常にインターナショナルな環境でお仕事をなさってきた藤村さんからお話を伺いました。シリコンバレーで仕事をする上で必要なことは何か、そのようなことに関してもお話いただきました。お話から自然体のまま世界で活躍なさっているお姿がよく分かりました。(インタビュー日:2002年6月17日)

プロファイル

米国シリコンバレーIT産業経営コンサルタント会社 Vanguard Systems Consulting社 社長

インタビュー

Q: 簡単なご経歴からお願いします。
A: 1967年中央大学の法律出身です。最初は、オリベッティという会社に入りました。オリベッティというのはイタリアの会社でタイプライターなどで有名でした。1975年には日本オリベッティを休職して本社に移籍、オープンネットワークエンバイロメント(ONE)というネットワークアーキテクチャーの開発に従事しました。その仕事はその後、南アフリカのSOPONETというパケットの通信網やスカンジナビアの銀行ネットワークシステムとして開花しました。オリベッティには1982年までいたのですが、80年に一度日本に戻って2年間は日本オリベッティで働きました。

でもそのままオリベッティにいても、自分自身満足出来るとは思えず、イタリアオリベッティ本社の仲間と「シリコンバレーで仕事をしよう」と話したんですね。それで82年の暮れにオリベティを退職しましたが、実際には米国での就労ビザがなかなかおりなくて、放浪する羽目になりました。それでもオリベッティの仲間と一緒にプランを練って、83年にDAVIDシステムズという会社をシリコンバレーで立ち上げました。それが88年まで続きます。ビジネスはデジタル通信技術とそれを利用したデジタル電話システムです。従来のアナログの電話機を我々の電話機に替えて、既存のPBXに或る装置を付加するか又は、我々のPBXに置き換えると、ビル内に走っている裸線が2Mbpsのデジタルの搬送路になる、という画期的なものなんです。社名DAVIDシステムのDAVIDとは、「ボイスとイメージとデータを統合した分散アーキテクチャー」という意味があります。電話機能が今でいうVoIPになっていて15年も時代を先取りしたすごい商品でした。1986年にシカゴにあるシアーズタワーという大きなビルの14000台の電話をすべてこれに変える、など商品としては大成功でした。

しかし、この会社は最終的には10BaseTやSwitched Ethernetの業界標準を作るのに大きく貢献こそしましたが、会社自体は成功しませんでした。理由はいくつかありますが、なんと言っても、タイミングが悪かったということです。タイミングというのはとても大切で、マーケットのアクセプタンスそのものがずれていたんです。この会社には私自身、1987年暮れまでいて、そこからは現在のVanguard Systems Consultingを始めました。

Q: この会社をはじめる動機というのは?
A: 動機と言うよりは流れでした。私の場合、前にやっていた会社を退職して、しばらくリラックスしよう、エネルギーをチャージしようと思っていたんです。でもそれまでお金を出してくれていたVC、つまり投資会社の方達に、ぜひ一緒に仕事をしようと言われて、お手伝いすることになったんです。それがVanguard Systems Consultingをはじめるきっかけとなりました。勿論、計画をしっかり練る必要は有りますが、タイミングを掴んだ、流れに乗った自然体でやるのがいいんです。
Q: お仕事内容はどのようなものだったのですか?
A: まず一つはVCのために働く仕事です。ビジネスプランの評価をしています。VCの人が全て自分で評価するわけではなくて、我々のような専門家グループに頼んでくるんですね。また、投資の為のDue Diligence、つまり日本語で内部審査と言う評価の過程で知り合ったスタートアップからの依頼で、その会社の社外取締役や顧問役も仕事の内です。現在、日本ではベンチャービジネスと呼ばれているそうしたスタートアップ7社の社外取締役や顧問役をしています。収入全体の7割がそう云ったVCのためにする仕事です。

ただ、この仕事は守備範囲が大変広い事と、深い専門知識が必要ですので、私一人が依頼のあるビジネスプラン全てを評価できるわけではなくて、私の専門外のところは知り合い、特に大学の先生方に頼んでお願いしています。

私がオリベッティにいる頃にイタリアの人に日本を知ってもらおうと、“News from Japan”というのを作ったんです。ようするに、新聞などの切抜きをしてイタリアに送るということを月に一回やって、イタリア本社の方達に非常に興味をもってもらいました。アメリカに来たときも日本から色々問い合わせがありました。例えば「これを調べてくれ」とか「どう思うか」とか。私だけで捌き切れない時に、友達に「やらないか?」って頼むんです。頼むのはいいのだけれど、その結果のレポートを出しても、そういう個人にはクライアント企業がお金を払ってくれない。その当時はクライアントの会社に口座を持っていない相手にはお金を払えないからなんですね。そこで1984年にVanguard Systems Consultingと云う会社を作り、その名前で口座設定をして、ここを経由して依頼を受け、支払いをしてもらうことが出来る様にしました。これがVanguard設立の由来ですし、1988年初めに実際私が一人で始めるまでは、そんな役割の会社でした。

このVanguardの仕事を通じて人の輪が広がっていったのですが、輪というのは意識的に維持していかないと直ぐに消えてしまいます。それをなんとか食い止めようとして、グループを作ってNews from Silicon Valleyというのを発行することにしました。1984年暮れのことです。News from SVをつくるには専門誌をたくさん読まないといけない。そうしないとSVの動きはよくわからない。一方で仲間になってくれた大学の先生達は速読ができる。そこで一人当たり4、5冊の専門誌や新聞を担当してもらって、気になったことだけをメモに落としてもらいました。それを一箇所に集めて、一週間につき10項目くらいにまとめてもらったんです。それを週刊で出しました。要するにシリコンバレ−在住専門家達に依る週刊メモ書き集ですね。これは私ばかりではなく、グループのメンバーにとって、最高の情報ツールになりました。いろんなものを読まなくても新聞などに出ない情報がすぐにアップデートできたんです。これは版権上、商売にはならないけれど、自分達の仕事のためにも重要な情報ツールと皆判っていたので、昨年までの17年間続いていました。

Q: なぜ止めたのですか?
A: 自分達のためにやっていたものだったからです。90年後半、今までのメンバーが引退をし始め、シリコンバレーがお金に浮かれていた頃になると、若い人達は継承したがらなかったんです。「やるならお金が欲しい」と。インターネットの普及で情報過多になったのも原因でしょう。グループの人数が3人になってしまったところで解散を決めました。

Vanguardの二つ目の仕事はスタートアップのために働くことです。ビジネスプラン評価の仕事を通じて知り合ったスタートアップが日本に進出したい、つまり日本でのマーケッティング/販売コンサルタントの仕事ですね。日本にアイシスという会社があって、1988年6月にスタートしたのですが、14年間ずっとその手伝いをしています。

Vanguardの三つ目の仕事は、インベストメントバンキングです。インベストメントバンカーでAlliant Partner 社と云う、M&Aを主たる業務としている会社の扱うディールの評価やM&A戦略を立てるのが私の仕事です。これ等、三つの仕事がVanguardの主たる業務です。

ここでスタートアップということを考えたいのですが、日本でベンチャービジネスという呼び方があるけれど、あの言葉の使い方は正しくないんです。ベンチャービジネスというのは既成の大きな会社が、新規事業をやろう、というのがベンチャービジネスです。つまり本業に対して、ベンチャーつまり冒険ビジネスなんです。我々がやっているのはスタートアップであって、まったくの新規からの立ち上げなのです。アイデアをつくるところ、ビジネスプランをつくるところ、できたビジネスプランを使って資金を集めるところ、その資金で会社を作り、チームを作るところ、そのチームを使って、コンセプトをプルーフする、プロタイピングする、マスプロダクションにまわす、そして、マーケティングをする、ディストリビューションチャンネルをつくる、結果としてIPOする、M&Aする。VCは本当に納得してからお金をだす。アイデアを持ってこられても、そのアイデアだけではだめなときは、けんか腰で口論してアイデアとしてまとめていく。ファイナンスをする時も、値段のネゴシエーションもする。

ベンチャービジネスは人材を含め既に会社内にあるものを使うのが一般的です。スタートアップは全てグラウンドゼロから積み上げていく。アイデアや人材も含め全ての選択を納得づくで積み上げていく。その意味で、スタートアップは投資家にとってみれば冒険ではなく寧ろ安全パイの塊。安全パイを積み重ねていく。本当はそういう意味では、スタートアップは成功する確率がかなり高くあるべきものなのです。実際はそんなにうまくいかないんですけど。

Q: シリコンバレーがなぜ一人勝ちしていたのですか?
A: シリコンバレーでは必要なら全部アウトソースができるインフラが整っています。アイデアジェネレーションの時からそうです。一つの例だと、VCの所にはEntrepreneur in Residence と呼ばれる人達、つまりVCのお抱え用心棒がいるんです。前に起業したことがあるような人がそれにあたる人ですね。こういう人がビジネスプランに仕立てる前から参加し、アイデアをより現実的なものに作り上げていくんです。同じアイデアでも全く別のものに見えるように変えてしまう事も度々あります。

別のたとえで、日本人がシリコンバレーで会社を始めると、例えば高い計測機械を必要とする場合、自分のところで買ってしまう。計測を外に依頼する事で、情報が漏れてしまうと心配するからなんですね。でもSVではアウトソースして、その作業代金の一部として相手にストックをあげてしまうんです。それで仲間になる。しかもアウトソース先は毎日そういうことばかりやっているし、単なる計測だけでは普通全体を理解する事は出来ません。だからアウトソースは安全で簡単に利用できるんです。

つまり、VCというのはお金を出すだけでなく経営に口も出す。成功したVCから調達した資金は、そのお金と一緒に経営ノウハウが得られますし、そのVCのネームバリューで信用も得ることができます。ちなみに、年率25%がこちらの成功しているVCの目安です。100万ドルを預けると10年後の満期には930万ドル、つまり福利で計算すると10年間で9.3倍になるということです。最盛期の頃は35%でまわすVCも有って、その場合10年間で約20倍になります。まさに錬金術ですよね。

Q: スタートアップに必要なのはどういうことだとお考えですか?
A:Entrepreneurは常に情熱と、強固な意志そして失敗を恐れないポジティブシンカーでないとだめなんです。昔の金鉱堀はめちゃくちゃロジカルだったんです。どこに金鉱脈があるかを科学的にしっかり見通しをつけないと掘れないですよね?そういう意味で昔の金鉱堀はやはりしっかりしたコア技術と見通しも持っていたんです。だから今の起業家とよく似ている。

スタートアップ企業が成功するにはいくつかキーがあります。私がビジネスプランを評価するときの基準でもあるんですが、(1)アイデア・ビジョン・タイミング、(2)製品・テクノロジー、(3)マネージメントチーム、(4)パートナーです。DAVID システムズ社を立ち上げたときは、タイミングが間違っていた。電話でありながらデータを扱うんです。すると企業の購買決定者が、総務と情報システム部門にまたがってしまう。しかもその両部門は、その当時は利害が対立している。さらに販売に際しては既存の電話会社とけんかもしないといけなかったですから。

日本の人はスタートアップの製品とか技術のみでその会社を評価しがち。でもそれではうまくいかない。将来を見越したビジョンとかそのタイミングが非常に重要で、今あるテクノロジーとか商品は二の次。スタートアップが持ち込んできたビジョンとかタイミングに納得がいかないと、これらについて先ず繰り返し話します。それでも納得いかない場合、納得いくまで議論を続けます。ビジョンやタイミングが悪いと先がありません。また、今ある考えや目標をコアを中心に、周りの状況に合わせてどんどん変えていく柔軟性がないとだめです。つまり、流れに逆らわない自然体が求められます。このアイデア・ビジョン・タイミングの評価でビジネスプラン全体の4割くらいが決まってしまう。製品・テクロジーは2割くらいですね。

それと、コアの強みへの特化です。企業家は自慢家が多いから何でもできる、と言ってくる。でも良く見ると、10あるうち8くらいはアウトソースできることがよくある。お金をだすのはコアの部分に対してだから、それ以外の所はアウトソースする用意があるか聞く。「全部に自分の技術を使いたい」といったら他のVCの所に行ってもらう。また、持ち込んできた技術や商品コンセプトが、持っているビジョンとそぐわない事がよくある。どれだけビジョンにあっているかが重要。

投資を決定する前には押し付けはできないけれど、投資条件として、社長を含めマネージメントチームの人を変えたりもします。

Q: 人をどうやって判断するのですか?
A: リファレンスチェックを徹底して行い、その上で判断します。ヒューマンキャピタルという言葉があります。人間、つまり人材がチームを作り会社を作ります。情で判断を間違わない事が本当に重要。
Q: 日本人がやっているシリコンバレーでのスタートアップの状況はどうですか?
A: 最近は増えてきていますが、良い結果は未だあまりでていません。そんな中で例外は、吉川君と石黒君のIPInfusion社でしょうか。彼等も私の所に1999年に来たのですが、その時は、その時点での問題点をリストにして書いてあげて、お引取り願ったのです。彼らが他のグループと大きく違っていたのは、すごくまじめでリストされた問題点をしっかり処理をした上で、半年後にまた来たんです。その時は見違えるようでしたね。

このシリコンバレーで起業しようとする日本人の欠点としては、アントレプレナーシップやビジネスマインドの不足、ものの見方の狭さ、安全思考、ガッツの無さ、ということがあります。日本人は自分が理解できるところしか受け入れられない。ビジネスモデルに関してもそうですね。理解しようと努力もしないで、一寸理解できないと直ぐ「これはダメだ」となる。安全思考というのは、例えばゴルフでピンの手前で止まる様なパットでは絶対入らないですよね。穴の向こうまで行ってとまる心意気で打ってくれないと。日本人はガッツが無いですよね。それと何でもかんでも心配するのも日本人です。「自分達の技術はすばらしいから隠さないとみんなに盗まれてしまう」とか。でもその人が持っているような考えや技術は、持っている人は他にもたくさんいるんです。だから自分の所で囲い込むのでなくアウトソースを含む協業をしないとどんどん置いて行かれますし、うまくいかない。

もう一つは自立していないことです。自立して貰おうと考えて一度助けると「また助けてくれる」と頼って来てしまうんです。こちらとしては頼られてもこまる。「助言はするけれど、やるのはあなただ」っていうと、「それは無責任だ」と言ってくる。「コメンテイターはいらない」とも言ってくる。この発想には甘えがあります。助言は助言として聞かなければいけません。日本人は何故か、インディペンデントであることに価値を認めないし、そうあることにプライドがない。「独立して自分でやっていくんだ、誰も助けてくれないんだ」という思いで仕事をすれば決意ができますし、出来た時の達成感や充実感が有ります。それが次の自信につながります。

今の日本の置かれた状況は悲しいですよね。日本は歴史的にも、戦国時代、明治維新、第二次世界大戦など全部一度焼け野原になってから再生する国ですから、今の経済状態も一度焼け野原にならないと再生しないのかも知れませんね。

Q: シリコンバレーで一緒に仕事をしていく場合どういう所に注意すればよいですか?
A: シリコンバレーはドッグイヤーと言われました。犬は人間の一年が7年分。それだけの速度で新陳代謝が行われている。その頃日本はエレファントイヤーと言われた。エレファントイヤーは人の10倍。だからシリコンバレーと日本は70倍違うことになります。だからシリコンバレーに来たらシリコンバレーのペースでないとうまくいかないですよね。日本で事業がうまくいったからといって此方でうまくいくわけではありません。郷に入ったら郷に従え、です。

一緒に働く相手に関しては、自分でリファレンスを取れる先を探しに行く。その徹底したレファレンスの結果、納得出来たら、素早く決断をすることが重要だし、決めたら今度は徹底して相手を信頼して一緒に仕事をする。自分自身の自立と、相手に対する信頼と協調が大切です。

日本企業に対しては、SV企業にEquity Investmentをする時に紐をつけないようにしてほしい。投資の見返りに期待してよいのは成功した時の株の売却益又は配当だけ。「投資したのだから、日本での商権をくれ」などというのは相手がそう望まない限り、要求してはいけません。納得づくで出資した会社のビジネスプランを十分に尊重しないといけない。他の投資家もいる事ですし、自分達だけの論理を押し付けるべきではありません。

Q: お話をうかがっていると非常に自然体でインターナショナルな感覚を持っていらっしゃるように感じますが・・・
A: 自然体というのはとても大切な感覚です。神が決める、という感覚はビジネスの世界でも決して間違っているとは思いません。タイミングというのは否が応でも必ずありますから。自分の能力へのしっかりした認識と、自分でやる、という意識があれば、つまり、自分を失わなければ、チャンスが目の前を通った時に迷わないんです。迷うというのはどこかに甘えがあるっていうことです。誰かに頼ろう、もっと美味い話があるという意識が有ると云う事だと思います。

ある日本人の若い人達が集まる会があるんです。そこで、日本人が何故CEOになれないのか、という話し合いをしているパネラー達に対してある人が質問しました。「日本人の悪い点に対する話が多かったのですが、日本人であってよかったなぁと思うことがあったら、教えて下さい」と聞いたんです。その時パネラーの人たちは「日本の産業との橋渡しができる」「日本人は我慢強いから多少CEOに問題が有っても長期的には上手くいくようにCEOを盛り立てることができる」「会社が大変な時はレイオフせずに、給料が低くても皆で我慢できる」と答えていました。これらはすべて見当違いです。日本の産業との協業が逆にビジネスの妨げになることもたくさんあります。CEOの人材選択を間違う事は有り得る事ですが、その間違いに気が付いたら直ぐCEOを更迭しないと会社は失敗します。また、レイオフは会社のみならず、レイオフされる側にとっても心機一転出来る機会でもあり、妙な被害者意識は寧ろ健全では有りません。ここで言いたいのは、日本人だから良いとか悪いとかの議論そのものがおかしいと云う事です。

シリコンバレーで此方の人達と互角にやる上では、自分が日本人だと意識しないことが重要です。自分が日本人だという意識を持つ時点で負けています。得意分野に違いが有っても、みんな能力にそんな差はないんですから、メンタルで負けて欲しくありません。個人としてやって欲しい。性別も同じです。女だから、とやってほしくない。女だから男に負けたくないと思った時点でそれも同じことなんです。自然体でいて欲しい。自然体でいれば、自分が何が出来て何が出来ないかすぐ判断できます。

インタビュアー感想 :石戸奈々子

いつのまにか気負いを感じていた気がします。日本人という視点でみなさんにインタビューし,女性の仕事場としてのシリコンバレーに興味を持っていました。この時点で藤村さんのおっしゃる“自然体”とは離れていたのだと思います。自分を見失わずにあくまで自然体で。今後そのような姿勢を身に付けていきたいと思います。