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2003年07月13日

セミナー情報 : セミナー:Jobless Rate 8.5% 今企業が欲しがる人材 What's Hot, What's Not

テーマ ■今企業が欲しがる人材 What's Hot What's not
     ■Jobless Rate highest in 9 years での就職:理想と現実
     ■就職の窓口 ヘッドハンターの仕組み公開と上手なつきあいかた
IMCA America, Inc. Managind Directorの立野智之、八木博両氏をスピーカーに7月28日、Palo Altoにて開催しました。上記の3つのテーマを中心に、ベストなキャリアプランの作り方ノウハウが、具体的な事例、現在の動向とともに説明されました。

始めに八木氏より、シリコンバレーの動向とハイテクベンチャー業界について。
八木氏プレゼンテーションファイル

次に、研究者、技術者でありながら、ビジネスにおける重要な役割も担うキャリアをディベロップしていくモデルを紹介。ちなみに、バイオテック業界では、研究者がCEOになる可能性も高いとのことである。

一般的にプロのマネジメントが務めるCEOに研究者がなれる背景には人材育成に関して、日米の企業間に文化の違いが存在する。特にシリコンバレーでは、ベンチャー企業とベンチャーを育てるインフラ、つまり行政、産業界、大学など支援機関の連携が上手く機能しているのと同様、優秀な”人”を世界中から集め、その才能を育てる文化がある。また研究者出身、成功経験のある優秀な経営者・リーダーが若手の支援を惜しまない。

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引き続き、北米における転職・求職活動の実態について。失業率が過去9年間で最高である今、転職が容易でないのは事実である。その一方で、企業・人材は常によりよい人材・企業を互いに探している。八木氏によるとインターネット上では公開されないポジションの空きが現実に存在し、60%以上の転職が、友人・知人の紹介により決まっているとのこと。また、企業の技術・製品を発表する展示会もキャリアフェアとしての一面をもち、企業にとっては人材発掘のチャンスとしての役割も担っている。

では、企業にとって魅力的な”人財”としてキャリアをデザインするには、どのような意識をもち、自身の教育プランを実践し、組織における責任範囲を広げ、結果、活躍の場、キャリアアップの機会を増やすことが出来るのか?キャリアデザインのTipsを時系列にそって紹介しつつ(添付ファイル参照)八木氏はここでも再び、社内・業界の両方において、水平・垂直の2方向でネットワークを拡大することの重要性を強調された。

八木氏のトークは、バイオベンチャー業界における、イムカアメリカを通じた転職事例、企業クライアントへの支援事例、そして如何にリクルーターを利用すべきか?という求職者へのアドバイスで締めくくられた。

引き続き、イムカ Managing Director、 IT, Venture Management 担当の立野氏より、Job Marketの現実、求職者への具体的なアドバイスと転職の事例についてプレゼンテーションされた。

始めに、立野氏ご自身の経歴が、ご家族のエピソード、ユーモアを交えて紹介された。立野氏が、システムのエンジニアとしてキャリアをスタートされ、専門性をシステム開発の現場で高めながら、同時にマネジメントの経験を積んできたこと。そのプロセスで、複数の海外駐在を経験したこと、その経験を買われヘッドハンティングされ初めての転職にいたったこと。この一連のキャリアディベロップメントにおいて、立野氏はcross-culturalなチームに日本人として現地に派遣された際、チームでの責任や役割を理解され、ご自身を活かす方法を開発し、キャリアディベロップメントのmuscleを鍛えられたのではと感じた。立野氏のキャリアと転職にまつわるお話はさらに続いた。

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引き続き、最近のシリコンバレーのJob Marketについて。失業率は8.7%と公表されているが、実際のレイオフはさらに多く、問題の深刻さを指摘。ヘッドハンターは求人企業とのやりとりを通して、景気の動向を早めに知ることが出来るとのこと。故に、情報収集のためにも、求職者はヘッドハンターを利用するメリットがある。

失業率は高い一方で、現実には企業は採用を続けている。八木氏もふれていたように、企業は優秀な人材を常に求め、体力ある企業はレイオフと採用を同時に行っている。また現在の傾向のひとつであるが、ビジネスの中心である基幹部門の他に新規事業をたちあげる企業も多いため、求職情報を収集する際には、一見自分の専門分野外と思われる業界に目を向けることも勧められた。

次に、Job Searchのための具体的なアドバイスを、企業側の視点 – 企業がいかにイムカを使うか - を交えて語られ、参加されたみなさんの中にも、熱心にメモをとる姿が多く見受けられた。具体的なTipsとして、履歴書は応募企業ごとに書き換える、企業の動向を常に把握する努力、情報収集のためにリクルーターを利用するメリットを指摘。さらに、ご自分の転職経験にも触れて、70%の転職が口コミで決まっていることを説明された。

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立野氏のトークの最後は、現在シリコンバレーにおいてキャリアをデザインされているセミナー参加者へのエールという形で締めくくられた。
まず、求職活動のスタートが手遅れにならないように早めにスタートするということ。次に、キャリアデザインとライフデザインを考える際に、自分のプライオリティを明確にすることを勧められた。最後に、自分のキャリアをなぜシリコンバレーでデザインしようとしているのか、”Why シリコンバレー?”といま一度自分に問いかけることを呼びかけ、セミナーは終了した。

立野氏プレゼンテーションファイル

51名の事前申し込みされた方に加え、9名の方が当日申し込みで参加されました。
セミナー全体を通して、参加されたみなさんの集中力、モチベーションが印象深く、セミナー後のQ&Aやネットワーキングからも同じ印象を受けました。
皆様からのセミナーの内容に関するフィードバックからも、意識の高さを強く感じると共に、今後のセミナー企画に活かしていきます。
最後に、会場のキャパシティ、レイアウト、運営に関するコメントに感謝致します。

on セミナー情報 Posted by jtpa at 14:47 | Comments (0)

ニュースレター : No.6 2003年7月号


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Contents:
1 Oracle出身者が席巻するシリコンバレーのCRM業界
2 転職体験記
3 スタンフォードMBAのネットワーク
4 Meeting Rules
5 お知らせ
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1 Oracle出身者が席巻するシリコンバレーのCRM業界

藤枝妙子
藤枝さんはスタンフォードMBA出身で、現在はCRMソフトウェア業界に身を置き、Oracle出身者の活躍ぶりに注目してこの業界を観察しています。今度Oracleに買収されるPeoplesoftのトップであるCraig Conwayも、Salesforce.comのMark Benioffも同じくOracle出身。多くのリーダーを生み出してきたOracle関連人の情報を中心に、この業界でのキャリアパスの秘訣などについて藤枝さんにコメントしていただきました。

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2 転職体験記

赤間勉
景気が傾きだして以来、レイオフや転職が当たり前であるシリコンバレー。日本とはレイオフや転職に対する考え方が全く違うのが米国です。そんなシリコンバレーで、現在Anacor Pharmaceuticalsで働く赤間氏は転職成功組の一人。赤間氏に、転職の体験記(奮闘記!)を書き綴っていただきました。転職先の探し方から、実際の転職の手順まで詳しく書かれた内容は、最近レイオフされた方や、転職を考慮中の人には必読です。
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3 スタンフォードMBAのネットワーク

渡辺千賀
JTPA代表、そしてStanford University GSB出身の渡辺さんによる、またまた興味深いStanford MBA情報です。これは市販のMBAガイドブックでは見つからない内容です。「超」エリート学生がお互いを蹴落としあって年中勉強しているというイメージがあったStanford MBAですが、どうもそれだけではなさそうです。西海岸らしい明るい学生生活から、クラス内容、成績のつけ方、そして本題である「学生達がどうやってネットワークを築くか」を語っていただきました。
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4 Meeting Rules

JTPAニュースレター編集部
米国の職場で体験した有名なカルチャーショックといえば、やはり米国式「ミーティング」。問題解決の場として考えられるミーティングでは、日本人の知らないルールが沢山。JTPAニュースター編集部で行われたディスカッションをまとめました。ルールだけでなく、ミーティングを自分に有効に進めるための面白いアイデアも集めてみました。
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編集後記

「サマータイムが嫌いだ」とは、私の職場でよく聞くフレーズ。朝は日の出と同時に仕事を始めても、夜はなかなか外が暗くならないので、ついつい時間を忘れて残業してしまいます。仕事が終わっても、まだ外は明るいため、遊びに出かけてしまうことも多々。とくにスポーツシーズンなので体を動かすことが多くなります。これを毎日続けてみると、自分が随分と疲れていることにふと気がつきます。残業、遊びが増えているのに、睡眠時間は短くなる一方。夕暮れをのんびりと楽しめた冬が懐かしく感じるのは贅沢でしょうか?(編集部 戸谷)

質問は編集部newsletter@jtpa.orgまでどうぞ。
JTPAでは、わたしたちの活動に興味を持つ方々にとって役立つシリコンバレーの情報をお届けするために、ニュースレターを発刊することに致しました。JTPAの細かい活動報告を行うと同時に、シリコンバレーでプロフェッショナルとして成長していこうと思われる皆様をつなぐ役割を果たしたいと考えております。

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on ニュースレター Posted by jtpa at 11:35 | Comments (0)

コラム : Meeting Rules

■根回し
「根回しをそのままNemawashiといってアメリカ人の同僚たちに説明したら『おお新しいコンセプトだ』と受けた。

それ以降結構積極的に使っている人もいる」
「僕の会社(大手技術企業)では、発案側がブレーンストーミングを予めして討議のポイントを明確にした上で、会議出席予定者の中で関係者をいくつかのグループに分け、それぞれとプレミーティングをして説明をしておいて、円滑に本会議が進むようにすることも。これは日本の根回しに似ているね」
「でも、『自分の目の届かないところでこそこそやってる』と根回しを嫌うトップもいる。知り合いがそれでCEOの逆鱗に触れて危うく首になりかけた」
「会社によって、どういう風にミーティングを捉えるかが違う」
「関係者が全員いるところで問題を明らかにして、全員の知恵を借りてよりよい解決策を出そう、という発想が強い場合、根回し的行為は、折角のミーティングの良い点をそぐから嫌われる」
「注意しつつ有効に使えばいいんじゃないかな」

■ミーティングの意義

「ミーティングの場が問題解決の場。その場で意見を戦わせて、その場で何事も決定する。」
「そのために、予めきちんとagendaを決める、個々のagendaから外れたことを話すと嫌がられる」
「仕事の担当が細分化されていて、問題によって出てくる人が違う。Agendaを決めておくのは、それにしたがって必要な人を出席させるためにも必要」
「突然テーブル全員が当てられて意見を言わされて、その場で言ったことで全てが決定してしまうことも。後から、『あの時ああいえばよかった』とか思っても後の祭り。普段から良く考えておくこと、瞬発力的に知恵を出すことの両方が必要」

■準備

「Agenda、話すべきポイントを予めきちんと設定する。」
「相手から何かを聞くのが目的だったら、予め詳細な質問表を送付する。そうすると最適な担当者を出してくれる」
「特に知らない相手との始めてのミーティングの場合、相手のことを良く調べてから行く。ウェブは読みつくす。パブリックの会社だったら前の年のアニュアルレポートや、一番最近のSECのファイリングを読む。出席者の名前でGoogleするのもよい」

■コンファレンスコール(電話会議)

「よくやる。日常茶飯事」
「ある人と話している途中で『何とかさんも入れて話したほうがいい』とその場で3点電話にすることも」
「自分の席でマルチ・タスキングしながら参加している人も多い。カチャカチャとキーボードを打つ音が聞こえたり。そういう人はちゃんと聞いてないから、ミーティングで決まったポイントは必ず後でEメールで確認する」

■食べ物の重要性

「お腹がすくとみんな機嫌が悪くなる。ランチ前11時のミーティングなど最悪。」
「食べ物があると喜んでくるやつがいる」
「ドーナツを買っておいて、みんなに食べさせてシュガーハイの状態にして、一気にモノゴトを決めてしまうというのも有効」
「ランチ付ミーティングを餌に人を釣るという技もある」

■小技

「ミーティングで自分を有利にする小技がある。椅子を高くして威圧感を高めたり」
「逆に目立ちたくないミーティングのときを椅子を低くして小さくなってる」
「机の上にペンやらノートやらの自分の小物をあれこれ広げると、それが自分の陣地の役割を果たし、大きく広げると相手を萎縮させる効果があるっていうのも聞いたことがあるなぁ」
「自分の意見は特に言わず、いろいろと意見が錯綜した後でそれをまとめる発言をして締めると一目置かれたりするよ」
「でも、それは、一段レベルの高い総括ができる能力がないと、ただの繰り返す人になってしまうよね」

■ミーティングを円滑にする方策

「自分がいた会社では、ミーティングの10のルールというのが壁に貼ってあった。人の発言が終わるまで待つとか、いろいろな人の意見を聞く段階では他人の意見を批判しないとか、そういうルールを予め決めておく」
「場合によってはプロのファシリテーターを雇うのも有効。特に大勢が参加するフォーマルなコンファレンスコールだと、発言者が誰かわかるようにしたり、参加者の発言量が同じになるようにしたり、という気配りが必要。コンファレンスコールのシステムを提供する会社が提供してくれることもある」
「通常の会議でも、ニュートラルに徹して会議の進行を行うファシリテーターを導入するのも有効。自分が働いていたコンサルティング会社で、ファシリテーターのトレーニングを受ける機会もあったが役に立っている」

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ということで「ミーティングは前も最中も後も真剣に」が今回のTake Awayでしょうか・・・・。

on コラム Posted by jtpa at 11:27 | Comments (0)

コラム : スタンフォードMBAのネットワーク

「MBAはネットワークを手に入れるために取るものだ」とよく言うが、実際「ネットワーク」というものの実態は何で、それはどんな風に役に立つのか。

まずその前に、学校の雰囲気について。

スタンフォードのビジネススクールは「楽しく和気あいあいと楽しいところで、パーティーとアウトドアスポーツに明け暮れる」というイメージで知られるところ。それには、「他の生徒を蹴落としてまでいい成績をとる」というインセンティブが働かないよう、注意深く制度があることが大きい。例えば「成績を就職先に公開しない」というリシーがある。「就活動の際には成績表を提出、それを考慮して採用を決定する」というのが一般的だが、スタンフォードでは、キャンパスで行われる採用面接では企業側は面接相手の成績を聞いてはならないのがルール。

さらに、絶対評価のため、全員が落第しない授業も多い。(ハーバードのビジネススクールでは相対評価で、必ず誰かがその科目で落第点を取るようになっており、落第科目が一定数溜まると放校処分という制度らしい。大変そうだ。)これ以外にも、こまごまといろいろな方策が採られていて、闘争心むき出しにならないようになっている。

とはいうものの、世間の評判ほど能天気なところでもない。「隣のヤツに打ち勝とう」という人は少ないものの、「少なくとも回りに比べて恥ずかしくないレベルにあることを証明しよう」というプレッシャーは確実に存在するからだ。特に最初の数ヶ月間は緊迫した感じ。偉そうな口調で授業中に発言するクラスメートを近くで見ると、実は手が震えていたりする。

また、試験前だけ集中すればやり過ごせるほど楽なスケジュールでもない。1学期が2ヶ月ほどしかないため、授業が始まるや否や中間試験まで1ヶ月もないという、常に「フル稼働状態」なのに加え、授業の準備やこなすべきプロジェクトは莫大にあって、いつでも締め切りに追われる人気作家のような状態である。

また、競争より協力を推進するポリシーで抑えられているとは言うものの、元は闘争心(よくいえば「向上心」でもあるが・・・・)の高い人たちを集めたところでもあり、穏やかそうな表面の影に密かにテンションが存在する。例えば、多くの人がその本性を明らかにするのがスポーツ。大学を出てしばらく社会人をしている間に体がなまっているにもかかわらず、20そこそこのつもりでついムキになる人が多い。骨折か何かして松葉杖をついたり、腕をギブスで固めたりした人を結構見かける。(スキーシーズンの冬場はそういう人が常に複数いる。)バスケが上手いクラスメートの一人は、ビジネススクールのチームでバスケをするのは怖い、ともらしていた。スキルが高くないのに、真剣にぶつかってくるから、怪我をしそうだ、と。

一方で、「ガリガリ勉強してます」というイメージは避けたいし、せっかく気候の良いカリフォルニアにいるんだから、屋外バレーボールもしたいし、ゴルフもしたい。週末にはクラスメートの誰かが主催するパーティーが必ずといっていいほどあるが、それに顔も出したいし、毎週金曜の夕方、学校で行われるビールとスナックの屋外パーティーにはちょっと顔を出して、その後友達と食事をしに行ったりもしたい。。。。という「Socialization Pressure」もある。

このsocializationの方はもちろん参加するしないは本人の自由。しかし、「ビジネススクールは人脈を作るところ」と思ってきている人も多く、そのためにはいろいろな人とより深く知り合うチャンスは重要。前回(http://www.jtpa.org/siliconvalley/news/column/20030601/)述べたように、学生にとってはビジネススクールの2年間はその学費の高さから、気合の入った投資なので、socializationですら思わず一生懸命になってしまうのかもしれない。

それに、当たり前だが、多くのsocialization eventは、実際それをしている間は楽しいので、ついつい欲張ってあれこれやってしまう。かように、1週間7日間、なんだか朝から晩まであくせくしている間に終わってしまうのがビジネススクールの暮らし。楽しいが、時間に追われればやっぱりストレスにもなる。

「現実の仕事というのは、必ずこなしきれないだけの課題に囲まれ、それをサバイブしていくのが重要。ビジネススクールはそのシュミレーションとして、絶対にこなしきれない量の課題を与える」といわれることがあるが、さもありなん。

というわけで、こうした緩急双方のプレッシャーの中での密度の濃い日々を2年間共にした仲間とは、ちょっとした戦友的な結束が生まれるわけで、それがビジネススクールのネットワークの強さに結びついてもいる。

ということで、ここからが本題の「ネットワーク」について。

1)在学中に知り合う友達とのネットワーク。
学校で知り合った友人の輪。同級生、1年重なる一つ上か一つ下の代、加えて学校のスタッフやファカルティなど。何か分からないことがあるときに気軽に聞ける。もちろん、よりビジネス的「ネットワーク」としても活用可能ではある。転職活動で紹介を依頼したり、見込み顧客への仲介を頼んだり、といったこと。しかし、こういう「ビジネス的ギブアンドテイク」をあまり前面に出すと、友達としてはイマイチ付き合いづらくなるので要注意。

(なお、当地でnetworkingと言った場合、それはビジネスで役に立つ人脈を指す。友達づきあいはnetworkingとは言わない。今すぐ仕事にならなくてもよいが、いつか何かで仕事に役に立つことを目指して構築していくのがnetwork。)

2)卒業後に知り合う同窓生とのネットワーク
同級生以外でも、いろいろな年代の卒業生同士がネットワークを築けるようにと、オンライン・オフラインでいろいろな仕掛けがある。まずオンラインでは、こんな感じ。
■メーリングリスト
ハイテク、バイオ、など業界別から、卒業年次別、ベイエリアなど地域別のものなど、数十のリストがあって、卒業生であればどれでも登録可能。求人情報もあって、毎週何十個かの求人情報をまとめたものが送られてくる。

■卒業生のデータベース
名前、住所、勤務先、卒業年次などが詳細に入った卒業生のデータベースを学校が管理している。卒業生であればインターネットでログインしてアクセス可能。どんなデータをインプットし、そのどの部分を公開するかは本人の自由だが、多くの人が結構細かいデータを入れている。私は、企業間アライアンスのサポートという仕事上、知らない会社に連絡してアポを取る、ということがとても多いのだが、このデータベースが役に立ったことが何度もある。時価総額数千億円の大手公開企業のSVP(上級副社長、と訳される。要はかなりトップに近い人。)にメールを出したときは、本人から電話で返事をすぐもらえた。あるときなど、1967年の卒業生という人に恐る恐るメールを出したのだが、(この人は、私がコンタクトしたいと思っている会社の投資家でボードメンバーだった)ちゃんとすぐ返事が返ってきて驚いた。紹介があるとないとでは、随分アクセスの容易さが違うので、連絡を取りたい会社の名前で検索して誰かの名前が出てくると、かなりうれしい。

■卒業生が推奨するベイエリア・サービスプロバイダリスト
これは、とある卒業生が気合を入れて作ってくれているもので、学校のオフィシャルなものではないのだが役に立つ。ベイエリアに住む卒業生が、自分が利用するサービスプロバイダでよいと思う人や会社に関して、名前や連絡先、簡単な推薦文を申告、それを一覧表にして送ってくれる。(推薦できる先を提出した人だけが受け取れるようになっている。)内容は、会計士、弁護士から自動車修理、引越し屋、インテリアデザイナー、美容師まで多種多様。今年のリスには総計732の薦があった。リストには推薦者の名前も載っているので、予めより詳しく話を聞くこともできる。アメリカという国は困ったことに人間の能力の個人差が非常に大きい。自分の住所を間違えて記入するような弁護士、口座の開設の仕方もきちんと把握していない銀行員など、頭を抱えるようなサービスプロバイダーがたくさんいるので、こういうリストが役に立つのである。

オフラインでは、いろいろなイベントがある。学校がオフィシャルに運営しているものとしては、数年に一回行われるフォーマルな行事であるreunionに加え、卒業生を対象としたキャリア関係のセミナーなどがこまごまと常時行われている。また、卒業生同士で集まって運営している失業者の勉強会もある。(私は行ったことがないのだが、毎週何時間も必ずミーティングをし、求人情報を交換したり、相互にresumeを添削しあうなど、かなり濃厚なものだそうだ)

***

スタンフォードMBAの4割以上はベイエリアに住んでいるため、多くのイベントはスタンフォードか、そうでなくともベイエリアのどこかで行われる。私は卒業後いったん日本に戻って、数年してからまたベイエリアに来たのだが、ネットワークの活用という意味では、こちらに来てからの方が数段密度が濃い。

しかし、卒業生のネットワークがベイエリアに集中しているというのは、スタンフォードが抱える困った問題でもある。「地元の人たちだけがよく知っている地方の学校」になってしまう危険がある上、ネットワークに広がりが出ないからだ。グローバルに卒業生が散らばるハーバードと比較し、これではいけないと、スタンフォードのファカルティーが集まって対策会議を開いたこともあったと聞いた。しかしその会議の結論は「みんなこの辺に残りたい気持ちはよくわかるから、もはや手の打ちようがない。諦めよう」という気の抜けたものだったそうだ。

スタンフォードMBAがベイエリアに集中しているのを最初に実感したのが、在学中のクラスプロジェクトで「ごく普通の中産階級の人たち」にアンケート調査をしようとした時だった。プロジェクトチームメンバーで考えて、安いので有名な洗車場とか、Safewayとか、Tower Recordとか、そういう「普通の人」が集まりそうなところに出向いていって聞き取り調査をしたのだが、全然「普通の人」に出会えずショックを受ける。(Tower Recordからビニール袋を提げて出てきたTシャツ・短パンにビーチサンダルのおにいちゃんが「家のインターネット回線はT1引いてるんだ」とか。TIとは企業向けの専用線で、当時毎月何千ドルもしたはず。)それにも増して印象的だったのは「ビジネススクールのプロジェクトで、、」と説明すると、何人もの人が「ああ、僕も卒業生だよ」と言ってきたこと。格安洗車場だろうが、Safewayだろうが、ベイエリアでは犬も歩けばスタンフォードMBAに当たるのである。

というわけで、卒業生がザクザクいるベイエリアでは、スタンフォードMBAのネットワークも強力ですばらしいのだが、一方で希少性に欠けるという大いなる問題を密かに抱えてもいるのであった。

on コラム Posted by jtpa at 11:26 | Comments (0)

コラム : Ph.D転職体験記

2003年1月21日、私が勤務していたバイオベンチャー、Geron Corporationはレイオフを発表した。そして私もその対象になってしまったのである。初めて経験する解雇宣告。それまでの「明日はわが身」的雰囲気から一転、本当にその日「わが身」のことになってしまった。

実は当社のレイオフは半年前にも一度あったのだが、この時は我ながら見事にかいくぐった。10人ほどのメディシナルケミストリー(医薬化学)グループの同僚全員(その他にも30余名)が去る中、私一人が残ったのだ。しかし今回はかわし切れず、昨年来数名のバイオロジストと共に細々とやっていたプロジェクトがついに解散となってしまった。

皆さんご存知のように、昨今のシリコンバレーはレイオフバレーである。これはIT業界ばかりでなく、バイオ業界も然り。これを書いている2003年6月にもまだ、いくつかのレイオフのニュースが報じられている。しかし考えてみると、日本の大企業には「転勤」という、自分の意思とは関係のない異動があったりする。次の職場と収入が保証されないところが大きく違うけれど、レイオフも転勤と似たところがあるかも知れない、というのは飛躍が過ぎるだろうか。転勤が不満で会社を辞めてしまう人だっているし、レイオフされてもその後もっといい職場が見つかることだってないわけでもないのだし・・・。

1月に話を戻すと、実はいったん宣告された解雇が私の場合のみ一時撤回される事態となった。あまり詳しいことは書けないのだが、一言で言えば社外のビジネスパートナーが当面スポンサーになってくれたのだ。ビジネス的足長おじさんみたいなものである。当面時間的な猶予ができたわけだが、これがいつまで続くかわからなかったのと、いったん気持ちが離れてしまったこともあって転職活動を開始した。私はとにかくシリコンバレーにいたいのである。大袈裟に言えば荒れ狂う不況の嵐に向かってオートロックのドアを開け、鍵を持たずにドアを閉めた気分といったところだろうか。でも何とかなるさという気持ちはあった。そしてせっかくだからこの新しい経験を楽しみながら、この機会にできれば株式未公開のいわゆるスタートアップ企業に参加してみたいと思った。

私は他人が作ったスタートアップへの参加というのも、一種の積極的な投資だと考えている。ファウンダーやCEOがどんな天才だったとしても、社員となって献身的に働く人々がいなければ事業は成り立たない。当たり前だが天才だけでは何もできないのである。そこに弁護士や会計士、投資家などが集まって形を整え、社員を集めて事業を稼動させて初めて何かが起こるという意味で、一般社員たちだってベンチャー企業の必須アイテムなのだ。投資家はお金を入れて事業を育成し、対価に株式を得てキャピタルゲインによるリターンを期待する。個人である私はその会社の実務に必要な能力と労働力を投資する。投資と言う言葉の用法として正しいかどうかわからないが、要するに日々の給料と共にある程度のストックオプションも得て、成功の暁にはやはりそれなりのリターンを期待する。ベンチャーキャピタルは複数の会社に投資してリスクを分散する。私はいくつもの会社に労働力を分散できない代わりに、事業の成否に関わらず一定の給料を得るのである。

さて、最初にしたのはウェブサーチ。ここ数年来インターネットでの求人、求職が急速に広まっている。原則としてオープンポジションは必要なときに必要な数しか出ないので、1ヶ月前ならあったのに・・・、なんてこともよくある。転職はタイミングも命である。私はその時点で、自分に合っていそうなopen position2つをチェックした。次に電子メール。Geronの元同僚を中心に、日本人も含めて同じ業界のできる限りの知り合いに求人情報提供を依頼した。ベンチャー企業における従業員の回転は早く、レイオフがなくてもある程度コンスタントに人が移動している。そういった元同僚、さらに昨年のレイオフにより散っていった多くの元同僚等がこういう時に役に立つ、と言っては語弊があるが、それは事実である。そしてこれが仕事上最も重要な、個人のネットワークでもある。一方JTPAや、同じく昨年発足したJapan Bio Community (JBC) のネットワークを通じて得られた貴重な情報もあった。

そうやって公開および非公開情報から得たバイオベンチャーの求人に対して10社程、レジュメを送った。ほどなく面接の連絡が入り始め、結局5社に面接に行った。おもしろかったのは、ある友人に送ったレジュメがそのまた友人に渡り、さらに別の友人に渡った結果、最後の人の会社が興味を持ったために連絡をもらったケースで、私は間に立っていただいた人には会ったこともないのに、面接まで行ってしまったことである。昨今の雇用状況では面接までこぎつけるのでさえかなり難しい場合も多いのだが、個人の紹介というものの威力を感じた。また時には表立って求人広告を出していない場合もある。知人の紹介を通じてのみ候補者を探したい場合だ。ある会社からはこのような形で面接の機会を得た。上記のいずれも個人のネットワークの重要性を物語る例と言えるだろう。

面接の連絡は通常、まず電話で入る。私がまだ求職中かどうか、さらにその会社に興味があるかどうか確認した上で、日程調整になる。採用側も極力無駄は排除したいのだ。面接はほぼ1日がかりで、相当な人と時間を費やすからである。Ph.D.研究員の場合、まずセミナーをする。これまでやってきた仕事について、差しさわりのない範囲で1時間ほど使ってのプレゼンテーションと質疑応答。その後、採用されれば同僚になる予定の部署の人たちと、一人ずつまたは数人のグループで30分から45分ずつ面談。もちろん上司になる予定の人とも話す。小さめの会社の場合、CEOと会うこともある。概ね応対はフレンドリーで、意地悪な質問などめったにないのだが、全て英語なので(現地企業なので当たり前だが)アメリカ生活2年半、40歳目前の私としてはヒジョーに消耗することこの上ない。しかし考えようによっては、無料(どころかランチ、時にはディナーつき)だがこれ以上ないほど真剣な英会話トレーニングとも言える。何といっても自分の人生がかかった場面なのである。さらに余談になるが、面接に行った5社中1社で、それまで知らなかった日本人研究者と出会うことができた。ITと比べてバイオ業界はさらに現地採用の日本人が少ないのだが、面接に行くことでこうした知り合いを増やすという意外なおまけもあった。

そうこうするうち、2月12日にある会社(D社)がオファーをくれた。いわゆる内定通知である。残念ながらこの会社は私の本命ではなかったのだが、研究担当ディレクター、人事担当、CEO、CFOと毎日のように電話がかかってきて、これでもかとばかりの説得工作を受けた。そこまで私を必要としてくれるのなら・・・とも考えたが、あれこれと回答を引き延ばしているうちに3月8日、私の本命であったAnacor Pharmaceuticalsという会社からオファーの連絡が届いた。そこでD社からの条件も使いつつAnacor社と条件を交渉して、給料もその他の条件も一応納得できるところまできたので、3月下旬、オファーレターにサインした。こう書くといかにもとんとんと話が進んで簡単に決まったように見えるかも知れないが、私のスポンサーとなっていただいていたビジネスパートナーからの慰留や、ちょうど雇用を通じて申請中だった永住権の問題等も含め、考えなければならない要素がたくさんあった。二つの会社の上司と人事担当、ビジネスパートナー、それに移民弁護士も含め、あちらこちらと相談した結果、最終的には6月13日までGeronでフルタイムとして働き、それまでの間4月から夜間パートタイムとしてAnacorでの仕事もスタートすることになった。要するに仕事の掛け持ちである。何事も個人を基本とし、また何事も交渉次第のこの国ではこんなことも可能なのだと知り、けっこう驚いた。直接の競合はないものの、どちらもdrug discoveryという同じ業界の会社なのである。ともあれ掛け持ち期間も無事終了、6月16日にようやくAnacorの正社員となり、結局トータルで5ヶ月近くに及ぶ転職活動が終了した。
ところで誰もが気になる給料などの交渉だが、これは原則としてオファーを得てからである。そこまで到達してようやく、こちら(求職者)側のパワーが増大するからである。現在採用側は選びに選び抜いてあなたにオファーを出す以上、代りの候補者はたくさんいるとは言え蹴られたくはない。その時点で必ず交渉できるので、そこまではお金の話などこちらからは持ち出さず、とにかくオファーを出させることに全力を注がなければならない。

転職というのは縁だ。大切なことは、求人が出ているポジションに自分がどれだけぴったりはまるかということである。もちろん採用側だってこの人ならぴったりだと思わなければオファーは出さないだろうが、自分自身がどれだけそのポジションに合っているかをよく確認しなければならない。Over qualifyということもある。求められる技術や経験を大幅に上回ってしまっている場合も、採用されないということである。また自分がやりたいことやできることと多少違うけれど、とりあえず・・・、などということはやめた方がよい。そうは言っても他に選択の余地がないという場合もあるかも知れないが、そういう場合は短期と割り切り、もっと自分に合う仕事を探し続けるべきだろう。

ベンチャーは浮き沈みが激しい。いい時はいいが、傾いてくるとかなり厳しい状況になるし、実際、簡単に傾く。従って、基本的にひとつの会社で長年働くという前提はないに等しい。時には死にそうに見えた会社が不死鳥のように蘇ることもあるが、いずれにせよ数年で転職というのは当たり前だ。最後に、私なりに感じるシリコンバレーのベンチャーにおける就職、転職のエッセンスをまとめると次のような感じになる。

同じ業界での個人の人脈(ネットワーク)
ポジションの見極め(自分に本当にマッチしているか)
ベンチャーで働きたいか(リスクを楽しめるか)

今回の私のケースはあれこれと例外が多いような気がするが、誰にとっても人生は例外だらけ。就職、転職を考えている方にとって多少なりとも参考になれば幸いである。もっと詳しくと思われる方は私のウェブサイト をのぞいてみてください。

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赤間 勉 (Akama Tsutomu)
Senior Scientist, Medicinal Chemistry
Anacor Pharmaceuticals, Palo Alto, CA

1989年東北大学工学部応用化学科修士課程修了、協和発酵工業入社。医薬研究所合成G配属。1998年工学博士(新潟大学)。2001年8月よりGeron Corporation。2003年6月よりAnacor Pharmaceuticals。また2003年4月より日本のバイオベンチャー、アフェニックス社のケモインフォマティックス部門社外アドバイザー兼任。この間ずっと、医薬化学(Medicinal Chemistry)研究に従事

on コラム Posted by jtpa at 11:19 | Comments (0)

コラム : Oracle出身者が席巻するシリコンバレーのCRM業界

OracleのPeopleSoft買収のニュースが今テクノロジー業界を賑わしている。Oracleと言えばシリコンバレーのEnterprise Softwareの中核的存在だが、あまたの優秀な人材を送り出すのでも有名だ。

買収関連の記事を読む度に、Oracle出身者が業界で大活躍している事が目につく。今回はシリコンバレーのOracle出身者の活躍ぶりに着眼し、この業界についてコメントをしてみる事にする。
(なお、本文はあくまでも私の個人的な見解で、会社としての見解とは全く関係ありません。)

本題に入る前に、まず筆者である私のこれまでの経歴を簡単に紹介したい。

1996年9月、スタンフォード・ビジネススクール入学の為に東京からシリコンバレーにやって来た。4社程の会社を経験して、Siebel Systems (Siebel)というCRMに特化したEnterprise Softwareの会社に勤めてもうすぐ丸三年になる。シリコンバレーでの最初の職場はSilicon Graphicsで、箱売り(サーバー)からソリューション・セリングに移行する過程における、ソリューションのパッケージング及び営業へのメッセージングの展開に携わった。キャンパスでは事務のお姉さんがローラーブレードで駆け回り、同僚の犬がウロウロしている。これぞまさにシリコンバレー、と感銘したものだ。その後、バブル絶頂期には例にもれずビジネススクールの同級生の創立者のもとで会社を起業。非効率で大きなマーケットである地元商店向けWeb ソリューション市場を誰にも先駆けて制覇する為に、社員全員週7日毎晩夜中迄働いた。夢、成功、そして富への追求は疲れを知らず、投資家・ベンチャーキャピタリスト・アドバイザー・顧客のフィードバックを受け、絶えずビジネスモデルを変更した。資金調達は各メンバーのネットワークを駆使したが、「リード投資家がいたら投資をする」と言ってくれるベンチャー・キャピタルを見つけても、誰もリードしてくれない。(今考えると、婉曲に断られていたのだとも思うが・・・。) わらにもすがる思いで、「Optical Networking」ならお金が集まりやすい、と聞いて、その分野となんとかつなげられないかと真剣に考えた事もあった。「もう少し頑張れば、、、」という希望をどこで捨てていつ諦めるか、というのはリーダーにとって一番難しい決断だという事を知った。

会社の資金と共に私の貯金も底を打ち、次は安定している業界でしばらく食べていくに困らない仕事につきたいと考え、CRM(Customer Relationship Management)業界のリーダーであるSiebelのシリコンバレー本社に就職した。ビジネス関連の社員は毎日スーツ着用義務(シリコンバレーのテクノロジー会社では唯一と言われている)、机ではものを食べてはいけない、等厳しい規則で有名な会社である。毎年トップビジネススクールから選りすぐった数十名のMBAの新卒を採用し、overachieverの競争精神をくすぐるように、一斉にスタートさせてサバイバルゲームを実施する。同期同士を競争させる日本の新入社員制度の「筋力強化版」である。実際、私のグループのメンバーもほぼ全員MBAホルダー。会社の隅々まで社員は皆規律正しく、トップの指示に従う。「お客様第一」を社内スローガンとして掲げ、セールスサミットでは、エベレストでの遭難から奇跡的に生還した人を呼んでスピーチをしてもらう。「生き残る為には何でもする、という意気込みでお客様に尽くせ」という事だ。迫力のある徹底した経営ぶりである。そんなSiebelで、「シリコンバレー」イコール「自由奔放」ではない事を知った。CRMを含むEnterprise Softwareはお客様のミッション・クリティカルな基幹システムを提供し、かなり多額な投資を要求する。そういう商売をするには規律が不可欠なのだ。Siebelのカルチャーはトップで創設者であるTom Siebelの影響が大きい。彼は今世間をにぎわしているOracleの出身者だ。TomとOracleのLarry Ellisonが仲が悪いのは有名な話で、プレスでも絶えずお互いの会社をたたきあっている。毒舌で有名なLarryが"Siebel [社] will vanish"と公言したのはつい最近の事である。

それにしても、伸びている会社というのは、新しい製品を世の中に生み出すばかりでなく、優秀な人材を世の中に送り出す傾向がある。成功体験は優秀な人材のスキルをさらに伸ばすらしい。(JTPAの渡辺さんのblog参照(http://blog.neoteny.com/chika/archives/003842.html))Oracleがそのよい例で、シリコンバレーのEnterprise Software業界で多くのリーダーを生み出している。CRM業界だけ見ても大勢いる。Tom Siebelの他にも、PeopleSoftのトップのCraig Conway、CRMのASPで成長中のSalesforce.comのMarc Benioffも皆Oracle出身者である。

というわけで、OracleのPeopleSoft買収はCraig Conwayにとっては「出戻り」になってしまうわけだ。

PeopleSoftは1987年に創業以来、人事の基幹システムを開拓。創設者のDave Duffieldは社員の皆に愛され、Dadという愛称で慕われ、自由奔放なカルチャーを育んだ。しかし会社が1990年後半にかけて危機に陥ったところで、新しくCEOとして迎え入れられたConwayが見事なる復活を見せる。Conwayはまず、PeopleSoftに厳しい規律を導入したことで有名だ。彼がもたらした改革は、PeopleSoftのそれまでのカルチャーを大きく変え、その過程で辞めていく人間も少なくなかったという。先日長年PeopleSoftに勤める知り合いと話をしていたら、彼女は
「今はもう前とは全然違う会社ね。数年前だったら私は毎日ジーンズだったけど、今ではビジネスカジュアルだし、こういう小さな事でもずいぶん違って来るものよ。」
と言っていた。

PeopleSoftでは、人事システムに加え、中堅どころのCRM会社だったVantive等の買収を通してCRM業界の知識と顧客ベースを手に入れ、今ではCRMも事業の柱としている。トップが変わる事でここまで会社が変わるのか、と競合ながら見事な復活ぶりに感心せざるを得ない。

CRM市場をASPモデルで攻めるsalesforce.comのトップのMarc BenioffももとOracleである。salesforce.comはマーケティングにたけており、つい最近も”No Software, No Siebel”(salesforce.comはASPなので、ソフトウェアを導入する必要がない。対して、Siebelでは複雑なソフトウェア導入が必要。そこで、「ソフトも要らない、Siebelもいらない」と言っているのである。)というコピーを利用したキャンペーンを実施していた。Larryも一時はsalesforce.comのボードメンバー、彼が抜けた後の席を埋めたCraig RamseyもやはりOracle出身者で、かつSiebelの初期のVP of Salesである。一旦ある業界で経験を積むとその道の専門家として生きる人が多いとはいえ、もとOracle出身のexecutiveが業界のリーダーシップを席巻している様はちょっと異様ですらある。

もと同僚、もと上司,もと部下が競合として健全な競争(多少トップ同士の個人的趣向が入っているような気もしないではないが)を行う。また、トップだけでなく中堅で活躍する人材も非常に流動性がある。私の仲間をみても、Salesforce.comで働く友人も、Siebelに勤める友人もOracle経験者だ。とはいうものの、ちょっと微妙なのが、関係のある職歴は歓迎されるが、job hopping(職を転々と移り変わる)は嫌がられること。「石の上にも3年」はシリコンバレーでも適用されるのである。その中で、当たり前ではあるが、将来的に誰とどういう形で一緒に仕事をする事になっても良いよう、誰に対してでもプロフェッショナリズムをもって接する事が要求される。

Oracleに続いて「金の卵」を産む会社は?

どの会社でもそうだと思うが、新しいビジネスアイディアに挑戦したり、他社に転職する同僚が次々とSiebelを去って行く。私としては5年後、10年後には是非Siebel出身者がいろいろな形で活躍し、次世代のリーダーになっていく事を期待するが、こればかりは箱を開けて見ないとわからない。Siebelで働いていた事がBadge of Honorとなる事を祈り、しばらくは身を削って働く事になりそうだ。

on コラム Posted by jtpa at 11:16 | Comments (0)

2003年07月11日

ニュースレター : No.5 2003年6月号

はじめに

今月は、先月号に引き続きアメリカの学校関係の記事を、工学部マスターとMBAの2つ取り上げています。また、前回のセミナーのアンケート結果や、英語と日本語の相違についての座談会録、スタンフォードでNetscapeファウンダーだったMark Andreessenのスピーチの内容もあります。お楽しみ下さい。

■■特別なお知らせ1:6月6日JTPA設立1周年記念パーティー■■

JTPAでは設立1年を記念して、カクテルパーティーを開催します。ベイエリアのアウトドアの雰囲気が満喫できるCalifornia Cafeを会場とし、また東芝、HP、TI、スタンフォードと日米で華麗なキャリアを構築されてきた西義雄教授の講演も行います。ふるってご参加下さい。 (要予約)


■■特別なお知らせ2:賛助会員制度発足■■

JTPAは皆様からの寄付で運営されるNPOです。このたび個人で寄付を頂いた方を対象に賛助会員制度を設けることとなりました。制度発足の記念に、一周年記念パーティーでは大幅な会員割引をご提供します。

なお、ニュースレター編集部では、皆様からのご意見や、編集・寄稿ボランティアを
求めています。是非Newsletter@jtpa.orgまでご連絡下さい。


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Contents:
1 スタンフォードMBA
2 Graduate School in US
3 「起業にまつわる10のパラドックス」 Marc Andreessen氏講演を聞いて
4 JTPA4月イベント・アンケートサマリー
5 「日本語にできない英語」「英語にできない日本語」
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 スタンフォードMBA

渡辺千賀
「スタンフォードMBAはすごい!」とイメージが先行するスタンフォードGraduate School of Business。実際にスタンフォードでMBAを修了した渡辺さんに、スタンフォードMBAの「真実」を統計に基づいて解説いただきました。MBA前後の給与の格差や、実際にMBA取得にかかる費用など、スタンフォードMBAの真実の価値を知りたい方には必読(!)の内容です。
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Graduate School in US

佐藤真治
佐藤氏はスタンフォードの大学院卒業。ここでは米国大学院の仕組みについて包括的に語っていただきました。佐藤氏には、米国大学院の社会的スタンスを明らかにしていただいた上で、大学院のための設備、教授の質、そしてクラスの内容、という3つの局面から米国大学院の性格を解説していただきました。
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「起業にまつわる10のパラドックス」 Marc Andreessen氏講演を聞いて

村山尚武
去る2月22日、スタンフォード大学ビジネススクールで開催されたAnnual Stanford University GSB Conference on Entrepreneurshipにおいて、ネットスケープ社(現AOL)の設立者であり、インターネットにブレークスルーをもたらしたNetscape Navigatorブラウザーの発明者でもあるMarc Andreessen氏による講演が行われました。テーマは「起業にまつわる10のパラドックス」というもので、Marc Andreessen氏による起業における一般常識を覆す興味深い考察を耳にすることが出来ました。Stanford University GSB出身である村山氏によるレポートです。
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4 JTPA4月イベント・アンケートサマリー

松宮博
4月30日にJTPAは「シリコンバレーで働く:日本からの社内移籍によるキャリアプランの構築と成功のための留意点」と題したイベントを開催しました。出席いただいた参加者の中から、実際に日本から移籍してきた方々を対象として、アンケートを行いました。移籍しようと思った動機や、移籍後の感想、シリコンバレーで働くにつき重要な点等を記入していただきました。将来、米国に社内移籍を考えている方にとって、とても有用な情報です。
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 「日本語にできない英語」「英語にできない日本語」

編集部
今回は「日本語にできない英語」「英語にできない日本語」です。表現する言葉がないということは、その概念自体がないということ。ですから、二つの言語を比較して直訳が難しい言葉を捜していくことで、英語を母国語とする人と日本語を母国語とする人との思考方法の差を探ることができ、なかなか興味深い「雑学的・言語による文化比較」ともなりえます。今回はこのテーマで編集部座談会を行ってみました。
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編集後記

不景気は悪いことだけでも無さそうです。この間、久しぶりに自動車のディーラーシップを覗きにいきました。3年前にはあんなに強気だったセールスマンの態度の変貌ぶりに驚かされました。昔なら、一言「高い」と言えば「じゃあ違うディーラーに行けば?」と言い返す態度だったのに、今のセールスマンは「じゃあそちらの予算に合わせます」と言わんばかりの弱気ぶり。こちらはちょっと下調べ程度で立ち寄っただけなので、「今日は購入予定無し」とはっきり説明したのに、そのセールスマンは3台の試乗を入れた一時間以上も私のために時間をつぶしてくれました。歩き回る私の背後にピッタリくっつき、洗面所の扉の裏でまで待っているそのセールスマンの姿に、さすがに同情さえ感じてしまいましたが...
(編集部 戸谷)


質問は編集部newsletter@jtpa.orgまでどうぞ。
JTPAでは、わたしたちの活動に興味を持つ方々にとって役立つシリコンバレーの情報をお届けするために、ニュースレターを発刊することに致しました。JTPAの細かい活動報告を行うと同時に、シリコンバレーでプロフェッショナルとして成長していこうと思われる皆様をつなぐ役割を果たしたいと考えております。


(c)2003 Japan Technology Professional Association. All Rights Reserved.

on ニュースレター Posted by jtpa at 23:26 | Comments (1)

ニュースレター : No.4 2003年5月号

Japan Technology Professionals Association - JTPA
ニュースレター  No.4
2003年5月1日号

はじめに

ベイエリアは夏時間になって、8時過ぎまで明るい日々となり、すっかり夏めいてきています。
JTPAももうすぐ設立一周年。6月6日には、記念総会の開催を予定しておりますのでご期待ください。

前回の4月1日号は全てJokeのエープリルフール号をお送りしましたが、楽しんでいただけましたでしょうか?「こんなにたくさん嘘を書き込むなんて、皆さん暇なんですね」という暖かいお言葉も頂きましたが、同ニュースレターでご案内した「催眠術で寝ている間に天才になれるセミナー」にも8名の方からお申し込みを頂き、編集部一同喜んでおります。(ちなみに、一日16時間労働、週休1日という過酷な勤務体系のMozan編集長はじめ、編集部ボランティアは決して暇人の集まりではありません・・・)なお、本ニュースレターの末尾に、エープリルフール号を読んでいただいた方からのメールの一部をご紹介しました。

さて、今月号のニュースレターでは、日米双方で教育を受けた3名の方に、ご自身の経験に基づく教育に関する記事を書いていただきました。Ph.D.はどう役に立つのか?小学校教育はどう違うのか?大学教育は?と、いずれも、興味深い内容となっております。

また、Agilentの職場事情、シリコンバレーで働く中で気づいたEメール利用の注意もあります。お楽しみ下さい。

なお、ニュースレター編集部では、皆様からのご意見や、編集・寄稿ボランティアを求めています。是非Newsletter@jtpa.orgまでご連絡下さい


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Contents:
1 Ph.D.は米粒? それとも?
2 次回イベント
3 アメリカの小学校
4 こんなに違うアメリカの大学と日本の大学
5 私の職場 アジレントテクノロジー
6 シリコンバレーで働いて気づいたEメール利用・暗黙のルール
7 エープリルフール号への読者の皆さんからのお便り

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 Ph.D.は米粒? それとも?

中村孝一郎
東北大学博士課程修了後スタンフォードでの研究を経て、世界に先駆けてpure opticalチップを開発した革新的ベンチャーLightbitに設立初期から参加された中村氏に、Ph.D.の持つ専門性をどのように実社会で生かしてきたか語っていただきました。Ph.D.を「足の裏についた米粒」と表現する氏の本意は?特にこれからPh.D.を検討されている方には、是非読んでいただきたい内容です。
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2 次回イベント

JTPAでは、設立一周年を記念して6月6日(金)に記念総会を行います。キーノートスピーカーとして、JTPAアドバイザーで、東芝からHPを経て、現在StanfordのNanotech Fabrication Center所長として活躍する傍らTIのChief Scientistも務められる西教授をお招きしておりす。詳しい場所やプログラムが決定しだいご連絡しますが、是非ご予定に加えておいてくだい。
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 アメリカの小学校

村山尚武
考え方、授業の方法、生徒の態度、雰囲気など、全て異なるアメリカと日本の小学校。
アメリカと日本の小学校の両方を体験された村山氏に「強烈なカルチャーショックだった」と言わせた想い出を「比較論的」体験談として書き綴っていただきました。
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4 こんなに違うアメリカの大学と日本の大学

戸谷茂山
「勉強させる」アメリカの大学、「勉強させない」日本の大学と言われますが、これは事実でしょうか?アメリカの大学と日本の大学は根本的に存在意義が違うのが理由だという意見も聞きます。アメリカ両方の大学をそれぞれ丸々4年ずつ体験した(!)という茂山氏に比較をしていただきました。
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5 私の職場 アジレントテクノロジー

松宮博
アジレントテクノロジーは、ヒューレット・パッカード(HP)から2000年にスピンオフした企業として知られています。HPWayと呼ばれる独特なヒューレット・パッカードの経営方針をそのまま受け入れたアジレントの雇用や、社員の評価方法などを、実際に社員として活躍する松宮氏にご紹介いただきました。
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 シリコンバレーで働いて気づいたEメール利用・暗黙のルール

JTPA編集部
JTPAニュースレター編集部は、シリコンバレーの現地企業で働く日本人ボランティアで成り立っています。今回は、そのメンバーで「シリコンバレーで働いて気づいたEメール利用・暗黙のルール」について話し合ってみました。これ以外でも、皆さんの気づいたEメールのルールが何かあったらnewsletter@jtpa.orgまで送ってください。
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7 エープリルフール号(http://www.jtpa.org/newsletter/000099.html)
への読者の皆さんからのお便りの一部

■ 4/31 seminarに関してのコメント

<<エープリルフールとわかった際のコメント>>
「ははは、見事にだまされてしまいましたね。4月1日号とあったので、もしやと思いながらも、ただ、メールの受信は、31日だったので、「天才になりたいなぁ」とメールしました。」 -Mさん

「えーっ!!今日がエイプリルフールだってことすっかり忘れてました。ここ最近はだまされていないので、簡単にだまされてしまいました!!でも、いつか天才になりたいのでちょっと残念!」
 -Mさん

「最近寝不足なんで...眠りながら頭も良くなれるなんて、最高じゃないかと思って応募しました ;-)(実は、日付を見るまで信じてました。)世の中には、本当にこんなこと研究している人もいるのではないでしょうか?早く見つけて、人より先に試してみたいものです。今後の企画にも期待しています。」
-Hさん

「エイプリルフール・イブの晩に残業してたばっかりにsleep@jtpa.org申し込んでしまったではないですか・・・。JTPA大好きです。」 -Jさん

■ その他コメント

「Newsletter楽しく読ませていただきました。特にSunとNordstromの情報には驚きました。」 -Uさん

「楽しませていただきました。これって、オリジナルですか?一番最初のやつは、あやうく騙されるところでした。」 -Hさん

「このニュースレターがものすごく面白いのですが、本当なのでしょうか?特に北朝鮮の話、どこから情報を得られたのですか?(April Foolとわかり)→ やっぱり・・一瞬青くなりまた。」
- Tさん

「今日はエイプリルフールだということをてっきり忘れてました。あやうく、Canned-to-go をネタとして日本のテレビ局に提案してしまうとこでした。それにしても、結構時間かけましたね、このニュースレター。悔しくて今日は夜も眠れません。」 - Kさん

「(電話で)北朝鮮VCの情報ソースを教えてください。(April Foolとわかり)→えええ、全部作ったんですか?暇なんですね」 -Aさん
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質問は編集部newsletter@jtpa.orgまでどうぞ。
JTPAでは、わたしたちの活動に興味を持つ方々にとって役立つシリコンバレーの情報をお届けするために、ニュースレターを発刊することにしました。JTPAの細かい活動報告を行うと同時に、シリコンバレーでプロフェッショナルとして成長していこうと思われる皆様をつなぐ役割を果たしたいと考えております。

on ニュースレター Posted by jtpa at 23:05 | Comments (0)

ニュースレター : No.3 2003年4月1日号

エープリルフール号ですので、内容は全て嘘です。

視点:JVSVNが「シリコンバレー」の商標のライセンス販売に乗り出す

非営利団体のジョイント・ベンチャー・シリコンバレー・ネットワーク(JVSVN)は、同団体が所有する「シリコンバレー」の商標のライセンス販売に乗り出すと発表した。特に中国をはじめアジア各国の衣類・雑貨メーカーからのライセンス料の獲得が狙い。ライセンス料収入はシリコンバレーの再活性化事業に役立てる方針という。

JVSVNによると、昨年来、中国やタイ、マレーシアなどで「シリコンバレー」を印字したTシャツや文具などが人気を集め、「シリコンバレー関連商品の年間売上高が100万ドルに達する企業もある」(広報担当者)。JVSVNはこうした企業と個別に交渉し、売り上げの数%に相当するライセンス料を得る考えという。実際のライセンス交渉はシリコンバレーの大手法律事務所、ウィルソン・ソンシーニの中国人弁護士が担当する。

JVSVNはシリコンバレー住民の生活の質を高める活動を目的に設立された非営利団体。1990年代後半の景気活況時には、渋滞解消や市街地の駐車場整備などに尽力した。2001年以降はシリコンバレーの再活性化事業に注力しており、今回のライセンス事業による収入は、住民が無料で利用できる高速無線LANの構築や企業誘致活動などに費やす計画だ。

「シリコンバレー」のライセンス活動を周知させるため、アップルコンピュータの最高経営責任者(CEO)のスティーブ・ジョブズ氏と、オラクルのラリー・エリソンCEOを使った英語と中国語のポスターを3000枚、作製する予定としている。


4月のイベント:天才になる方法:

昨年末に「The Promise of Sleep, A Pioneer in Sleep Medicine Explores the Vital Connection Between Genius and a Good Night's Sleep(邦題「夢のような天才」)と題された本を共著し話題を呼んでいるDr. Iodihに、「天才になる方法」についての実践的なセミナーを行っていただけることになりました。天才が集まると言われるシリコンバレーでの生き残りに日ごろ苦心されている方にぜひご参加頂きたいと思います。20名限定ですのでお早めにお申し込み下さい。

(The Promise of Sleepの詳細は下記Amazonでご覧下さい)
http://www.amazon.com/exec/obidos/tg/detail/-/0440509017/qid=1048287587/sr=8-1/ref=sr_8_1/002-8115155-6304052?v=glance&s=books&n=507846

Dr. IodihはStanford大学のThe School of Sleep Medicineの学長を勤められるとともに、同大学付属のLucile Packard Children's Hospitalで小児神経科医として実践的医療も展開しておられます。特に、睡眠と知能の関係に深い興味を抱かれ、睡眠中の気圧と脳内化学物質が知能の発達に大きな影響を及ぼすことを発見。その研究過程では、低圧力と睡眠の相関を分析するために、エベレストまで遠征してベースキャンプでの臨床実験を行うなど、精力的な研究ぶりが知られています。
(http://www.stanford.edu/dept/news/report/news/may2/everest.html)

Dr. Iodihは、こうした長年の研究の結果、ついに「天才を生み出す睡眠パターン」の存在を立証、さらに天才を生み出す睡眠状態を人為的に引き起こす催眠療法を確立し、短期的に大幅な成果を求めたい人々の間で注目を集めています。セミナー当日、参加者には催眠状態での知能向上の威力を体験いただく予定です。

なお、Dr. Iodihによる催眠状態をご経験いただくと、脳が非連続に活性化、通常の数倍の糖代謝量となるため低血糖症に陥る危険がありますので、当日参加される方は必ずチョコレートをご持参下さい。Dr. Iodihからは、特に脳へのエネルギー供給の有効性が高い「See's Candies: Milk Chocolate Nuts & Chews 1lb set」が推奨されています。


視点:北朝鮮、シリコンバレーにベンチャーキャピタル設立 

北朝鮮政府出資によるベンチャーキャピタル、Juche Ventures LLCがシリコンバレーに設立され、活発な投資活動を行っていることが、脱北した元関係者の証言により明らかになった。これまでにも外国政府や国家機関がVCに出資した例はあったものの、社会主義経済体制の国家によるVC設立は初めて。

米国当局としては緊張関係にある国家によるベンチャーキャピタル設立は「原則論としては容認しがたい」(Department of Homeland Security)としているものの、不況が長引き、ベンチャー投資が停滞する中、当ファンドの活発な投資活動を絶つのは得策で無い、という判断から当面静観する模様。

韓国の新聞に掲載された、この元関係者とのインタビューからの抜粋:

「Juche(主体)」とは「主体思想」に由来するのか。

「偉大なる領導者金正日総書記閣下は、インターネットを通じ、『勤労大衆の創造的労働と闘争によって社会の全ての物質的富が創造され、社会的変革と進歩が遂げられる。』という主体思想の基本理念がグローバルに実現されると考えている。当社は総書記閣下のご聖断により、インターネット関連のテクノロジーやサービスに投資を行うファンドとして設立された。」

これまでどのような企業に投資したのか。

「個人のインターネット利用をモニターするソフトウェアの会社、人体に埋め込み可能なワイヤレスICを開発している会社の2つである。どちらもIn-Q-Telと共にセカンドラウンドに参加することができ、総書記閣下から直にお褒めの言葉を頂いた。ありがたいことである。」

シリコンバレー外の企業への投資は行っているのか。

「ナイジェリアにあるeメールマーケティングサービスを提供するスタートアップに投資をしている。まだstealth modeだが、同サービスのユーザーの体験談を集めたhttp://home.rica.net/alphae/419coal/というサイトまであり、非常に有望である。」

今後の投資戦略は。

「主体思想によれば勤労大衆は当然、社会の主人となるべきである。大衆の手に情報交換の自由を取り戻す事業を展開しているNapsterやKazzaのような企業を育てよう、というのが総書記閣下のお考えだ。」

「北」からの新参者Juche Venturesの活動はSand Hill Roadの注目を集めている。

「『勤労大衆の創造的労働と闘争による社会的変革と進歩』という思想は個人の努力と才能を通じて世の中に変革をもたらすシリコンバレーの基本精神そのものだ。Juche “man-say”だね!」(某ベテランVC)

北朝鮮では「金姑幡(キム・コバン)」という名前であった前出の元関係者はインタビューの最後、「なぜ脱北したのか」と聞かれ、以下のように答えている。

「あまりにも多忙かつプレッシャーの高い仕事なので、このままではバランスの欠けた人生を歩んでしまうのではないかと怖くなった。餓えに苦しむ同胞には申し訳ないが、新しい身分と顔を得て、今後のキャリアを考えたい。以前は偉大なる領導者金正日閣下の推薦状を頂戴して一流ビジネススクールに行くことも考えていたが、もはやかなわないことである。エッセイだけなら他の誰にも書けないものが書けるだけに、大変残念である。」


視点:シリコンバレーのベンチャー、ハチドリの生体内に常温超伝導物質を発見!

愛らしい小鳥の象徴としてアメリカ内では広く親しまれているハチドリの生体内に常温超伝導物質が存在することが、シリコンバレーのバイオベンチャーによって発見された。

このベンチャーはDribgnimmuh Bio Research Inc, (DBR, Palo Alto)で、 NASAの依頼により、次期一人用飛行機器のために垂直浮上や空中静止、制御などの要素技術の開発をしている。

DBRは、ハチドリのホバリングと呼ばれる、空中で静止した状態で花などの蜜を吸う動作に注目し、この機構を詳しく解析していた。この解析中に、ホバリング時の翼の回転数と翼の大きさから計算される浮揚力と、体の各部所の密度から計算した体重に矛盾があることが判明。通常の重力秤の値も、この密度計算の体重に一致しなかった事から、体の各部を詳しく分析、胃から腸にかけた部分にこの超伝導物質が広く分布している事がわかった。

この物質は有機金属化合物の一種で、ハチドリが食物の消化促進の為に摂取する鉱物と、ハチドリの胃酸の中に含まれる独特のホルモンがおこす化学反応により作り出されていると見られている。その後のNASAとの共同実験で、磁力を通さない超伝導物質であること示すマイスナー効果が正式に確認された最中であった。

DBRとNASAはハチドリの実体重の3分の1から半分ほどの体重が、地球上の弱い磁力に対する、この超伝導物質による浮力で補われていると推測している。この20年ほどで数種の高温超伝導物質が発見されているが、いずれも常温にはほど遠いものであり、マイナス140度からマイナス200度で超伝導状態になるものがほとんどであった。常温での超伝導物質は初めての発見であり、今後大きな応用範囲が期待されている。

この物質は、幼年期のハチドリにはほとんど見られず、年を追う毎に増加する傾向がある事がわかっている。

現在、NASAではハチドリの乱獲を懸念し、各州の国立公園などに警備を厳格にするように呼びかけている。ホワイトハウスでは、ハチドリの密猟者に対し、1万ドルから5万ドルの罰金を課す法案を制定中。


視点:レイオフ社員搬送コンテナ「Canned-to-go」が、レイオフが続くシリコンバレーの企業で注目を集めている。

2000年3月のバブル崩壊以降、シリコンバレーの勤労者数は191,500人減少した。これは労働者全体の17.9%にも及ぶ数値で、いかに激しいレイオフが行われてきたかがわかる。

レイオフする企業側にとっての恐れは、レイオフされた社員がPCなどの競売可能資産、顧客リスト、ソフトウェアコードなどを持ち出すこと。また、非常にまれではあるが、レイオフされた社員が暴力的行為に出ることもあり、細心の注意が必要とされる。そのため、レイオフされた社員は警備員付き添いでオフィスから退出するのが一般的だが、中には、ある朝突然不意打ちでオフィスを閉鎖し、後から私物と思われる物品だけを自宅に郵送してきたという企業の例もある。こうした非人間的な処置に心を痛め、またそこにビジネスチャンスを見出したのがCanned-to-goの開発元のdStaff社である。

Canned-to-goは、高さ5フィート、幅・奥行きが4フィートほどのボックスで、下部にはローラーが付いている。内部には、一人用のいすが付いており、レイオフされた社員が、私物を持ってこのいすに座るとドアが閉まって、完全に外部からは遮断されるようになっている。ボックスは強化プラスチックを主な素材とするため非常に軽量で、警備員一人で軽々と押すことが可能。

Canned-to-goには、金属探知機が標準装備されており、コンピュータ機器類の持ち出しが不可能なのに加え、社員が携帯する危険物を検知することも可能。また、防音性にも優れているため、内部からの泣き声・罵声なども外部には聞こえず、レイオフを免れた残留社員のモラル維持にも役立っている。

Canned-to-goの開発元dStaff Inc.によれば、基本の提供形態はレンタルだが、レイオフが恒例化している企業向けには売切りやリースも対応可能としている。北はNapa Valleyから南はSanta Barbara、東はWalnut Creekまでの地域に関し、800ユニットまで24時間前までの注文に対応でき、Santa Clara, San Mateo両Countyに限っては6時間前の注文でも200ユニットまでは配達可能とのこと。「それ以外の地域については個別に相談して欲しい」と、同社VP of SalesのJohn Changは語っている。なお、配達に際しては、レイオフ企業の社員の動揺を避けるため、重要書類回収業者、電気工事業者、ケータリング会社など各種の偽装を行ったトラックを準備するなど、細やかな配慮がなされている。

さらに、いくつかのオプションを追加注文することも可能。特に人気のオプションは、社長からの最後のメッセージや人事からの注意事項を伝えるためのビデオユニット。画面は至近距離からの銃の乱射にも対応できる超硬化プラスチックカバーで覆われているため安全性も高い。また、マンダリン、広東語、ベトナム語、日本語、フランス語、ヒンズー語、など全12言語への機械翻訳も含まれており、英語力が乏しいエンジニアの多い企業から高い評価を受けている。さらに、同時に20台までのCanned-to-goを連結して移動するための電動牽引ユニットも用意されており、大量同時レイオフを行う企業に好評。

dStaff社CEOのRocky Ramachandran氏は「当初750台で事業を開始したが、複数企業でのレイオフに対応するため5000ユニットを追加した。」と新事業にかける意気込みを語っている。


視点:Sun MicrosystemsとNordstromが合併!?

Sun MicrosystemsのNewarkキャンパス内に最近貼り出されたポスターは、白地に赤文字で「Think Outside The Cup!」(カップから外に出て考えろ!)と書かれただけのもの。Sun が開発したJava technologyの象徴である「Java Cup」とかけたこのスローガンから、Sunが古い体質を捨て、新しいことにチャレンジしようという心意気が読み取れます。今年一月、Sun Microsystemsと衣料販売のNordstromが、今までに例の無い異業界同士の合併を予定しているという情報が入り、編集部が調査をしました。

シアトルを本拠地とする大手衣料デパートのNordstromは、この不景気にも負けず、2002年の下四半期でも18%の成長を記録しました。逆にSun Microsystemsは、2001年5月には20ドル代を誇った株価も、現在は史上最低記録の3ドル代にまで下落です。なぜ、経済的に両極端にある2社が合併を計画しているのでしょうか?

「インターネット上で、Nordstromの店舗と同品質の品揃えとサービスが受けられる」という方針で、Nordstromは世界最大の衣料Eビジネスを展開することを来月にも発表するそうです。米国各地で、ほぼ飽和状態といえるNordstromの小売店舗展開の次のステップは「インターネット」だと誰もが予想したとおりです。独自の銀行を内部に持つNordstromにとって、取引や決算などを完全にOnline化出来る利点も指摘されました。しかし、誰もがインターネットにビジネスを移行する中で、抜きん出た競争力をつけるためには、確実で安定したITインフラストラクチャーが必要となります。

Nordstromは会社の規模が巨大化する一方、その安定した売上に甘んじ、コストのかかるIT化を避けて通ってきました。現在のウェブページは、情報も少なく、オンライン・ショッピングに耐えれるシロモノではありません。加え、ちょっと数年前までは、ほとんど商品管理や管理会計もNetwork化されていませんでした。これは、彼らのコーポレート・オフィスのメインフレームであるIBMが、Windows2000ベースのウェブ・サーバとかみ合わってないからです。もちろんNordstrom内部では独自にソフトウェアを開発することが企画されましたが、このアイデアは高価すぎる、と当時CFOだったPaul Onnen氏に却下されています。

Nordstromは、ウェブ・ビジネスを成功させたAmazon.comを研究し、Sunに白羽の矢を立てます。1998年にAmazon.comは「世界最大の本屋」と称してEビジネスを軌道に乗せます。その時、Amazon.comはデータ管理について最も評判が高い会社としてSun Microsystemsと契約を交わします。Sunのglobal retail clientsはその時すでに大手食料品チェーン店やカタログ・ショッピング会社の間での安定性は保証されていたことをNordstromは評価したのでした。

NordstromとSunによる企画会議は2001年頭から内密にほぼ隔週開かれ、これが一年続いた後、「M&A」という思いがけないアイデアが出てきました。「衣料業界のAmazon.com」を目指すNordstromは、伸び悩むSunとM&Aすることが、大規模なIT化コストを最小限にする方法だと気づきます。Sun を内部に取り入れるだけで、初期投資を半減できるだけでなく、高価なメンテナンス契約を結ぶ必要も無いからです。Sunとしても、まずは大幅に抱えた在庫をこの大規模なIT化で処分できることに最大の魅力を感じています。過剰状態でレイオフを待つだけだったエンジニア達は、これから全米各地のNordstromに配置されてNetwork管理という新しい役割につきます。Sunは同時にNordstrom銀行がR&D融資の切り札になることにも着目しています。加えて、「衣料品販売と合併」いう考えもつかなかった多角化経営が、この不景気においてリスクを効果的に分配出来ることにもなりす。そして最後に、Nordstromの持つ洗練されたイメージが投資家に与えるポジティブな効果にも期待しています。

NordstromがSunを選んだ理由はさらにあります。Sunは、ベイエリアのあちこちにキャンパスを持ちますが、そのキャンパスの一つにNordstrom店舗を建設させることを許可する予定なのです。SunのNewarkキャンパスには、不景気のあおりを受け、3つの建物が基礎工事を完成させただけで取り残された広大な敷地があります。この敷地が2005年までにNordstromを中心としたショッピング・モールになるとのこと。ベイエリアでなぜかNordstromが店舗展開できていないFremont、Oakland、Union City、Hayward、Newarkといった、East Bay中核都市への進出によって、Nordstrom によるベイエリア征服は完了すると言えるかもしれません。確認のため、Newark市の営繕局に問い合わせたところ、Sunキャンパスの未完成の3つの建物の中の一つの内部は、巨大なイタリア製ピザ・オーブンを中心としたレストラン・フロアとして建設申請されているとのこと。同キャンパス内には最近移転したてのglobal retail clientsのメイン・ラボがあり、24時間NordstromのEビジネス管理に当てられる予定です。つまり、Nordstrom・NewarkはNordstromのウェブ・ビジネスのメイン・オフィスとしても利用されるのです。加えて、この場所は、Hayward近辺の倉庫街とも隣接しており、Nordstromにとって商品管理には絶好の立地といえます。

Nordstromの内部では、Sunとの合併が、洗練されたファッション・ビジネスの雄であるNordstromのイメージを壊すのではないかという懸念があります。そのため、ファッション・デザイナーやインテリア・デザイナーを中心にした12人による「タスク・フォース」が去年の12月に結成され、Sunのイメージ・チェンジを3年がかりで行う予定です。Nordstromにも変化が求められている、というのは、タスク・フォースのChairmanをつとめるデザイナーのCalvin Klein氏の意見です。氏は「どんな企業もハイテク化は必至、Nordstromも現在のハイテクのトレンドを上手に取り入れていかなければ、20年以上生き残れない」と言います。このようにタスク・フォースは同時に、Sunの持つハイテク・イメージを上手くNordstromに取り入れる努力をする模様です。インテリアのモダン化、ハイテクに影響を受けた若手デザイナーウェアの導入、そしてNordstrom Cafeを、よりモダンな印象を持ったインターネットカフェへの改装、などが提案されました。

合併の報告は、メインフレームの再構築が修了する5月に行われる予定です。合併後の会社名についてですが、Sun の現状のハードウェア販売などは継続されるため、最初の10年間は二つの社名を使い分ける予定です。しかし、Nordstromという社名だけは、ウェブ進出をしていることを意識づけるため、「ドット・コム」を足しただけの「Nordstrom.com」になるのではないかと噂されています。

エープリルフール号ですので、内容は全て嘘です。

on ニュースレター Posted by jtpa at 22:51 | Comments (0)

コラム : シリコンバレーの大学

米国カリフォルニア州、シリコンバレーはコンピューター科学とその企業化で有名であることはいうまでもないが、生命科学分野でもスタンフォード大学、UC Barkley、UC San Franciscoを中心として、UC Santa Cruz、UC Davisも含めると、恒常的に多大な研究業績と、人材を輩出している。いわゆるバイオベンチャーの始まりは、1970年代の後半に誕生したジェネンテック(南サンフランシスコ)である。最近の統計では、これらの大学から生まれた知的財産に関係して生まれたバイオ企業は163あり、年間にそれら企業から大学にもたらされる特許使用料は100億円をこえている。

最近、生命科学と先端情報技術とは、ヒト全遺伝子情報の高速解析とデータベース化の完成に象徴されるように、様々な局面で加速度的に融合していて、例えばバイオインフォーマティクスと呼ばれる新しい学問分野と産業分野を生み出している。したがって、このシリコンバレー/ベイエリアが今、広い意味でのバイオ-コンピュー技術(Bio-computing technology)分野での基礎研究、応用研究、新規産業創設に関して、さらなる世界的なリーダーシップを取っていることは当然であろう。

では、具体的にどんなことが今、個々の大学で起きているのか? 有名な成功者、ジムクラークが一年半ほど前、スタンフォード大学に$150Mを寄贈したことはご存知の読者も多いでしょう。それを基に、この大学が創りつつある新規の研究所(クラークセンター)が今たちあがりつつある。現在、バイオーX というコード名で内容が公表されているが、一言で言えば大学の将来像を試行するモデル研究所との位置付けで、キーワードは専門性の壁のない、と言う意味での Interdisciplinary である。つまり、既存の学部運営方式を廃止し、複数の専門の異なる研究者が共同してこそ推進できるプロジェクトをまず設定し、賛同研究者が同じ場所でそれを推進する、という運営理方式を採用している。たとえば、応用物理学、化学、生物学、医学の専門研究者が共同して、医学応用のマイクロマシン開発とか、移植用の人工組織の開発などを行うというものである。

興味深いことに、UC San Francisco校でも似たような理念のもとで新規の分校をミッションベイプロジェクト と称して進めている。こちらはその規模からいえば、米国の大学史上最大のもので、120へクタールという広大な土地を市が大学に無償で提供したことに始まる。今後10ー15年かかるが、最終的にはUCSFのキャンパスを中心とし、その周りをバイオテクノロジー、コンピュターテクノの企業を誘致し、その周辺に居住区を構えるという壮大な都市計画でもある。その新研究所の運営理念もまた Interdisciplinaryである。

スタンフォード大学にはコンピューターサイエンス学科と医学部が共同で運営する、Biomedical Information Technology という名のプログラムがあり、主としてマスターコースの学生を中心とした応用研究(50プロジェクト)を進めている。その共同利用設備は、64台のシリコングラフィックス社製のスーパーコンピューターからなり、そのうち半分は寄付であるとのこと。毎年、公開で学内発表会のようなものを Biomedical Computation at Stanfordとして開催している。私も参加したが、ほとんどの学生はインド系か中国系で、極めていきいきと、ありとあらゆる可能性の追求をしていることに強い印象をうけた。コンピューターサイエンスを用いた、遺伝子や蛋白質の構造、機能予測などはもちろんであるが、例えば、
* A real time free hand 3D ultrasound system for image guided surgery
* An interactive bio-mechanical model of human hand
* Computerized decision support system for management of hypertension
などなど、医学的な研究、診断、治療、教育など多面的応用研究である。

私がこの報告で言いたいことは、今このシリコンバレー/ベイエリアの大学を中心として起きている、ひとつの大きな学際的潮流であり、それを可能としている若いエネルギーの参加と柔軟な運営システムの構築である。

筆者紹介
金島秀人/東京大学シリコンバレーオフィス・ディレクター

on コラム Posted by jtpa at 22:22 | Comments (0)

2003年07月07日

コラム : シリコンバレーで働いて気づいたEメール利用・暗黙のルール

JTPAニュースレター編集部は、シリコンバレーの現地企業で働く日本人ボランティアで成り立っています。今回は、そのメンバーで「シリコンバレーで働いて気づいたEメール利用・暗黙のルール」について話し合い、その結果を座談会風にまとめてみました。「それは違う」「こんなこともある」など、ご意見があれば newsletter@jtpa.orgまで送ってください。

■厳しいことを書かない

「結構英語ができる日本の人にありがちなんだけど、『アメリカ人は、厳密・厳格にはっきりメールに書くものだ』と思って、驚くほど隙のない厳しい内容のメールを書いてくる人がいる。」
「僕の会社でも、厳しいメールを書いてくるので、シリコンバレーの本社で密かに話題になっていた日本支社の人がいたんだけど、その人が出張してくるというので、みんな『どんなヤツだろう』と身構えて待っていたら、ごくごく普通の人で拍子抜け、なんてこともあった。」


■あまり長いメールを書かない

「込み入った話を、長文のメールで延々と書く人が日本の人に時々いるよね。」
「あまり長いと読まない。注文内容の確認とか、文章で記録を残す必要のあるものはいいんだけど。」


■メールでのやり取りが適切でない内容は電話で話す

「ネガティブな内容のものは、メールで文章にして書くと、ものすごく厳しく響くことがある。そういうことは電話で話した方がいい」
「込み入った内容の話もそう。あまり長いメールになるようだったら、電話会議の時間を設定して、話した方が理解しあえる。」
「あと、ちょっとタッチーな内容のもの、文章で記録に残したくないようなことは、電話が基本」
「一般的に、仕事に電話を多用するのがシリコンバレーでは普通かな」


■差出人の了承なく転送しない

「うかつに転送するとトラブルの元」
「『Aさんがこんなことを言っているがBさんはどう思うか』みたいな感じでAからのメールをBに転送して、『こんなこと』の中身がネガティブだった場合、Aさんに恨まれたり。」
「あ、そこでBにも嫌がられることがあるね。『Aがこういう風に言ってるなんて知りたくなかった』って感じ」
「全体のコンテクストを抜きに、一部だけを抜粋して『Aがこんなことを言っていた』と転送されるのも誤解を招くので嫌だな」
「いずれにせよ、明らかにOKと思われる場合を除いて、元の差出人がわかる形で転送しない、どうしても転送するときは差出人の許可を得る、というのが基本」
「それと、自分がメールを出すときは、相手が不用意に転送することを前提に、内容に注意して出したほうがいいね」


■何かを依頼するとき、複数の人をあて先にしない

「大勢をあて先にして依頼すると、結局誰も自分の仕事だと思わなくて何も起こらないことがある」
「仕事のワークフロールールとして、関係者全体に出すことが決まっていたら話は別」


■メールのあて先は最小限に

「前の話とも重なるけど、無闇に大勢の人をTOにいれたりCCしたりしない方がいい。」
「相手の上司なんかを敢えてCCに入れて、『ちゃんと依頼を処理しろ』と無言のプレッシャーを入れる、ということはあるね」
「そういう明確な目的があるとき以外は、メールのあて先はなるべく少なくするのがトラブルを防ぐ」
「似た話だと、Reply Allはトラブルになることが結構あるね。例えばAという人がCCに含まれていたのに気づかずに、Aの仕事に否定的な内容を書いてreply allした結果、A本人にも直接そのメールが届いてしまうとか」


■役に立つtips

「間違えて全部書き終わる前に送信してしまうことがある。ナローバンドの頃はケーブルを引き抜けば送信を途中で防ぐことができたけれど、ブロードバンドだと一瞬で送信されてしまうのでもう無理。これを防ぐために、宛先はブランクのままメールを書くのがいい。それから、一旦送信ボックスに溜めておいて、その後マニュアルで送受信ボタンを押してはじめて送信されるような設定にしておくと間違いが防げる。」
「僕が前にいた会社では、プロジェクトごとに、プロジェクトチーム全員で集まってメール利用のルールを決めていた。これは結構有効だったな」

on コラム Posted by jtpa at 01:06 | Comments (0)

コラム : こんなに違うアメリカの大学と日本の大学 

日本の大学学部を卒業したのに、アメリカの大学学部を一年生からやり直したのは、アメリカを基礎から学びたい、という希望があったからです。アメリカの大学に入り直し、まず第一にショックを受けたのは、アメリカの大学と日本の大学の勉強に対するスタンスの違いです。「遊べる」日本の大学に対して、「勉強させる」アメリカの大学と良く言われますが、それが事実であることは明らかでした。それは、「在学中に社会で使える実力を身に付けてしまう」というのがアメリカの大学の教育目的だからでしょう。つまり、大学4年間とは、実際的な知識をハードに詰め込む時間だったのです。

最初のオリエンテーションで、「病気しても、授業には必ず行くこと。」とボランティアの学生が言ったことが冗談でないことは、授業がはじまった最初の一週間で分かりました。最初の授業で配られたシラバスと呼ばれる授業概要には事細かに授業の進め方と成績のつけ方が記されていました。そして何よりも目をひくのは、びっしりと並んだテストと宿題のスケジュール。授業のペースも速く、ちょっとサボっているとすぐに遅れをとってしまいます。試験内容も前日徹夜でなんとかなるというような甘いものでもありません。学期の終わりには、F(落第点)を取る学生も少なくありません。うかつにも沢山のクラスにサインアップしてしまった私は、睡眠時間を削って勉強するという方法でしか授業についていくことが出来ませんでした。しかし、悪い成績では、自分の進みたい専攻に残ることも難しくなってしまいます。夏休みも授業を取りつづけ、余暇もほとんど楽しめず、旅行は結局4年間で一度も出来ませんでした。

ふりかえって考えると、私の日本での学生生活は全くの反対でした。まず、クラスはほとんどサボり通しで、出席はほとんどが「代弁」。出席したのは、面白そうだった授業だけを趣味同然の目的で。金曜と月曜は学校に行かずに毎週4連休を4年間続けました。学生生活の80%はアルバイトと遊びで消えていったといっても大げさではないかもしれません。趣味の海外旅行はほぼ半年に一度、それも平気で2ヶ月とか遊び歩いている始末でした。たまたま顔を出してみた構造力学の試験内容は、なんと「自分の知っている構造力学の用語を10個書きなさい。(1個10点)。」最後は手を抜けるだけ抜いて適当に終わらせた卒業制作で、最優秀を取得して余裕の卒業を果たしました。

日本の高等教育の高さは世界的に評判が高い、というより「高すぎる」といえるかもしれません。日本の基礎教育は高校で完結していると言う人さえいるくらいです。大学受験というシステムは、その競争率を守るために年々難しくなっていくので、高校教育のレベルが上がっていくのは自然なことでもあります。加え、大学でそれ以上の勉強を日本社会が求めなていない理由があります。日本の多くの会社は、基本的に終身雇用をベースとしていたため、社員を「育てる」体質をもっています。つまり、実社会で使える技術は、大学でなくて、「会社」が教えてきたのです。結果的に、日本の大学教育は社会的にあまり重要視されていないのが実態であったのです。例えとして、ある証券会社では、4年制大学卒でも高卒でも、新社員はだれでも一般職であるOLからはじめさせるという方針をとっていたことを聞いたことがあります。

アメリカで大学3年生になって、専攻を絞りだし、専門性の高いクラスを受講しだすと、「社会で使える実力を身につけさせる」というアメリカの大学のもつスタンスがよりはっきりと見えてきました。専攻の授業は、あくまでも実社会に根付いたものです。建設を専攻した私は、不動産、建築、インテリア・デザインの学生達と共同で実際のプロジェクトの進め方を学びました。施主や建築家との争議の進め方や、法的な措置のとりかたを教えるクラスさえありました。スケジュール管理のクラスでは、どうやってCash Flowをポジティブに保つかというトリックを教えられ、マーケティングのクラスでは、会社のパンフレットを作成することから、入札業者に残るための手法さえ教わりました。予算のクラスでは、実際に建設された建物を使った現実の予算との比較。予算を計算した後は、実際の工事をシュミレーションするエクササイズで利益を最大化する工夫を教えられます。就職活動が始まりだし私の理解が正しかったこと再々確認されました。面接に顔を出すたびに、「Resource LoadingでCPMスケジュール管理が出来るか」とか「Life Cycle CostをCash Flowのチャートを利用して最小限にするスキルがあるか」「何億ドルの建物までなら正確に予算を建てる自信があるか」などとかなり実際的な質問をされます。図面を一式渡され、言われた情報をその中から見つけるスピードをストップウォッチで測られたことさえあります。さて、就職をしてみて、今度は私の理解が証明されました。初日から会社の期待は大きく、予算建てから契約書の作成まで、ありとあらゆる責任のある仕事を独自でこなしてきました。上司は一週間に一度だけ私の仕事の進行状態を確認するだけです。私の上司の口癖はこれでした。「We are paying for your knowledge and skill set.」

on コラム Posted by jtpa at 01:04 | Comments (0)

コラム : アメリカの小学校

私はかれこれ30年近く前にニューヨーク州郊外の全く周囲に日本人のいない小学校で教育を受けました。正確には、幼稚園の「年長」に相当する学年から小学校3年生までです。その後日本に戻り、東京都下の公立小学校に転入したのですが、人格形成の初期にアメリカで教育を受けた自分にとっては、日本の小学校は「不思議の国」でした。

また、『三つ子の魂百まで』という諺もあるように、幼いころの教育というのは大人になってからの行動を強く規定します。以下では、自分の逆カルチャーショック経験を紹介する中で、私なりに理解するアメリカ人にとっての「三つ子の魂」を紹介したいと思います。

内容については、1ドルが360円に固定されており(私の滞米中に変動相場制に切り替わりましたが)、ベトナム戦争も終結しておらず、オイルショックの前後、という時代のものであるという点をご了解下さい。また、時代の違いに加え、アメリカの場合、学区(School District)が違えば教育方針も異なるので、あくまでも、そういう時代の、東海岸の特定の地域における、私個人の(最近怪しい)記憶に基づく経験であるということを前提にしてお読み頂ければ幸いです。

Pledge of Allegiance と「日の丸・君が代」

I pledge allegiance to the flag of the United States of America and to the Republic for which it stands. One nation under God, indivisible, with Liberty and Justice for all.

私のいた小学校では、毎朝Pledge of Allegianceをクラス全員で唱和していました。私は当初”indivisible(不可分の、一体の)”というのを”invisible(透明)”だと思い込んでおり、「神様だから目に見えないのかな」と妙に納得してそのまましばらく間違えつづけていたのですが、その後毎朝復唱し、しかもクラス全員を前にして各節をリードする、という月代わりの当番まで担当したため、すっかり記憶に焼き付けられてしまいました。

当時の私にとっては、毎朝繰り返される挨拶代わりのもの、という以上の実感はありませんでしたが、後になって考えてみると、幼い私は、毎朝星条旗に向かい、直立不動の姿勢で胸に手を当ててこれを唱える事により、「連邦」「(キリスト教の)神」「共和制」といった、「人造国家」アメリカをまとめるもろもろの原理への忠誠を誓わされ、同時に「自由と平等を実現した偉大な国家」であるアメリカという国、そしてその象徴たる星条旗に対する誇りを持て、と教え込まれていたことになります。加えて、週に一回(このへん記憶があいまいですが)は「星条旗よ永遠なれ」も歌っていました。

これに対し、日本に戻ってみると、卒業式や運動会での「日の丸」掲揚・「君が代」斉唱を巡って大人が散々議論していました。私の転入した小学校では、日の丸掲揚も無く、君が代も一切歌っていなかったはずです。わけがわからないなりにも「星条旗のもとに皆団結しているんだ」という意識をすっかり植え付けられていた私は、日本ではなぜ「自分の国」を象徴するはずのものを腫れ物のように扱うのかな、と子供心にも不思議に思いました(ませたガキだったんです)。

もちろんアメリカ人の全てが幼い頃から「愛国心」を形成しているというのは言い過ぎです。大人になってから知ったところによると、「忠誠の誓い」も全国で義務付けられている訳ではなく、州や学区によっては行わないところもあるようですし、同じ学区、学校内でも教師によっては取り入れなかったり、外国人の生徒には免除している場合もあるようです。また、”under God” という部分については、「信教の自由」に反するので違憲ではないか、という論争も長年続いているので、「忠誠の誓い」も日本における「日の丸・君が代」同様、賛否両論にさらされているようです。

とはいえ、ベイエリアやマンハッタンといった「リベラル」な地域以外では、依然としてかなり多くのアメリカ人が「忠誠の誓い」を幼いころ経験しているのだと思います。例えばテキサスのような地域に行くと、アメリカに対する誇りが行き過ぎて、外国に対する関心を失っている人が多数います。また、ベイエリアのような比較的リベラルな地域においても、9月11日のテロ事件や現在のイラク侵攻といった国家的な事件に臨むと星条旗をシンボルに団結し、「敵」に当たろう、という動きが出ます。そういった行動の根底には、この「忠誠の誓い」という幼い頃からの儀式により叩き込まれた国家への帰属意識や誇りといったものがあるではないか、と思います。

「カウンセラー」と「外人イジメ」

私は親の転勤についてアメリカに住んでいたのですが、両親は日本人社会のわずらわしさを避けるためか日本人の全く住んでいない地域に敢えて住み、幼い私と妹をいきなり地元の学校に転入させました。学校では私と妹が唯二の外国人(後で友人になったイギリス人の少年はいましたが)だったのですが、幸いだったのが2人とも幼かったため、英語修得も早く、比較的スムーズにアメリカ社会に入り込めました。その過程で助けとなったのが、小学校に常駐していた「カウンセラー」という心理学の学位を持ったスタッフです。今でも覚えているのですが、週に一回、放課後にカウンセラー(Mrs. パリスという女性でした)と会い、ちゃんと溶け込めているか、英語は身に付いているか、といったことを聞かれ、問題があれば言う、という面談を行っていました。私の母も海外生活ははじめてだったので、時々相談に乗ってもらっていたようです。人種差別を受けた記憶もありません。せいぜい隣の家のお兄さんに「ジュードー」と「カラーテ」を教えろ、といわれたぐらいです。幼いことの利点でしょうか、一緒に遊んでいるうちに、周囲に溶け込んでいて、英語も身に付いていました。

ところが、日本に帰ってみると、まだ「帰国子女」という言葉も一般化していない時代だったので、学校側も私の扱いに困り、先生からも「とにかく周りと同じようにしなさい」といった以上の指導は受けませんでした。日本が初めての「外国」であった私のような子供に対し、もっと先生がいろいろ相談に乗ってくれれば良いのに、と思ったこともあります。たとえ子供であっても大人同様悩みや問題は抱えている、という前提で、対等に接しつつ生徒が自分で問題を解決できるようなアドバイスをしてくれるアメリカの小学校のカウンセラーが懐かしくなった記憶があります。結局「周りと同じ」にすることはできず、母国であるはずの日本で、アメリカで遭わなかった「外人イジメ」に遭う、という結果になりました。

「皆で同じ授業を受ける」ことの不思議

次は授業、試験、成績といった学校らしいものについてお話します。これも州、学区、学校あるいは学年によって違うのかもしれませんが、少なくとも私の通っていたニューヨーク州ウェストチェスター郡アーズレー村(!)の、Concord Road Schoolの3年生までは、いわゆる講義形式による授業というのは無かったように記憶しています。

国語(英語)、算数、理科といったような科目のそれぞれにつき、生徒が進度別にいくつかの小グループに分かれ、時々担任教師とのセッションを行うのですが、大部分の時間は、他のグループが教師とセッションを行っている横で、個人でアサインメントに取り組んでいました。各セッションの内容はまずはじめに「かけ算の考え方」といった教師の説明があり、それから前回のセッションで出されたアサインメントのレビューが行われたような記憶があります。アサインメントが終われば、担任に申し出て追加を貰うことも可能でしたが、私のように教室の片隅にある図書コーナーで手当りしだいに本を読んでいても何の文句も言われませんでした。家に持ち帰る宿題もたまには出ていたような記憶もありますが、やらなくても怒られはしなかったと思います。試験というのもあまりなく、スペリングの小テストがたまにあったぐらいです。成績も、小学校低学年のうちは、AやらBがつくのではなく、「良く努力しているか否か」についてのコメントがあった程度でした。全体的に、生徒の良いところを褒めて、伸ばそう、というアプローチであったような印象です。

そんな学校生活に慣れた状態で日本の小学校に入ったので、様々なことに驚かされました。皆が同じ内容を、同時に、同じ黒板を向いて、先生が個々の生徒の理解度を考慮することなしに話す、という形式で受けなければいけないこと。教科書を先に読み、自分で問題を解いて理解はしていても、皆と一緒に、山のように出されるドリルの類いを提出しなければ先生に怒られること。掛け算を、原理を理解することなしにひたすら九九を覚える、という形で学ぶこと。成績が皆と同じテストを受け、その点だけで付く事。皆が同じくランドセルを背負い、半そでに短パンという同じような格好で学校に行くこと。

これらから判断するに、アメリカでは小学校の段階から「人と違うこと」は当たり前で、むしろ奨励されているに対し、日本では「皆と同じ」であることが奨励されています。