社には非常に良い技術があるので将来必ず成長していくだろうという見方をしている。さらに、この時期に3rd round, 4th round(優先株シリーズC、D)のお金をもらえる会社は生きのびていくだろうと見ている。それ以外の会社はどんどん死んでいくだろう。
実際に仕事を捜す人は、「2千万ドルくらいの資金調達をした会社は、これから積極的に人を採用していく会社」として見るといいだろう。資金調達状況については、http://www.ipo.comで無料で見ることができる。
5. どのような人材がポジションを勝ち得ているか?(スライド7)
実力に裏付けられたコネクションがある方、過去に一緒にいい仕事やプロジェクトをしたことがある方が非常に良い転職が出来ている。 また、今までは求人するスペックのうち、100点満点のうち60点くらい満たしていればいいという会社が多かったが、現在では、100点満点の求人スペックに90点以上フィットしないとオファーが出ない。それだけ厳しい状況になっている。
キャリア・パスに関しては、常に一貫したロジックのあるキャリア・パスが重要。つまり、あるときはセールス、あるときはエンジニアリング、あるときはマーケティングというように飛んでしまっていると、見た瞬間に履歴書にロジックがないのが明白。ところが、同じように、セールス、エンジニアリング、マーケティングとやっている人も、履歴書の書き方によっては、ロジックのあるように見せることもできる。自分でキャリア・パスを決めた場合もあれば、会社に振り回されて勝手にキャリア・パスができた場合もあると思うが、とにかく履歴書を書くとき、あるいは自分自身をプレゼンテーションする時に、見る人間にとってロジカルな経歴にするのが第一条件。
日本で働いてきた日本人、特に大企業の方の履歴書を見るとがっかりすることが多い。長い間、同じところで同じようなことをしてきていて、いざアメリカに来たいと思った頃には、既に手遅れで何もお手伝い出来ない状況になっていることがある。
6. 日本人にとっての米国内採用ニーズの傾向(スライド8)
ホットなのは、Business Development, Japanという、日本法人を作る前の状態での日本での事業開発。特に、エンジニアリングのバックグランドがあり、日本の市場を良く知っている方が求められている。また、日本国内で、Country Manager、Pre-SalesやPost-Salesというサービス・センター的なポジションもほっと。アメリカでの経験があると、日本へ戻った時の価値が上がる。それから、バイオ・テクノロジーやヘルス・ケアはホットで、バイオテックで日本の市場を開拓できる方は捜せないくらいに人がいない。求人企業に対して人材の数が少ない場所。
日系ハイテク企業に関しては、Head of Salesという職種での求人がある。例えばNational Sales Managerとして全米でソフトウェアなりハードウェアなり売るのが仕事。しかし、残念ながら日本人に対する期待は非常に低い。ここにはアメリカ人のプロを雇いたいということ。次は駐在員のReplacement(代わりになる方)だが、これは駐在員はローカル社員に比べて2.5倍から3倍のコストがかかってしまうのでここを削減するというのが動機。しかし、Replaceとしては、日本人ではなくアメリカ人が好まれる。「自分の部下にアメリカ人のローカルの人が並んでいるとカッコいい」という歪んだ希望があって、なかなかここにも日本人が入っていくのは難しい。
7. 最近のプロジェクト(スライド9、10)
ここ6ヶ月関わっている人材探しのプロジェクト。米国内で受けたプロジェクトで、ソフトウェア・企業がいくつか入っているが、こういったところは現在の環境下でもいまだ動いている。
今から日本に進出しようというベンチャーがいくつかあるが、これは日本のカントリー・マネジャーだったり、営業のトップといったような日本国内が職場の仕事。一番期待しているのは、日本のベンチャーの米国進出。ビジネス・プラン、組織構築、そのために必要な人材などをアドバイスしながら、Country ManagerとVice President2人、計3人のチームを私どもで探し出すというプロジェクトを2つ手掛けた。
8. キャリア・プラニングに関するアドバイス(スライド11)
CEO(最高経営責任者)になるのが一番カッコいいという意味ではないが、どんな職種からでもCEOになれるわけではなく、それぞれに天井が存在する。Back Officeをしていれば最終的なパスはCFOであり、CEOに行くパスは基本的にはない。R&DはCTOでおしまい。それはそれで幸せなキャリアではあるが。 CEOは、実はエンジニアリング、マーケティング、ビジネス・ディベロップメントという3つの箱を経験しているケースが多い。セールスの経験だけだと、非常にCash DrivenなのでVice President of Salesが天井。キャリア・パスには、会社の組織上の天井があるので、一体自分がどこにいて、何になりたいのか、これをベースに考えた方がいい。
絶対ありえないのがBack Officeの人がセールスに移ること。これは実は体の良い首みたいなもの。昨日まで会計をしていた人に営業をやりなさいというのは辞めて下さいというのと同じ。逆に営業の人にBack Officeに入れというのも同じこと。こうしたことをベースにキャリアをどこで積むのかを考えたほうがいい。繰り返しになるが、一貫したロジックのあるキャリア・プラニングを是非考えて欲しい。アドバイスとしては、毎年履歴書を書きかえてみて、一貫性があるかどうか反省をし、来年どうしようかと考えるのがよい。
1万ドル=1ヶ月のルールというのは、例えば、年収が6万ドルの方は仕事を変えたいと思った時点から次の職を得るまでにだいたい6ヶ月、10万ドルの給料の方は10ヶ月、12万ドルの給料の方は12ヶ月かかる、という現実的なルールのこと。
Perception vs. Realityに関しては、いくつかポイントがある。日本から駐在員として来て、あたかもアメリカのマーケットを知ってると勘違いをし、シリコンバレーに残って仕事をしたいという方には、基本的には仕事がない。逆に「日本の市場を良く知っているから、日本市場に向く製品は何なのか、マーケティングのしかけはどうあるべきか、ビジネス・デベロップメントをどのように仕掛けていくかを、アメリカにいながら担当する」という人には潜在価値がある。
もちろん、こちらのアメリカ人の方と、例えば、スタンフォード大学MBA卒と勝負が出来る方もいると思うが、多くの方はもう一度良く考えて、会社の求人側が必要としているのは何なのかということを良く考えてから行動を取られるのが良いと思う。
質問: 「COOとは何か?」
答え: 「ベンチャーでは、CEOのお客様は投資家であり、投資家に対してきちんとプレゼンテーションをしていくのが仕事。次に大事なのは顧客。こうした、マーケットと投資家向けにかなりの時間を使うのがCEO。社内向けの仕事はCOOがする。CEOになる前のINTERIMのポジションということもあるし、変なときにはCFOがCOOを兼務することがある。先の絵の「箱」のどこからでも行けるのがCOOだが、COOからCEOというのは少なく、外からCEOを連れて来る場合が多い。COOは中向きの仕事、 CEOは外向きの仕事なので、求められている能力が違うというように考えて欲しい。」
on セミナー情報 Posted by jtpa at 00:16 | Comments (0)
2002年08月26日
セミナー情報 : 「キャリア構築」アンケート集計結果
ワークショップ「キャリア構築」の出席者の方々に書いて頂いたアンケートの集計結果です。
■ ワークショップについて
満足度
・満足 ・・ 14名 ( 36% )
・まあまあ良かった ・・ 15名 ( 38% )
・普通 ・・ 9名 ( 23% )
・いまひとつ ・・ 1名 ( 3% )
・不満足 ・・ 0名 ( 0% )
(39名解答)
議題
・良かった ・・ 23名 ( 59% )
・普通 ・・ 16名 ( 41% )
・いまひとつ ・・ 0名 ( 0% )
(39名解答)
長さ
・長すぎる ・・ 1 名 ( 3% )
・丁度いい ・・ 35 名 ( 92% )
・短すぎる ・・ 2 名 ( 5% )
(38名解答)
今後のワークショップのテーマとして取り上げて欲しいもの
・スキルアップ ・・・ 25名
・日米転職市場 ・・・ 13名
・ビザ、グリーンカード ・・・ 8名
・生涯ファイナンス設計(年金、運用) ・・・ 7名
・生活情報(税金、年金、保険) ・・・ 4名
今回のワークショップの感想をお聞かせ下さい
・エンジニアからマネージャーになっている人が多いので驚いた
・結局、人だというのは同じだと再確認した
・集まっていた人のクオリティが高かった、プレゼンテーションはもっとフォーカスしてもらった方が良かった
・非常に刺激になりました。
・興味深い話を聞かせて頂きました。
・異なるキャリアの方の話を聞け、有意義な時間だった
・大変中身の濃いディスカッションでした。
・米国にきて10年になりますが、localな日本人のつながりがないと思っていました。今後、このネットワークが広がればと思います。
・質問時間を長くしたらよかった
・有意義な時間を過ごす事ができました
・色々なバックグランドの人の話が聞けて良かった
・楽しみました
・プレゼン他のキャリアが素晴らしすぎる。ミナミサンが参考になった
・刺激となるテーマだった
・有意義でした。パネラーもモデレーターも適切でした。
・エンジニアから他の分野へのキャリアチェンジとしては、自分と同様、日米両方での経験をしている人の話に興味があった為、今回は該当のパネラーがなく残念だった。内容は面白かった
・Excellent
・アメリカ流のオープンなネットワーキングシステムがなかったので、良い事だと思う
■ 議題 ( Career Development ) について
1. 現在の職種は何ですか。
・エンジニア ・・ 12 名 ( 36% )
・研究員 ・・ 7 名 ( 21% )
・開発 ・・ 4 名 ( 9% )
・学生 ・・ 3 名 ( 9% )
・マーケティング ・・ 2 名 ( 3% )
・その他 ・・ 3 名 ( 9% )
(33名解答)
2.現在の立場は次のどれにあたりますか。
・米国企業在勤 ・・ 18 名 ( 49% )
・日本企業駐在員 ・・ 8 名 ( 22% )
・日本企業からの派遣留学 ・・ 4 名 ( 11% )
・自費留学 ・・ 3 名 ( 8% )
・その他 ・・ 4 名 ( 11% )
(37名解答)
3.これまで何年働きましたか。
1) アメリカで
・0年 ・・ 6 名 ( 16% )
・0-2年 ・・ 15 名 ( 39% )
・3-5年未満 ・・ 5 名 ( 13% )
・5-10年未満 ・・ 5 名 ( 13% )
・10年以上 ・・ 7 名 ( 18% )
(38名解答)
2) 日本で
・0年 ・・ 1 名 ( 3% )
・1-2年 ・・ 1 名 ( 3% )
・3-年未満 ・・ 12 名 ( 34% )
・5-10年未満 ・・ 12 名 ( 34% )
・10年以上 ・・ 9 名 ( 26% )
(35名解答)
4.今までに転職は何回なさいましたか。
・0回 ・・ 13 名 ( 35% )
・1回 ・・ 8 名 ( 22% )
・2回 ・・ 2 名 ( 5% )
・3回 ・・ 5 名 ( 14% )
・4回 ・・ 2 名 ( 5% )
・5回 ・・ 3 名 ( 8% )
・それ以上 ・・ 4 名 ( 11% )
(37名解答)
5.現在の仕事は何年目になりますか。
・0-2年 ・・ 17 名 ( 50% )
・3年-5年未満 ・・ 9 名 ( 27% )
・5-10年未満 ・・ 5 名 ( 15% )
・10年以上 ・・ 3 名 ( 9% )
(34名解答)
6.現在の仕事に満足していますか。
・満足している ・・ 17 名 ( 50% )
・満足していない ・・ 17 名 ( 50% )
(34名解答)
7.現在のポジションのままがいいと考えますか、他のポジションに移りたいですか。
・現在のポジション ・・ 12 名 ( 36% )
・他のポジション ・・ 21 名 ( 64% )
(33名解答)
8.7で他のポジションと答えた方、どんなポジションに移りたいですか。
<技術系の方>
・他部門へ
・ソフトウエアエンジニア→ビジネスデべロプメント ・・ 1名
・システムズエンジニア→ビジネスデべロプメント ・・ 1名
・研究員→ビジネスデべロプメント ・・ 2名
・ソフトウエアエンジニア→マネージャー ・・ 1名
・技術系分野の中で他のポジションへ
・ソフトウエアエンジニア→アーキテクト ・・ 1名
・シニアソフトウエアエンジニア→創造的なポジション ・・ 1名
・日系企業から米系へ ・・ 1名
<技術系以外の方>
・今の職種の他ポジションへ
・プロダクトマネージャー→Higher Management ・・ 1名
・マーケティングスタッフ→プロダクトマネージャー ・・ 1名
・日系企業から米系へ ・・1名
9.アメリカでキャリア形成していく上で一番大切な事は何だとお考えですか。
・人脈 ・・ 9 名
・専門知識、スキル ・・ 9 名
・向上心 ・・ 8 名
・コミュニケーションスキル ・・ 7 名
・体力 ・・ 1 名
・職種の選び方 ・・ 1 名
・チャンスを生かす力 ・・ 1 名
・学歴 ・・ 1 名
■ JTPAの活動について
JTPAに対する希望がありましたら、お聞かせ下さい。
・日本人が起業する為の支援、及び事例の紹介をして欲しい。
・ビザに関するアドバイスを提供して欲しい。
・日本にいる、アメリカに興味をもつ技術者との交流会をするのはどうでしょうか。
・技術系を前面に出してはどうでしょうか。
on セミナー情報 Posted by jtpa at 00:29 | Comments (0)
2002年08月02日
コラム : Reed Taussig
「どんな不況のもとでも、最後までエンジニアたちの首は、切らないよ。」とCallidus Software(http://www.callidussoftware.com/)のReed Taussig社長兼CEOは、こう語ってくれました。さすがに、Enterprise Incentive Management(EMI)という「個人の能力を充分に引き出す動機を与えるような報酬制度を管理するソフトウェアー」を開発し、マイクロソフト、サンマイクロシステムズなど大手企業を顧客に持つ会社を代表する人の言葉です。エンジニアたちに能力を充分に出させている自信が伺えます。
「どんな不況のもとでも、最後までエンジニアたちの首は、切らないよ。」とCallidus Software(http://www.callidussoftware.com/)のReed Taussig社長兼CEOは、こう語ってくれました。さすがに、Enterprise Incentive Management(EMI)という「個人の能力を充分に引き出す動機を与えるような報酬制度を管理するソフトウェアー」を開発し、マイクロソフト、サンマイクロシステムズなど大手企業を顧客に持つ会社を代表する人の言葉です。エンジニアたちに能力を充分に出させている自信が伺えます。
経済が滞り始めた今日の不況は、国防予算増によって新たにビジネスチャンスを得た一部の企業を除いて、シリコンバレーにも及んでいます。その失業率は、全米の失業率6%を上回って、8%近くにまで上昇し、閉ざされたオフィスの後には入居予定もなく、空き率は、30%に上ります。事実、友人の中には、オフィスをたたんで、家のガレージで仕事を始めている人もいますし、子供の学校の出迎えの時などに立ち話をしていても、「解雇」という言葉が頻繁に飛び出します。「レストランコックになったエンジニア」とか、「修理人として家々を回る元エンジニア」という言葉もあながち嘘とは思えません。このように、世界各国から集まった優秀なプロフェッショナルたちの就職は大変厳しいものになっていますが、勿論、経営者側も四苦八苦です。
コンピュータ業界で23年の経験を持つTaussig社長の一言は、会社の枢軸は高度な知的作業をこなすエンジニアたちである事をよく理解しているからこそこんな状況の下でも発せられたのでしょう。"Knowledge Technologists"たちと呼ばれる、コンピューター技術者、プログラマーやデザイナーなど、手に職を持った人々がCallidusのような所では、高く評価されています。すでに「MBAは当たり前」となりつつある米国社会では、もう一歩特化した、知的プロフェッショナルたちの必要性が浮き彫りになりつつありますが、たとえ「手に職を持った人々」であっても、「スペシャリスト」というタイトルに甘んじるだけでは、不況に巻き込まれてしまいます。"Intelligence and Creativity"を強く求められるこの職種に携わる人々は、常に技術を最先端のものに保つために外部での勉強を怠りません。
「うちのR&Dは、とても多国籍なんだ。」とTaussig氏は、言います。米国国内、海外それぞれに3支店を持つCallidusでは、世界から集まった130名程のエンジニアたちが働いていますが、民族や習慣の特性を生かしつつ、また、それらの違いを超えて共通の仕事をこなしています。「日本人やドイツ人のプログラマーは、バグ消しに長けている。」「創造性は、米国人が少し勝っている。」「中国人とインド人は、バランスが取れているが、すぐに自分の会社を興そうとする。」など民族性を一般化する意見も聞きます。最初は、「何言ってるんだ。浮世絵、歌舞伎、そして漆などの日本伝統を作り上げてきた日本人の創造性を知らないなあ。」と反発するだけでしたが、これは、裏を返せば、「日本人は、まじめ、几帳面、そして、きれいな仕事ができる」という点を強調しているのだろうとも考えるようになりました。だからこそ、品質の極めて高い日本製品が世界に名を轟かせたのでしょう。この辺りでは、日本車、日本製カメラ、日本製化粧品、果ては、日本製便座にまで大変な愛着と信頼を寄せる米国人によく出会い、それにはむしろ、こちらが面食らう程です。
住友系列と仕事をした経験を持ち、日本について知識のあるTaussig社長は、「企業家精神旺盛な、個人の力でやってくる日本人が増える事は、重要な事だ。」と語っています。彼は、明治の近代化、第2次大戦後の経済発展を成し遂げた日本人の力を信じており、現在の日本の不況は、一時的なものだと考えています。
シリコンバレーは、国籍や勤務経験や学歴などに囚われずに、個人の能力を伸ばす努力を続ける場所を提供してくれますが、そこには、「決して、あきらめない」という精神が潜んでいます。前述のオフィスをガレージに移した人も、収入がなくてもあきらめず研究開発を続けていますし、「ソフト会社は、もって10年」と冷静に判断するTaussig社長には、その認識が次へのステップへ進むための動機付けとなっているようです。その彼にとって、歴史が示す日本人は、「あきらめない」国民という印象があるのでしょう。そして、そのような底力を持つ人間が集まる事によって、不況にあえぐシリコンバレーの景気回復になればという思いもあるように感じられます。
シリコンバレーに住む面白さは、企業経営者から大学教授まで、いろいろな国の知的プロフェッショナルたちが数多く身近に住んでいるため、ご近所付き合いの中ですら、世界情勢を肌で感じる事でしょう。子供を通して知り合ったTaussig一家と親しくなる事により、クリスマスや年末であっても、経営者はラップトップを家に持ち込み、電話を手元に取引成立の努力を重ねている状況を目の当たりにしました。
そして、彼らの日本に対する期待がまだまだ高い事実を知りました。我々日本人は、今後どのように窮地を乗り切っていくのか、世界から注目されている事を認識する必要があるのではないでしょうか。
筆者: Johnnie U.
on コラム Posted by jtpa at 17:16 | Comments (0)
プレスリリース : 「シリコンバレーでNPO起こしたわけ」
2002年8月2日 産経新聞「正論」欄より
本紙七月四日でも報道されたが、「ジャパニーズ・テクノロジー・プロフェッショナルズ・アソシエーション(JTPA)」というNPO(民間非営利団体)をシリコンバレーに設立した。 シリコンバレーには、プロフェッショナルとして活躍することを目指し、技術志向の若者たちが世界中から集まってくる。その競争と切磋琢磨(せつさたくま)の中から絶え間なくイノベーションが生まれてきた。シリコンバレー経済は今どん底にあるが、水面下での先端技術開発の勢いは衰えていない。いずれ「まだ見ぬイノベーション」を創出し、世界経済を活性化させる役割を担うことだろう。
on プレスリリース Posted by jtpa at 00:00 | Comments (1)
2002年08月01日
プレスリリース : 「シリコンバレーからの手紙」連載
フォーサイト誌 毎月連載(2002年8月号より)
シリコンバレーに住む日本人を毎回一人ずつ取り上げてインタビューしたもの。フォーサイトのトップページから左側バーの「シリコンバレーからの手紙」のリンクをたどるとバックナンバーを読むことができる。
on プレスリリース Posted by jtpa at 00:00 | Comments (0)




