今回のニュースレター編集会議は、「宗教に関する話」で盛り上がりました。とくに米国に多いキリスト教徒についての話がやはり多かったようです。


日本人は宗教に関してとてもフレキシブル。正月に神社にお参りに行くくせに、家には仏壇がある。結婚式は神道で神前結婚を済ませた後、平気でキリスト教の教会でウェディング・ドレスでまた式を挙げる。仏教徒なのに、Xmasを祝ってしまう。自分の宗教が自分にとってそこまで「重くない」のは、日本が明治に入るまで宗教を政治と厳しく分けて扱ってきたからだろうか?日本人の宗教観はとても柔軟だが、他の国の人は、自分のアイデンティティとして自分の宗教を扱う。宗教戦争を見てわかるとおり。
結論から言うと、宗教について意見を言うのはタブー。日本人以外の外国人は自分の宗教に真剣だから。加えて、宗教の自由は米国憲法で守られているから。宗教観については、あくまでもニュートラルに振舞うのが大事。多国籍なシリコンバレーでは誰がどういう宗教を持っているか、全く検討がつかない。悪気なく言ったことが、相手の宗教観に合わず、相手を傷つけることにもつながる。「Merry Xmas」の一言がトラブルを巻き起こすこともある。
宗教にまつわる様々な決め事の良い一例は「洗礼」。友人のカソリックのほとんどが、カソリックになった理由は「洗礼を受けたため」だと言う。ジョークのようだが、牧師にうっかり間違えて聖水をかけられてしまったため、自分がカソリックになってしまったことを悩む人もいる。日本人では理解しにくいことだ。
アメリカ憲法は宗教と政治の分化を言うが、米国に最初移民してきた多くがピューリタンであったため、アメリカではまだまだキリスト教の精神が強く根付いている。たとえば、ブッシュ大統領がイラク戦争を思わず「Crusade」と言ってしまったり、シュワルツネッガー州知事が就任直後、前州知事がクリスマス・ツリーを「ホリデー・ツリー」と呼ぶように決めたルールを覆してみたり。
それでもカリフォルニアは他の地域と比べるとリベラル。学校では、キリスト教のための祭日であるクリスマスに加え、ユダヤ教のお祝いであるHanukahを子供達に教えたという話もよく聞く。テレビでも、キリスト教だけ特別になってしまわないよう、「Merry Xmas」と放映しないように気をつける。12月に入ると、コマーシャルは、「Happy Holiday」を連発するが、決して「Merry Xmas」とは言わない。会社の秘書がXmasに小さなクリスマスツリーを机に飾ったため、「仏教徒の自分にとってはあまり好ましい光景じゃない」とジョークを言った所、これをまじめに受け止められ、民間企業内における宗教の自由について議論になる始末。
感嘆のフレーズのひとつで「Jesus!」がある。これは真剣なキリスト教徒にとっては冒涜になることもある。会社の会議であまりにひどい意見が出たので、思わず「Jesus! 」と叫んだところ、上司に腕をつかまれ「二度とその言葉を口にするな!」と怒鳴られてしまった。上司は真剣はキリスト教徒だったのだ。同じように、「God!」なども禁句。ビジネスの場所で使う言葉ではない。逆にインドに暮らす日本人が、感嘆句である「Holy Cow!」を連発したところ、同僚にとても喜ばれた、などという話さえある。牛はインドでは聖なる動物であるから。
宗教にあるルールとういうものが、実はあまり根拠が無い、という話も出た。過去に権力を持つ人たちが、人民をコントロールするためにモラル・スタンダードを便宜上確立したという説がある。確かに不可思議なルールを決めた宗教も多い。意味不明な宗教のルールを着実に守っている人たちをよく目にするが、日本人には不思議な感じだ。
アメリカ人の名前はとにかくクリスチャン名が多い。Michael、James、David, William, 全てがクリスチャンに関する名前だ。宗教が主な理由で米国に移ってきた韓国人や、中国人も生まれながらにクリスチャン名を持っている人が多い。クリスチャン名は、生まれた日によって決められたり、教会に決めてもらったりすることが多い。日本人でも、こっちに来てから英語の名前を付けている人がいるが、多くが自分の名前がアメリカ人に発音されにくいという理由だけ。でも、「のぶふみ」だの「げんじろう」とかいう名前の人が、自分の名刺に平気で「Alexander」と書いてあると、やはり笑ってしまう。ちなみに、Joshuaはユダヤ人で一番多い名前。
クリスチャンの中には、自分の車にクリスチャンのシンボルである「魚」のマークを貼っている人もいる。それに対する皮肉として、その魚マークに中央に「Darwin」と書いてあるシンボルや、その魚に足が生えているシンボルを車に貼っているイタズラ好きもいる。クリスチャンの否定している進化論にかけたジョークだ。クリスチャンからの逆襲として、Darwinフィッシュシンボルを「Truth」と中に書かれたフィッシュシンボルが食べているマークも出回っている。Darwinフィッシュをジョークのつもりで貼っていたところ、タイヤをパンクさせられたり、サイドミラーを割られたりする苦情も聞いた。やはり宗教のジョークはご法度か。
それぞれの宗教にはそれぞれ大事な日がある。会社の社員の中で、「今日は僕にとって大事な日だから」と早退したり、休んだりする人も多い。アメリカはそういった宗教の理由にはなぜかオープン。敬虔なイスラム教徒で、ミーティングの最中だろうが何だろうが決まった時間にお祈りを始める例もあった。
キリスト教に限らず、他の宗教の概要を知っていることは身を助ける。イスラム教徒の同僚とランチに行った時に、豚肉料理を頼まないのは既にマナーの一部だからだ。インド人と食事に言った時に牛肉料理を頼まないのも大事なポイント。しかし、中にはアメリカナイズしたい若いインド人は、敢えて牛肉料理を食べて見せようとする。
サンフランシスコには数多くの新興宗教が存在する。自分の隣に座る同僚がそういった宗教に入っていることもある。興味本位で彼の教会に顔を出してみたら、あまりにも常識を逸脱した儀式で度肝をぬかれたこともある。自分の同僚の宗教を知ろうするもの大事だが、入り込みすぎても大変。
アメリカにはまだ教会を中心にしたコミュニティが根付いている。日曜日の教会を自分に大事な社交の場と捉えている人も多い。コンサバティブな人は、恋人を見つけたいなら教会にいきなさい、とまで言う始末。もう30歳代後半になる日本人の知人は、日本人の少ない地域に暮らし、いつまでも結婚相手が見つからないことを嘆いていた。しかし、近所の教会に行きだしてすぐにアメリカ人の彼女を見つけることが出来たそうだ。宗教を共有する人達の仲間意識は強い!(動機不純)