8年ほど前、日本で設計事務所で勤務中、「コンストラクション・マネジメント」という言葉を聞きました。日本には存在しない職能で、単語のとおり、建設を施主に代わって「マネジメント」するという仕事です。施主がコンストラクション・マネジメントを利用すると、建設費は下がり品質は向上され、工期も短縮されるとのこと。当時、日本ではゼネコン絡みの汚職が問題になっており、USTR(US Trade Report)までもが日本の建設費の高さを指摘する始末でした。どんなに誠実に設計をしても、設計者の立場では施工費をコントロールすることは出来ません。そんな時期に施工費について悩みをもつようになっていた私は、自然とコンストラクション・マネジメントという職能について学んでみたいと思うようになりました。


私はCM(コンストラクション・マネジメント)についての独学を続け、次第にCMの実態が見えてきました。MBAに見られるように、アメリカ社会では何事にもマネジメントの価値が重視されています。マネジメントを直訳すると「管理」になりますが、私なりに意訳すると「構造的に計画して実行させる力」となってしまいました。才能に関係なく、マネジメントが誰にでも学べる方法論として確立されているのが米国だったのです。さて、日本でCMを学ぶ事はできないので、コンストラクション・マネジメントを産んだ本家本元である米国に行かなくてはいけません。
学校の選択は、インターネットや、フルブライト奨学基金のライブラリーを利用したり、実際にカタログを請求したりしました。しかし、最終的には大学の教授に電話をして質問するのが一番早い、ということに気がつき、毎日朝一番に起きては電話攻撃に明け暮れました。西海岸の大学にターゲットを絞った理由はいくつかあります。まずは、西海岸は建設については東海岸と比べても前衛的で、かつ、汚職などの問題が少ないので、ゼネコン汚職を見疲れた私にとって、新鮮なのではないかと思われました。加え、西海岸で利用されている建築法規のUBC(Uniform Building Code)は日本の建築基準法の元になったものであることも、馴染みやすさを考えた上でこれは大きな利点でした。
数多い大学の中で、独特な5年間CMプログラムで評価の高いワシントン州立大学は際立った印象をもっていました。ワシントン州立大学は決して一流大学ではありませんが、建設についてはとくに強い学校のようでした。特に興味深いのは建築学部、インテリア・デザイン学部、ランドスケープ学部とのコラボレーションによる、あくまでも実務を想定した授業です。この独特なプログラムを実現させるために大学はInterdisciplinary Design Institute設立し、そのために最新鋭の新校舎を建設しました。この綺麗な新校舎もこの大学に私が決めたひとつの要因であったことは隠せません。最後に、キャンパスが田舎という設定も私の限られた予算にとって大事な要素でした。生活費は2ベッドルーム、2バスで月に$400といった安さで、ルームメートと割ると、家賃はなんと食費以下といった安さでした。
入学について大学に連絡をしたところ、私は既に日本で建築設計の学位を持っていて実務経験もあるので、建築学部の大学院に行くことを薦められました。大学院のプログラムと学部のプログラムを比較した結果、敢えて学部に戻り、一から勉強をしなおすことにしました。それは、私の本来の目的は、CMの仕組みを学ぶことでしたが、同時にCMを産んだ米国社会の背景を詳しく知っておく事でもあったからです。ある学者が、その国を一番早く学ぶには、その国の小学校の教科書を読破することだ、という意見も耳にしたこともありました。基礎を学び直すのが目的ではなく、米国のことを効果的に知るために、どうしても学部に戻らなくてはいけなかったのです。大学院で学ぶ問題点にも触れました。まだ日本にいる間、米国の大学院で2年間だけ過ごした日本人何人かに会ったことがありました。彼らの多くが、図書館と研究室を他の留学生と往復する毎日を送り、米国社会の基本を学ぶ機会を持てなかったと愚痴をこぼしていました。これが一般的な例だとはかぎりませんが、こういった大学院留学生が多く存在していることも確かでしょう。加えて、私が大学院で専門分野を深めることに当時ほとんど興味を持っていなかったことも、わたしが躊躇なく学部に戻れた理由のひとつでしょう。
結果として他の学生と比べて10歳も年上の学部生として大学も戻ることになりました。一度、社会に出ているおかげでしょうか、法律、会計など全ての基本的なクラスでも日本社会との比較で新鮮に学ぶことが出来、想像以上に深く米国社会を学ぶことが出来ました。契約社会として法の力が強い米国では、常に全てのことについて公平さが重視されます。「ドンブリ勘定」の日本に対して、「適正価格」の米国、という比較を良く私は使います。建設がマネジメントされれば、施主は高品質な建物を適正価格で建物を建てることが可能でありながら、施工会社も低くても確実な利益を得ることが出来るのです。日本式のドンブリ勘定方式は、建設費を吊り上げたばかりか、汚職の温床となってしまっていたが事実でした。繰り返すと、CM業とは高品質な建物を適正価格で建てるために「建設を裁く」職能だったのです。CMの局面も建設に関する工程管理や品質管理、施工技術だけでなく、管理会計、経営、マーケティング、法、人事などと広範囲に拡がっているためか、ほぼ50%がビジネスのクラスと関係を持っていました。コンストラクション・マネジメントの「マネジメント」という学問は、ビジネスと共有されているのも印象的で、改めて「マネジメント」の分野を超えた価値をよく教えられました。実際にCMの学生の多くはビジネス学部とDual Degreeを取得しており、中にはそのままMBAに進む学生もいました。
当初の目的では、CMを学んだら日本に帰る予定でしたが、学校の授業だけで実務を知らなくては日本で紹介するCM業の内容も浅くなってしまう危惧もありました。そこで在学中ながら、就職活動を始め、なんとか学校の近くのRoen Associatesというコンストラクション・マネジメント会社でパートタイムの仕事を見つけました。結果として仕事が非常にいそがしくなり、卒業直前の1年は、週のほとんどを働いて過ごす事になりました。仕事の内容は、施主に代わって建設工程と工事費の管理、設計事務所のために設計見積もり、設計図面の検査などがありました。既に設計経験のある私にとって、図面や仕様書のチェックなどは比較的楽なものでした。しかし同時に、日本と米国の建設、設計の違いを実務を通してよく学ぶことが出来たのは大きな利点でした。学校に関して、卒業の1年前は、専門性をより高めるため、レクチャー方式の授業はほとんど無くなり、課題中心の授業になります。ですから、学校には週に1日か2日、課題の進行状況のチェックに顔を出す程度になります。学校は24時間開いているので、仕事が終わってから深夜までを課題の時間に当てることが出来ました。
CMを学んでいるうちに、CMという学問そんなに単純でないことを実感します。まず、CMとは、あくまでも施主の利益を守るのが仕事であり、この職能は基本的に米国全土で効果的な職能として確立されていることは良く理解できました。しかし、コンストラクション・マネジメントの「マネジメント」が限りなく多様であることも知ったのです。自動車の製造と異なり、建設とは、契約方法、土地、設計、施主、法規、規模、コンサルタント、下請けがプロジェクトごとに毎回異なります。そのため、建築の生産性の向上を方式化するのは「不可能」とまで言われてきました。そういった建設のプロジェクトは非常にダイナミックであり、マネジメントの技能が非常に重要視されます。全てのプロジェクトにはそれぞれ異なるCMの方式がデザインされなくてはいけないというのがCMのあるべき理屈でもあります。
そして最も課題なのは、建設における生産管理です。自動車製造のように方式化できない建設をどうやって効率よく行うか、というのは人間が建物を建て初めて以来の悩みでした。いい加減なCM会社になると、ただ単に施主の代行で財布の紐の管理をしているだけで、まったく建設に関与しないところもあるくらいです。大学の半ばで、私の信じるCMとは、プロジェクトの経営上の管理に限らず、スケジュール管理を含めたトータルの生産性管理であることに気づきました。気の合う同級生達と深夜の勉強会を通し、「建設をマネジメントするとは何ぞや」という問答を続けましたが、議論は拡がる一方。議論はプロジェクト・マネジメントに関する一般の知識から、最新のクォリティ・コントロール論まで飛躍する始末でした。時には議論は建設の生産性を本質的に上げるためには、建築設計から向上されなくてはいけないという内容にまで発展し、教授はそういった我々のためにDesign-Build(設計施工)を学ぶ特別な夜学のクラスをわざわざ作り上げてくれました。
Hands-Onで建設自身を様々なプロジェクトを通じて学ぶことが建設の生産性管理には必要だと知った私は、卒業9ヶ月くらい前くらいから、本気で建設会社を探し回り面接を続けました。アメリカの大学と企業のつながりは強く、学校で行われたキャリア・フェアなどを通じて多くの会社と知り合う事が出来たのも就職活動には大きなプラスでした。景気の後押しもあり、働いてみないか、と声をかけてくれた多くの会社の中から、シアトルでは歴史があり最も評価の高いSellen Construction、そしてCMを得意とする大手のTurner Constructionと、シリコンバレーで生まれた若手ながらカリフォルニア最大の建設会社であるDPR Constructionという3つにターゲットを絞ります。
常に新しい建設の方法を模索しているDPRと不思議とお互いの目的が合致していたのがDPRに決めた理由です。人間が生まれて最大の発明の一つはコンピューターだといわれます。DPRはそれに習い、おなじシリコンバレーのハイテク会社達のようにコンピューターを駆使することによって、プロダクティビティを上げようという方針を持っていました。そして、いままで不可能といわれた建設の生産性の向上は、莫大な仕事量を短期間でこなすことのできる、コンピューターというツールで初めて可能になることにも気づいていたのです。例えば、DPRはコンピュータのレンダリングと時間軸を融合した「4Dモデリング」という方法で、立体的に工程管理を行うような努力をしています。そういったDPRの性格に加えて、この会社の、いままでの古臭いゼネコン体質を破り、何にも対して誠実であろうという態度がとても私の気に入りました。個人的には、施主がシリコンバレーのハイテク会社ばかりであり、そういった会社から今一番のハイテク・トレンドについて学べるのではないかという希望もありました。
普通、日本でゼネコンに就職すると、現場監督の補佐で測量を手伝いしたり、「下積み」が何年も必要になりますが、DPRの場合、エンジニアとして就職しても、それは既にマネージャー候補であり、初日からプロジェクト・マネジメントのイロハを教えられます。上記の通り、マネジメント能力が建設には必要だと分かる理由がこれです。トレーニングでも、建設技術に加え、施主との関係改善や、下請けのコントロールのしかた、仕事の見つけ方、ネットワーキングの仕方、リスク回避の方法などなど。私が働いたプロジェクトで、総工費が100億円以上ある巨大プロジェクトがありましたが、プロジェクト・マネージャーはなんと27歳の女性。若くて経験が浅いため、彼女の建設についての知識には限りがありましたが、会社は彼女のマネジメント能力を高く評価したのでしょう。実際に彼女は施主との関係を上手に保ちながら、会社に確実な利益をもたらし、現在は30歳にしてオフィスのオペレーション・マネージャー(取締役)まで昇級してしまいました。
私は現在まで、シニア・エンジニアとして、数々のプロジェクトをこなして来ました。しかし、DPRがいくら前衛と言っても、米国のゼネコン業界はいまだに白人社会であり、まだまだ外国人の人口は少なく、言葉の壁は一向に低くならないのが頭痛の種です。それでも、実力でしか人を測らないという米国社会の体質は建設界にもやはり生きつづけており、自分がやればやるだけ評価されるのも事実です。逆に失敗すれば、いつクビになるかわかりませんが、成功すれば評価の度合いは日本の比ではありません。例えば、就職してすぐ、中途で遅れをとっているプロジェクトに参戦してスケジュールを救ったことへの評価は、勤め初めてたったの6ヶ月で20%の昇給という結果に表われました。このような「やればやるだけ評価される」という環境での毎日の仕事はスリルがあり、限りなく刺激的です。自分はいまだに「日本で産まれ育った日本人」という米国建設界では異端な存在で、「自分は米国社会に属している」という意識がまだまだ薄いままなのはいまだに事実です。しかし、実力社会、競争社会の持つ緊張感が自分の性格ととても合致していることも、私が無意識に米国に長居してしまっている理由なのかもしれません。
いくら米国社会と自分の相性が良くても、「日本に帰る予定か?」という質問について、「可能性は半々ですね」と答えるのが癖になってきました。日本が自分にとって産まれ育った国であることに加え、いまだに自分が学んだことを日本に紹介するのは自分の義務だと信じているからでもあったからです。今でも新日本建築家協会(JIA)や日本の建築家達とは連絡は取りつづけており、いずれは書籍や実際のプロジェクトといった形で米国のCMを紹介する予定です。コラボレーションのような形で米国型CMを日本に持ち込む方法も模索中です。建設の生産性向上についてのアイデアも、自分の内部ではちきれるほどに膨れ上がっています。現在は仕事の外で、そういった生産性向上を目指すグループと連絡をとったり、同じ業界で働く友人と集まって勉強会を行ったりしています。
米国の「マネジメント」への執着は、だれでも方法論を学べばサクセスできるという合理的な考えの上に立っています。これはアメリカ社会の姿勢そのものであり、才能なんて関係なく、「ちからわざ」で自分をかなりのレベルまで向上できるのがこの社会であることも知りました。ただしリスクもあります。レイオフや転職が当たり前の米国で、私は5年後に何をやっているか、まったく想像が出来ないのが事実です。次の原稿の内容はこれとは全く異なる内容になっているかもしれません。この原稿内容について質問のある方は、お気軽にmozant@dprinc.comまでE-mailをお送り下さい。
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戸谷茂山  DPR Construction, Inc
筑波大学芸術学科建築デザイン学部卒業後、日本で師である鬼頭梓先生と石井和紘先生から設計を実践を通じて5年間学んだ後、米国に渡る。ワシントン州立大学のInterdisciplinary Design Instituteでコンストラクション・マネジメント学を修了。卒業後ワシントン州のコンストラクション・マネジメント・ファーム、Roen Associatesにてコンストラクション・マネージャーとして勤務、設計と施工のコンサルティングを行う。その後、カリフォルニア州に移り、DPRコンストラクションのSan Jose Officeのスタートアップに参加。サン・マイクロシステムズの数々のミッション・クリティカル・ラボのデザイン・ビルド・プロジェクトを担当、カリフォルニア大学のコンピュータ工学部新校舎などを手がける。最近は建設におけるプロダクション・マネジメントの一つとして知られるLean Constructionを研究中。

One Thought on “私が米国の建設会社で働いている「長い」経緯

  1. 田中 光太郎 on October 12, 2008 at 2:02 am said:

    戸谷茂山様
    田中光太郎と申します。
    原稿「私が米国の建設会社で働いている「長い」経緯」を読ませていただきました。大変興味深い記述をありがとうございました。
    現在私は大学院修士1年であり、これから就職活動を行うべく、建築分野の業種についてを調べております。その中でCMの業務に興味を持ちました。
    しかしながら日本でCMがまだ普及していないせいか、具体的な業務内容、例が明確ではありません。
    そこで、日本でのCM業務や今後の展望等をご存じでしたらお教え下さい。
    よろしくお願いいたします。
    田中

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