2002年06月24日
インタビュー : 立野 智之
シリコンバレーで多くの人に接してきた立野さんに、シリコンバレーで働くためのHow to を聞かせていただきました。どのようなマインドを持っている人がシリコンバレーで活躍しているのか、そしてその実態を立野さんの知人の方を例にお話いただきました。(インタビュー日:2002年6月18日)
プロファイル
慶應義塾大学工学部卒業。慶應義塾大学大学院、工学研究科修士。プラントエンジニアリング会社日揮にて海外プロジェクトマネジメントシステム開発エンジニアとして勤務。リクルート社、米国ハイテック部門Senior Vice Presidentとなる。その後、Justsystem米国法人にて、Senior Vice President / Justsystem Venture Capital 責任者を務める。現在はIMCA AMERICA, Inc. にて、Managing Director & CEOを務めるかたわら、JETRO US-Japan Business Incubation Center ボードアドバイザー、およびVenture Capital Fund of America アドバイザーとして活動。
- http://imcaamerica.com/
インタビュー
Q: 会社の概要に関してお聞かせください。
A: まず東京にあります親会社のイムカ(IMCA)について説明します。イムカは、エンジニアやマネジメントの方々を企業に紹介するという人材紹介「Executive and Engineer Search」のビジネスを日本で最も早く始めた会社で、現在ハイテック関連企業の顧客を中心に活動しています。ご存知ない方が多いと思いますが、「Executive Search」というビジネスは、マネジメント・コンサルティング会社から枝分かれしたビジネスです。マネジメント・コンサルティング先の顧客から組織戦略の一環として「新しいCEOを探したい」あるいは、「VPを入れ替えたい」という要望が頻繁にあり、それでは人材探しという一部機能を切り離して、Executive Searchという新しい産業を作ろうという動きが37年前Los Angelesで起こったのが起源です。イムカのファウンダー武原氏は当時UCLA留学中で、この動きを身近に体験しExecutive Searchビジネスを日本に持ち帰りイムカを起業しました。それから37年、現在では年間約1000人の方がイムカの紹介で新しい仕事にチャレンジされるまでになりました。
イムカの戦略子会社としてシリコンバレーの会社を作ったのは2年半前で、現在3つの動きをしています。一つは「アウトバウンド」アメリカのハイテクベンチャーで日本進出を計画している会社に対して、日本法人の社長やマネジメント、エンジニアを紹介し組織作りの支援をしています。二つ目は、「インバウンド」日本から米国に進出するベンチャーに対してアメリカのエントリーの仕方をサポートします。米国進出のビジネスプランをレビュー、組織戦略を検討し、それに見合ったマネジメント人材を探してきてチームを作ってお渡しします。3つ目はシリコンバレーにおいて、「日本」というキーワード求人企業に人材を紹介することです。パターンは3つあり、一つは、日本市場進出計画中だが、日本のことをよく知らないというハイテクベンチャーの「日本市場担当Director」採用。2つ目はプロダクトマーケティングという役職で日本向けの商品開発を考える人の採用。米国ハイテク企業の多くが日本市場向け商品開発は日本で行わないで、こちらで日本人を採用して開発を行います。最後は在シリコンバレー日系企業の「人事国際化、現地化」戦略として、駐在員をローカルプロフェッショナルに置き換える人材採用です。
イムカの戦略子会社としてシリコンバレーの会社を作ったのは2年半前で、現在3つの動きをしています。一つは「アウトバウンド」アメリカのハイテクベンチャーで日本進出を計画している会社に対して、日本法人の社長やマネジメント、エンジニアを紹介し組織作りの支援をしています。二つ目は、「インバウンド」日本から米国に進出するベンチャーに対してアメリカのエントリーの仕方をサポートします。米国進出のビジネスプランをレビュー、組織戦略を検討し、それに見合ったマネジメント人材を探してきてチームを作ってお渡しします。3つ目はシリコンバレーにおいて、「日本」というキーワード求人企業に人材を紹介することです。パターンは3つあり、一つは、日本市場進出計画中だが、日本のことをよく知らないというハイテクベンチャーの「日本市場担当Director」採用。2つ目はプロダクトマーケティングという役職で日本向けの商品開発を考える人の採用。米国ハイテク企業の多くが日本市場向け商品開発は日本で行わないで、こちらで日本人を採用して開発を行います。最後は在シリコンバレー日系企業の「人事国際化、現地化」戦略として、駐在員をローカルプロフェッショナルに置き換える人材採用です。
Q:立野さんご自身に関する経歴をお願いします。
A:私のキャリアパスが皆さんのお役にたつのかはわかりませんが。
大学では、今や恐竜時代ともいえるパンチカードを利用してデータを入力する時代に、コンピュータエンジニアリングを勉強しました。大学院へは勉強のためというよりヨットをするために行ったような不真面目な院生で、1年のうち200日くらいヨットにのっていたと思います。いざ就職ということになり、ヨットを続けるのに地理的に便利そうな会社を選ぶというのが条件でした。当時この条件に合うのは、NTTの横須賀通信研究所と日揮という会社しかない。NTTは競争も大変そうですし、自分を活かすには組織が大きすぎると思い、むしろ海外プロジェクトに携わる機会が多いことに着目し日揮に入社することにしました。石油精製プラントを海外に作るためのマネージメントをする会社で、プロジェクトをコンピュータシステムでマネージする部隊に配属となりました。入社2ヶ月後で資材管理、給与計算、会計処理などのプログラムを開発し、シンガポールに駐在となりました。シンガポールの現地では約1000人のエンジニアが勤務していましたが、彼らに自分が開発したシステムの使い方を教えるというアサイメントです。システムが立ち上がると帰国、今度は別のプロジェクト向きにシステムを開発し、現地に赴く。この繰り返しで、シンガポール、インドネシア、クウェート、ナイジェリア、アルジェリア、スーダン、マレーシアに駐在することになりました。常にプロジェクトの現場に駐在し、何もない所にコンピュータセンターを作って、現地で採用した部下を教育しシステム運用を任せる。このようなアサイメントを約7年間経験でき、非常に充実して勤務していました。プロジェクトというのは、何もない所から会社組織を作って、プロジェクト終了後には会社をたたむプロセスを踏むわけです。
ベンチャーの起業とは異なりますが、会社誕生から、終焉までを身をもって体験できる職場でやりがいをもって業務を遂行していました。ところが、電話も手紙も届かないナイジェリア駐在中、私の知らない間に子供が生まれ、2ヵ月後に出た辞令で喜び勇んで日本に戻ったのもつかの間、別プロジェクトでインドネシア駐在中の部下が法定伝染病にかかり、その代替要員として急遽トンボ帰りのようにインドネシアに向かう事態になってしまいました。この頃からでしょうか、「家族を省みることのできない出稼ぎ状況」に妻が不満を言い出したのは。
このような状況がいつまで続けられるのかと思い悩んでいた頃、リクルート社が東京、ロンドンNYをベースにコンピュータ事業の新規展開を計画しており、海外でコンピュータセンターを立ち上げ、運営できる、つまり一からコンピュタービジネスを立ち上げられる人材を探していました。当時コンピュータエンジニアで、海外でビジネスの立ち上げに携わった人材が日本国内には殆どおらず、希少価値として、私のことを見つけてくださったようで、「家族ひとつ屋根の下で暮らせるアメリカで働かないか」、というオファーに飛びついたわけです。NYではIBMのメインフレームコンピュータを2台抱えて、アプリケーションソフトウェアプロバイダー、データセンターマネジメントサービスの事業立ち上げを担当しました。当時リクルート事件の真っ只中にあったため、日系企業は営業対象からはずさざるを得ず、アメリカ企業に営業フォーカスをシフトしました。7年間NYにいたのですけど、アメリカ企業向け営業の挑戦が効を奏したのか、日本からの出張訪問者に「アメリカの会社向けソフトフェア・コンピュータ事業をどうすればよいか」と質問される機会が増加しました。そのひとつに、ジャストシステムからの「アメリカを起点に世界展開したい」という相談があり、NYの私のオフィスでお会いすることになった米国法人社長候補が、なんと大学院の同級生だったのです。
彼からシリコンバレーで一緒にやろう、と誘われ、リクルート社の事業も軌道に乗ってきたこともあり、1994年にジャストシステム米国事業立ち上げプロジェクトに移ることを決めました。
手始めにメンロパークにアパートを借り、オフィス兼ホテルとしてビジネスプラン検討に着手しました。当初は「日本のソフトウェアをアメリカ市場で売ること」、「シリコンバレーで生まれる新しい技術を早めに入手する」「研究開発機関を設けて、天才的エンジニアを集める」という目標をたてたわけです。ソフトウェアをアメリカ市場で売ることは、残念ながら実現しませんでしたが、新しい技術を取り込む仕組みに関しましては、(今ではあたりまえですが、当時では非常にユニークな)「Corporate Venture Capital」という形で活動を開始しました。この頃、日系企業大々的にでシリコンバレーのベンチャーに投資をしている会社は限られており、私どもがVenture Capital を始めると宣言したところ瞬く間に新しいビジネスプランを入手する仕組みができあがり、晴れて正式に約80億円の資金を投資するVCチームを作る事になりました。我々が投資した中で最もヒットしたのは、スタンフォード大学を出たばかりの天体望遠鏡の画像をデジタル化する技術を持っていた若者二人が発案した電子透かし技術の会社でした。約1億円ずつ二回、トータルで約2億円を投資しました。初めは一株あたり75セント、次は1ドル25セント、99年にこのベンチャーがIPOしたときは80ドルの値をつけました。計算上2億円の投資が160億円になりました。これが大ホームラン、VCの醍醐味です。当時、平均して我々は年間約2000のビジネスプランを審査し、そのうち20案件ほど詳細な調査をして、7社に投資していました。それで成功する成績は3割くらい、うち一本がホームランだと年率40%の利子を返す成績になるんです。
ジャストシステム時代のもう一つの目標「研究開発拠点開設」に関しては以前からお付き合いのあったカーネギーメロン大学のキャンパスに研究所を開設、最終的にはシリコンバレーにあったVenture Capital 部隊もこちらに統合することにいたしました。
そんな時、現在責任者をしていますイムカ・アメリカ社の設立の機会を戴き、新たなチャレンジに取り組む決心をした次第です。コンピュータ事業やベンチャーキャピタルとイムカアメリカの「Human Capital」という人材ビジネスに大きなギャップがあるように思われるかもしれませんが、「Venture Capitalとは、技術やマーケットに投資するのではなく、ベンチャーで働く人即ちHuman Capitalに投資している」というフィロソフィーを持っていました私には現在の仕事はまったく違和感がないのです。
大学では、今や恐竜時代ともいえるパンチカードを利用してデータを入力する時代に、コンピュータエンジニアリングを勉強しました。大学院へは勉強のためというよりヨットをするために行ったような不真面目な院生で、1年のうち200日くらいヨットにのっていたと思います。いざ就職ということになり、ヨットを続けるのに地理的に便利そうな会社を選ぶというのが条件でした。当時この条件に合うのは、NTTの横須賀通信研究所と日揮という会社しかない。NTTは競争も大変そうですし、自分を活かすには組織が大きすぎると思い、むしろ海外プロジェクトに携わる機会が多いことに着目し日揮に入社することにしました。石油精製プラントを海外に作るためのマネージメントをする会社で、プロジェクトをコンピュータシステムでマネージする部隊に配属となりました。入社2ヶ月後で資材管理、給与計算、会計処理などのプログラムを開発し、シンガポールに駐在となりました。シンガポールの現地では約1000人のエンジニアが勤務していましたが、彼らに自分が開発したシステムの使い方を教えるというアサイメントです。システムが立ち上がると帰国、今度は別のプロジェクト向きにシステムを開発し、現地に赴く。この繰り返しで、シンガポール、インドネシア、クウェート、ナイジェリア、アルジェリア、スーダン、マレーシアに駐在することになりました。常にプロジェクトの現場に駐在し、何もない所にコンピュータセンターを作って、現地で採用した部下を教育しシステム運用を任せる。このようなアサイメントを約7年間経験でき、非常に充実して勤務していました。プロジェクトというのは、何もない所から会社組織を作って、プロジェクト終了後には会社をたたむプロセスを踏むわけです。
ベンチャーの起業とは異なりますが、会社誕生から、終焉までを身をもって体験できる職場でやりがいをもって業務を遂行していました。ところが、電話も手紙も届かないナイジェリア駐在中、私の知らない間に子供が生まれ、2ヵ月後に出た辞令で喜び勇んで日本に戻ったのもつかの間、別プロジェクトでインドネシア駐在中の部下が法定伝染病にかかり、その代替要員として急遽トンボ帰りのようにインドネシアに向かう事態になってしまいました。この頃からでしょうか、「家族を省みることのできない出稼ぎ状況」に妻が不満を言い出したのは。
このような状況がいつまで続けられるのかと思い悩んでいた頃、リクルート社が東京、ロンドンNYをベースにコンピュータ事業の新規展開を計画しており、海外でコンピュータセンターを立ち上げ、運営できる、つまり一からコンピュタービジネスを立ち上げられる人材を探していました。当時コンピュータエンジニアで、海外でビジネスの立ち上げに携わった人材が日本国内には殆どおらず、希少価値として、私のことを見つけてくださったようで、「家族ひとつ屋根の下で暮らせるアメリカで働かないか」、というオファーに飛びついたわけです。NYではIBMのメインフレームコンピュータを2台抱えて、アプリケーションソフトウェアプロバイダー、データセンターマネジメントサービスの事業立ち上げを担当しました。当時リクルート事件の真っ只中にあったため、日系企業は営業対象からはずさざるを得ず、アメリカ企業に営業フォーカスをシフトしました。7年間NYにいたのですけど、アメリカ企業向け営業の挑戦が効を奏したのか、日本からの出張訪問者に「アメリカの会社向けソフトフェア・コンピュータ事業をどうすればよいか」と質問される機会が増加しました。そのひとつに、ジャストシステムからの「アメリカを起点に世界展開したい」という相談があり、NYの私のオフィスでお会いすることになった米国法人社長候補が、なんと大学院の同級生だったのです。
彼からシリコンバレーで一緒にやろう、と誘われ、リクルート社の事業も軌道に乗ってきたこともあり、1994年にジャストシステム米国事業立ち上げプロジェクトに移ることを決めました。
手始めにメンロパークにアパートを借り、オフィス兼ホテルとしてビジネスプラン検討に着手しました。当初は「日本のソフトウェアをアメリカ市場で売ること」、「シリコンバレーで生まれる新しい技術を早めに入手する」「研究開発機関を設けて、天才的エンジニアを集める」という目標をたてたわけです。ソフトウェアをアメリカ市場で売ることは、残念ながら実現しませんでしたが、新しい技術を取り込む仕組みに関しましては、(今ではあたりまえですが、当時では非常にユニークな)「Corporate Venture Capital」という形で活動を開始しました。この頃、日系企業大々的にでシリコンバレーのベンチャーに投資をしている会社は限られており、私どもがVenture Capital を始めると宣言したところ瞬く間に新しいビジネスプランを入手する仕組みができあがり、晴れて正式に約80億円の資金を投資するVCチームを作る事になりました。我々が投資した中で最もヒットしたのは、スタンフォード大学を出たばかりの天体望遠鏡の画像をデジタル化する技術を持っていた若者二人が発案した電子透かし技術の会社でした。約1億円ずつ二回、トータルで約2億円を投資しました。初めは一株あたり75セント、次は1ドル25セント、99年にこのベンチャーがIPOしたときは80ドルの値をつけました。計算上2億円の投資が160億円になりました。これが大ホームラン、VCの醍醐味です。当時、平均して我々は年間約2000のビジネスプランを審査し、そのうち20案件ほど詳細な調査をして、7社に投資していました。それで成功する成績は3割くらい、うち一本がホームランだと年率40%の利子を返す成績になるんです。
ジャストシステム時代のもう一つの目標「研究開発拠点開設」に関しては以前からお付き合いのあったカーネギーメロン大学のキャンパスに研究所を開設、最終的にはシリコンバレーにあったVenture Capital 部隊もこちらに統合することにいたしました。
そんな時、現在責任者をしていますイムカ・アメリカ社の設立の機会を戴き、新たなチャレンジに取り組む決心をした次第です。コンピュータ事業やベンチャーキャピタルとイムカアメリカの「Human Capital」という人材ビジネスに大きなギャップがあるように思われるかもしれませんが、「Venture Capitalとは、技術やマーケットに投資するのではなく、ベンチャーで働く人即ちHuman Capitalに投資している」というフィロソフィーを持っていました私には現在の仕事はまったく違和感がないのです。
Q: 日本でもシリコンバレーで働きたいと思っている学生がいると思うのですが、そういう方にどういうチャンスがあるのでしょうか?
A: 日本でも米国でも勤務経験の無いあるいは少ない学生が、いきなりシリコンバレーで働く可能性は、残念ながら現実的ではありません。学生という定義において、シリコンバレー勤務の可能性が高いのは、約4万人とも言われている留学生ではないでしょうか。留学生のほとんどが米国に残って仕事をしたいと希望している統計がありますし、実際に米国で仕事に付いている方にはどうやらパターンがあることもわかりました。日本人留学生の技術的なレベルとかインテレクチュアルなレベルを見ると、ものすごいピラミッド構造になっているんです。米国人のエンジニア、サイエンティストと競争できる、いわゆるトップレベルの学生は5%くらいでしょうか。トップ層のうち、例えばMBAを例にとると、トップ20の大学にいるとMBA 留学生は5月卒業に対して、前年の11月には次の年の就職は決まります。その就職は日本に帰る選択肢と、アメリカに残る選択肢があると思うのですが、どちらに関しても十分なオファーがあります。トップ層の留学生に関しては自分でチョイスができるくらい色々な企業がアクセスしてきます。また トップ層の留学生に女性が多いのも特徴です。
Q:企業がアクセスしてくる、とおっしゃっていましたが、どのような形で企業はオファーをしてくるのですか?
A:大学に必ず企業との就職窓口機関があり、キャンパス内で面接のお膳立てをしてくれます。企業からの求人案内通知は大学を通じて出されます。大学としても、いい企業に卒業生が就職することで新たに良い学生が入ってくるというビジネスモデルなので積極的に企業を呼んで来ます
Q:こちらにいるトップ層の日本人学生というのはやはりスタンフォードとかにいらっしゃる学生さんですよね?
A:学歴ということではそうです。ただ実力的に私がお会いした方の中ですごいなと思う人は学歴目当てではなく、アメリカにしかない技術を目指して留学される人たちです。私の知り合いで、慶應高校に通っていた頃から、宇宙の勉強をしたがっていた人がいました。日本では宇宙の勉強ができるのは東大しかなく、東大とはいえ自分の思う世界レベルの勉強はできないと判断し、いきなりIVY Leagueのコーネルに入学しました。こういう人はすごいですよね。はじめからアメリカでプロとしてやっていける人です。みんながみんな、そういう人でなく、ある日突然「自分のキャリアパスはMBAだ」と言ってアメリカに来る人は・・・。MBAといってもトップスクールでないと、かえって邪魔になってしまうんです。話を戻すと、さっきの5%の人は困難なく就職が決まっていく人達です。残りの95%は、チョイスは二つしかなくて、日本に戻って就職するか、こちらで1年間プラクティカルビザで働いて、その間に新しい仕事を決めていくか、のどちらかです。
Q:トップ5%はプラクティカルビザを使わないということですよね?
A:企業からH1ビザをスポンサーしてもらえるからです。一番いい例ですと、さっきお話した宇宙を目指していた人はNYの証券会社にエンジニアとしてアメリカ本社採用で入社、H1ビザ入手後、グリーンカード(永住権)のサポートも会社からしてもらったそうです。その後、ウォートンのMBAに行き、マッキンゼーから声がかかって・・・と自分がしたいようにキャリアパスが決まっていくんですね。
Q: 他にどのようなロールモデルがありますか?
A: 日本の大企業の研究所からの企業派遣で、スタンフォードでPh.D.まで取った人がいました。シリコンバレーの風土と派遣元、日本の大企業との差が大きいことを実感し、帰りたくなくなってしまったのですね。その人は技術的にも優秀な方で。それでシリコンバレーのベンチャーにアプライしたら、やはりすごい技術をもっている、ということですぐにOKが出ました。しかも、サイニングボーナスとして、前の会社に返さなければならない5年分のスタンフォード留学費を払ってくれた。そういうこともあります。
これは少し違う例なのですが、アメリカのベンチャーが日本人のPh.D.を採用したいという話もありました。光通信の分野の技術者を採用したいが、その領域のエンジニアは世界を見渡しても、日本にしかない技術とうことです。日本の学会名簿をみて「この研究者が欲しい」と指名がありました。ただこのケースは研究者本人から断られました。「光通信の分野は日本の方が進んでいるのに、なぜわざわざアメリカのリスクが高いベンチャーに行かないといけないのだ」と。仕事のサティスファクションがなかったのです。あと一般的に、シリコンバレーで働くチャンスを断る方の理由として、家族のある方がジョブセキュリティを考えてベンチャーを選ばなかったり、英語で他のエンジニアやサイエンティストと勤務する自信がない、といったことがあります。つまりもともとシリコンバレーの風土を理解していない人に声をかけてもシリコンバレー勤務はハードルが高いということです。
別例でバイオテック関連の研究者の話をしましょう。大学病院の派遣でNIHにて研究をされていた日本人研究者がおられました。NIHで一緒に研究をしていたアメリカ人研究者が辞めてベンチャーを立ち上げる話を聞いて、これはすごい、と思われ、日本の派遣元に戻るのをやめてこちらのベンチャーに飛び込まれました。この方のコメントは、「日本にいると、ドクターをもっていると社会的地位があり、部下がいて、マネージメントをしたりしている。それがベンチャーでは、いきなり一番下のレベルに落とされて試験管洗いから始めることになった。この期間は苦痛だったけれど、それが役に立った」と。この方は現在バイオ関連のVenture Capital をされていますが、Ph.D.などのアカデミアの世界でそれなりの評価を受けた人でも、「低いレベルから這い上がってでもベンチャーをしたい」、という気持ちがあればうまくいくということです。「アメリカで就職したい人」と、「就職してもこちらの人と負けずにやっていける人」は大きく隔たりがあります。その点はよく認識しないといけないですね。
これは少し違う例なのですが、アメリカのベンチャーが日本人のPh.D.を採用したいという話もありました。光通信の分野の技術者を採用したいが、その領域のエンジニアは世界を見渡しても、日本にしかない技術とうことです。日本の学会名簿をみて「この研究者が欲しい」と指名がありました。ただこのケースは研究者本人から断られました。「光通信の分野は日本の方が進んでいるのに、なぜわざわざアメリカのリスクが高いベンチャーに行かないといけないのだ」と。仕事のサティスファクションがなかったのです。あと一般的に、シリコンバレーで働くチャンスを断る方の理由として、家族のある方がジョブセキュリティを考えてベンチャーを選ばなかったり、英語で他のエンジニアやサイエンティストと勤務する自信がない、といったことがあります。つまりもともとシリコンバレーの風土を理解していない人に声をかけてもシリコンバレー勤務はハードルが高いということです。
別例でバイオテック関連の研究者の話をしましょう。大学病院の派遣でNIHにて研究をされていた日本人研究者がおられました。NIHで一緒に研究をしていたアメリカ人研究者が辞めてベンチャーを立ち上げる話を聞いて、これはすごい、と思われ、日本の派遣元に戻るのをやめてこちらのベンチャーに飛び込まれました。この方のコメントは、「日本にいると、ドクターをもっていると社会的地位があり、部下がいて、マネージメントをしたりしている。それがベンチャーでは、いきなり一番下のレベルに落とされて試験管洗いから始めることになった。この期間は苦痛だったけれど、それが役に立った」と。この方は現在バイオ関連のVenture Capital をされていますが、Ph.D.などのアカデミアの世界でそれなりの評価を受けた人でも、「低いレベルから這い上がってでもベンチャーをしたい」、という気持ちがあればうまくいくということです。「アメリカで就職したい人」と、「就職してもこちらの人と負けずにやっていける人」は大きく隔たりがあります。その点はよく認識しないといけないですね。
Q: 今のお話は留学なさっている方の就職だと思うのですが、その他の場合に関してお話いただけますか?
A: 他の場合は就職機会うんぬんより、ビザの問題をどのようにクリアーするかに絡んでくるんですね。アメリカで働くためにはH1ビザが必要ですが、その際にビザの申請元となるアメリカの会社は「ある技能を持つ人を探しているのだけれど、米国籍の人間にはいないから米国外にいる人材を雇うのだ」ということを証明しなくてはならず、これが難しい。晴れてH1ビザで米国勤務が実現しても、H1ビザを出してくれた会社を首になると、自国に帰らなければならない事を知っておくことも大事です。一方、H1ビザのいいところは、いったん取得すると、基本的には本人の技術力をアメリカで認められていることになるので、他の会社でいい就職機会が見つかったときは、H1をトランスファーして転職できる。最近増えていますが、H1ビザ失効前にグリーンカード(永住権)をもらえるとハッピーですね。
Q: グリーンカード取得の条件というのは?
A: 一つは毎年実施されるくじ引きですね。あとはH1ビザを取っていれば基本的に専門性は認められているので、面倒なプロセスさえ通れば取得は難しくありません。ポイント雇用主がその面倒なペーパー処理をしてまで、その人材にグリーンカードを取らせてまで人材を確保したいかどうかですね。
Q: H1取得の条件はなんですか?
A: 特殊技能を持って働く人のためのビザなので、採用条件として会社側が申請してくれます。ただ、技術的に優れているということの証明と、職務内容が自分の専門と関連性があることが必要です。日本の大学、大学院でエンジニアリング、サイエンスを勉強している方はほとんど審査に通ります。
Q:留学してその後働く、とか駐在員でこちらに来ていてそのまま残る、というパターンはどちらもベースがあると思うのですが、こちらでいきなり働こうと思った場合どういうパターンがあるのですか?
A:あまり成功例が無く残念です。あえて一つのケースを上げます、ある人が「グリーンカードが当たった。昔からアメリカで働くのが夢だったので、アメリカに行きたい」とおっしゃるのですが、漠然とした希望だけで具体性がない。そういう場合には心構えを聞いて、夢と現実のギャップに気づいてもらいます。何がしたいのか?どこに行きたいのか?英語はどれくらいできる?ジャパンタイムズが小学校レベルの英語に思えるか?FENのラジオを聞いて遅いと思うレベルか?と。心構えや準備がなかったら、すぐ失敗するのは明白ですので。ですから米国で働くには競争力がない方には、早めにお止めになったほうがいいですよ、はっきりとアドバイスしています。
Q: では、技術もモチベーションもあって、アメリカのこの会社に働きたい、という方がいたら、そういう人にはチャンスはあるのですか?
A: 就職できるようにお手伝いする努力はしますが・・・。こちらの会社は新卒より即戦力を求めます。ですから、まず本人が即戦力となる技術をもっているかどうかが大事です。採用企業にとって即戦力という意味では、物理的に会社の近辺に居住している人材の方が、文化も知っているし、新しい生活もはじめやすいのです。ですから会社近辺の人をインタビューし、それでも採用できなかった場合にはじめて違う地域の人(日本などの海外)に眼を向ける。それが現実です。ある技術が日本にしかなかったり、日本人のエンジニアやサイエンティストにしかできない分野の技術だったり、ということが証明できればいいのですが、なかなかそういうケースは多くないですね。ポイントは米国企業採用担当者が、遠い日本にいる日本人学生をコストと手間をかけて採用するに値する理由があるかですね。
Q: こちらで働く条件というのは、マインド的なものなども含めてどういうことがあると思われますか?
A: 技術の高さなどで他の人と全く違うものを求められている場合は、それに適合しさえすれば英語力などに関わらず実力を発揮されています。
それと、リスクを理解されている方でしょうか。常に選択肢をたくさん持つことをよしとできる人ですね。視野が広いというのでしょうか。自分のスキルなり経験なりをしっかりと分析できて、それをさらに高める努力ができる人です。自分を客観視できるというか。もうひとつの要素としては、会話力で判断できるロジカルシンキング力でしょうか。質問を投げかけたときの返答の速さとか、頭の整理をしてロジカルに会話を組み立てられるかとか。そのようにロジカルな思考ができる人はアメリカでうまくいきます。
Q:アメリカ的なコミュニケーションというのはやはりありますか?
A:はい。エモーショナルでなくロジカルに考えることです。ディベートのトレーニングをされている方はすごいですね。
Q:こちらではアピール力ということをよく聞くのですが。
A: はい、その通りです。これはトレイナブルなので、練習する必要があります。レジュメと呼ばれるもの一つをとってもこちらでは提出する会社ごとにレジュメを作り変えます。レジュメは自分自身をマーケッティングする大事な書類ですから、それなりのアピール努力は必要です。その他に、アメリカ人のマネジメント候補生が受講するプレゼンテーションスキルプログラムを参考にするといいかもしれません。自分のプレゼンテーション風景をビデオにとって反復練習をしたり、資料の渡し方、Q&Aのハンドリングの仕方なども学びます。このトレーニングを通じて、他人から見える客観的アピール力をつけることができます。
また 面接時のアピールテクニックとしてアドバイスが2点あります。一つ目は面接時に必ず聞かれる「あなたはこの会社のために何ができるか?」という質問の答えを、自分をアピールする最大のチャンスとして事前に準備しておくこと。2点目は、インタビューの最後の質問で「この会社について質問はないか」と聞かれますので、ここでも何か確信に触れる質問を用意しておくことです。これらの問答日本人は苦手ですね。あと、質問の答えが分からなかったときには、質問の解釈を変えて答える、などいくつかのテクニックがあります。採用担当者は必ずしも、解答を求めているのではなく、どのように答えるか思考プロセスを見ているわけですから。わかりませんや、NOはできるだけ言わない方がいい。
また 面接時のアピールテクニックとしてアドバイスが2点あります。一つ目は面接時に必ず聞かれる「あなたはこの会社のために何ができるか?」という質問の答えを、自分をアピールする最大のチャンスとして事前に準備しておくこと。2点目は、インタビューの最後の質問で「この会社について質問はないか」と聞かれますので、ここでも何か確信に触れる質問を用意しておくことです。これらの問答日本人は苦手ですね。あと、質問の答えが分からなかったときには、質問の解釈を変えて答える、などいくつかのテクニックがあります。採用担当者は必ずしも、解答を求めているのではなく、どのように答えるか思考プロセスを見ているわけですから。わかりませんや、NOはできるだけ言わない方がいい。
Q:こちらではそのようなトレーニングは小さい時からやっているのですか?
A:はい。幼稚園からやっています。小学校の社会科のプレゼンテーションはみんなパワーポイントなんですね。そのような環境で育ったアメリカ人と同じレベルに立てるようにならないとだめです。
Q: よく採用の前にはリファレンスをとる、と聞きました。でも必ずしも常に仕事が成功するわけではないと思うのですが、失敗することは次へのマイナスにならないのですか?
A: 失敗したのは悪いことではありません。その人だけの問題でなく、その人のコントロールの及ばない事情がある場合が多いのです。その時、その人がどう対応してどう考えたかが大切。むしろいい経験をした、と思ってくれます。
Q: 学歴、ということに関してお伺いしたいのですが、実力はあるのに、学歴がないことが妨げになってしまう、というケースはあるのですか?
A: これは職種によるんですね。研究者とかエンジニアなど、手に職を持っている方はトップスクールとかはあまり関係ないですね。自分の技術的なものだけが就職の判断基準なので、学校のランキングはあまり関係ないです。ただいマネージメント層に入っていきたい、もっと上のポジションにいきたい、と思った場合は、完全に学歴社会です。トップレベルの大学を出ていることが力を発揮します。それとレジュメがロジカルになっていることが重要です。大学を出たあと、どのようなキャリアを積んできているかを重視します。一貫性があるかどうかは重要ですね。
Q:こちらの人はキャリアデザインはしっかり持っていらっしゃるということですか?
A:はい、そうです。でもそれは大学ではなくもっと前の段階で問われます。高校1年の時点で将来何をしたいの?そのためにどの大学に行くの?と聞かれます。日本の場合、決断を後回しにする傾向がありますが。例えば、私の娘は今、中学3年なのですが、得意なのは数学と体育なんです。「体育の先生は儲からないから、数学だ、だから数学をきちんと勉強しないと、」と彼女なりに考えています。それで学校に行くと、「あなたは数学がやりたいのですね、そしてあなたはアジア系ですね、それでは高校2年生になった段階で、スタンフォードで数学を勉強しているアジア系の女子学生を呼んで、アジア系で数学を突き詰めた場合のキャリアパスを話してもらいましょう」、ということになるのです。高校の時からキャリアデザインを真剣にサポートしてもらえる仕組みがあります。
Q: しかし若い時にやりたい、と思ったことが変わることもあると思うのですが。
A: それは選択肢を一つに絞れ、ということではなく20あったら3つくらいに絞れということです。よく日本でお見受けするのは、20個の課題全て、同じくらいできます、という人です。これは困りますね。こちらでは日本と違って全部を同じくらい努力する必要はありません。得意なテーマを絞って頑張れということです。
Q: そのような教育方法には良い点も悪い点もあると思うのですが、どう思われますか?
A: 私は、基本的にはできないことは、客観的に"できない"と親や教師が見極め、子供に伝えてあげるのが大切だと思っていますので、今のアメリカの仕組みには賛成です。
Q: 最後に、立野さんはシリコンバレーで色々な企業を見てこられて、今一番ホットな分野はどこと見ているか教えていただけますか?
A: 最近ホットな話題のバイオは無視できないと思います。ただ私見ですがバイオテックは他の産業に影響を及ぼすテクノロジーか?」といった大きい絵でみたときに、バイオ技術があるから他の産業が引きつられて成長するという未来図はNOに近いと思います。一方IT技術が今以上に進むことで、バイオ技術も進むし、他の産業も発展する。「他の産業に影響を及ぼすという意味」で比率的にはITの進化がやはり、キーワードとして大きいと思います。バイオもこれまで以上に伸びていくでしょうが、私はやはりITに注目していきたいと思います。
インタビュアー感想 :石戸奈々子
多くの経験を積み、多くの方々を見てきた立野さんのシリコンバレーやそこで働く人の分析の鋭さには本当に驚かされました。全ての状況を冷静に分析し判断していくことの重要性を学びました。
on インタビュー Posted by jtpa at 2002年06月24日 01:53




