パロアルトのMing’sにて上記の題目の下、社内移籍によりシリコンバレーに移ってきた方々の相互ネットワーキング作りや、社内におけるサバイバルノウハウの情報交換を目的として、セミナーを行いました。日本の外資系企業からシリコンバレーに移籍してこられてきて、その後も様々なキャリアを積まれて活躍中の4名の方にご自分の経験を語っていただきました。当日は、定員の50名を大幅に上回る70名の方々に参加いただき、非常に活況のあるものとなりました。



各プレゼンターの要約
原 邦雄氏 Global Alliance Partners, Inc. Co-founder & CEO


住友商事入社後、木材等の輸出入に係わる。その後、このままではいけないと思い始め、会社と交渉して、一年後にコロンビア大学のビジネススクールへの留学を許可してもらう。コロンビア大学では2 年間、ファイナンス、アカウンティング等を勉強、その間にソロモンブラザースでサマージョブも体験。住友商事に帰って3年間勤めあげた後、ソフトバンクの孫正義氏に会い、彼の持つ夢やビジョンに共感、ソフトバンク入社を決意。それ以来、ハイテク産業にたずさわる事になる。
ソフトバンクが店頭公開したのを機に積極的なM&Aをスタート。現在のソフトバンクの基礎となる数々の優良なテクノロジーを所有する企業群のM&Aを手がける。
それらの活動を経験した後、テクノロジーを生む側に回りたいと思うようになっていく。そんな時、電気街で5つのモニターに展開されるコンピュータグラフィックスを見たときに“これだ!!”と思い、日本 SGIへ転職。1年半、日本で宣伝を担当していたが、シリコンバレー本社に行きたいという気持ちが強くなって、当時マーケティングやビジネスデベロップメントなどの職種に対しては、社内移籍の道が開かれていなかったSGIの中で、アジアHQの役割を作ってもらい、シリコンバレーへ駐在員として在籍。1年半後、お客様的な存在である駐在員の立場に甘んじきれず、もっともっとやらなきゃ!というマゾ的 (?)な気持ちが生まれて移籍を決意。
本社勤務により、駐在員時代より給与が半分以下に。更に、エンジニアではないので、プレゼンやセールスのスキルが非常に重視されるため、英語ではかなり苦労した。それでも、自分の立てていたマネージメントの目標を達成し、世界で60名の部下をもつ、ビジネスプロモート部門をマネージ、やるだけはやったという自負を得て、自分で何かを始めたいと思うようになる。
ドットコムビジネスプランをたて、融資を受けるところまでいったが、他の人のアドバイスもあり、ちゃんと足のついたビジネスをやろうと思い直し、現在のGlobal Alliance Partners, Inc (GAP)を立ち上げる。 GAPでは現在主にアジア、アメリカを舞台としたM&Aや国際ビジネス開発を手がける。スタートアップの大変な時期も経験し、事業を軌道にのせて現在に至る。アメリカのベンチャー、世界の工場となった中国、ブロードバンドや家電で引っ張る、日本、台湾、韓国などを結びつける架け橋として、精力的にビジネスに取り組んでいる。

参加者の方々へのアドバイスとして、1にも2にもネットワーク!ネットワークに入る、作る、意識して多角的に作っていく事が大事。シリコンバレーには、勝ち組に優秀な人が集まる傾向があり、たとえば、ある企業の上司、同僚、部下のグループなどのネットワークを通じて、新規事業に対して、声がかかるといった事が多い。また積極的に手を挙げる人に対して、サポートしてあげるといった土壌がある。そういう意味で、自ら意識的に作っていく人脈というものがシリコンバレーで生き抜いていく、成功していくために非常に重要な意味をもつ。自分自身も、SGI等を通して作ってきた人脈が、独立するとき、または独立後も大きなものとなっている。
(感想)原さん自身がプレゼンの中では、人生の転機での決断のときに「このままではいけない」 とか「もっともっとやらなきゃ」と思ったと、案外さらりと話されていたのですが、この部分が動機付けのキーワードではないのかと思いました。原さんの、今のままではいけない、変わっていかなければという危機感に対するSensitivityと、今の自分よりももっと向上する道を探し続ける姿勢こそが、自ら環境を変えていく行動力や交渉力の原動力になっていて、そして、それらの思いがよりよいネットワークを築いていこうという動機付けになっているのではないかと感じました。ネットワークの大切さを実感していると語る原さん自身は、謙遜して、「人並みの能力の自分がネットワークによって、よりいい仕事ができている」とおっしゃっていましたが、良いネットワークを築いて保持し拡張していく、それこそ類まれなる能力だと思います。
山村 雅夫氏 Electronics for Imaging, Inc. Vice President of Engineering


富士ゼロックスに入社後、アメリカのXerox PARCやElesegundoの研究所に通算7年間駐在し、ワークステーションのOSやWindowsシステムの研究開発、プリンターコントローラーシステムの開発などを手がける。その後、EFIに移ると同時にアメリカへ移籍。コントローラーの設計開発のプロジェクトマネージャー等を経て、2000年からVice Presidenとなる
EFIへ入社することになったきっかけとしては、Xerox時代からの知り合いである、EFIのCEOと話して、技術的に気があって、オファーをもらった。移るときには、会社を転職かつアメリカに移住ということで、奥さんがとっても心配したし、自分にも迷いがあったことから決断まで半年かかったが、決め手は、ソフトエンジニアとして基本ソフトの最先端を手がけたいという思いに加えて、日本のマネージメントの不透明感や決断の遅さに不満を持っていた事もある。
アメリカにきてから最初は開発のセクションマネージャを任されるが、セクションマネージャにかなりの権限が委譲されていることを実感、金や人の問題は、そのセクションに関して、マネージャーが殆ど全ての権限を持っている。非常に自由にできて面白いと思うと同時に、早い決断に怖いと感じる事もある。
アメリカに移籍してからは、理論が非常に重要だと感じる。自分の理論が正しくないと人が動かないし、議論に負けて悔しい思いをしたことも度々あった。その分を実績(開発納期や高品質など)でカバーするために、仕事に時間を費やして、家庭をかなり犠牲にしてきたという反省もある。アメリカ人(シリコンバレーで働く人々)はみんな言い訳がとてもうまい。感情的なものはだめ、理論的に上にも下にも説明できないといけない。日本人であるために差別を受けるのではないかとの不安が移籍以前はあったが、杞憂である。少なくともビジネス上は正しい理論が一番強い力を持つ。
マネージメントとしては、アメリカではエンジニアの管理が非常に難しいと実感している。エンジニアを雇うとき、100人のレジメをみて、2-3人を面接、そのうち、1人とるかとらないか、といった具合。さらに現在のエンジニアを惹きつける、引き留めるのも大変。良い職が他にあれば、どんどん移ってしまうため、優秀なエンジニアをキープするのに一番の方法は、おもしろい仕事を与えるという事であるが、事業を進めていく上で必ずしもそうできない場合があるし、時には厳しくもする。しかし、セクションマネージャ自身がお金を握っているという事もあり、多少、無理なことを言っても動いてくれるというのがメリット。
シリコンバレーで生きいていく上で一番重要なのは、理論的であれ、ということではないか。理論が正しくなければ誰も説得できないし、誰もついてこない。
(感想)山村さんは、「転職と動機」、「転職後の経験」「日本とシリコンバレーの会社比較」など、それぞれにプロコンを交え、それこそ理路整然としたプレゼン資料を用意して説明してくださいました。シリコンバレーに来たのは、自分のやりたい事をやりたいという信念でした。自分がやりたい事を極めてきたために、ネットワークを通してチャンスが転がり込んでくる、そしてそのチャンスを掴む決断をしたのです。
山村さんは、最後に、シリコンバレーで生き抜くために、理論的であることが一番重要であるとまとめていました。この理論という言葉だけを最初に聴いてしまうと、なにか無味乾燥な、人の情緒を無視するといったような冷たい感じをうけますが、山村さんのお話は、理論的であるということが、実は一番情緒的である事につながるんだと感じさせられました。人格上での好き嫌いによる感情的判断や、わかりにくい不透明な判断、人種的な差別などを排除し、誰もが納得のいく公正さを持って伝えるということを、理論という言葉で伝えています。誰もが納得のいく理論、そしてFairnessということ。これが一番情緒的に優れた事なのではと気づきました。これはシリコンバレーだけではなく、日本でも世界のどこでも通用する原則につながるものですよね。
橋本 和幸氏 Electronic Arts, Inc. Vice President of Technology


橋本氏がスクウェアUSA在籍時代に作成した映画ファイナルファンタジーの宣伝用ビデオを流そうとしたが、そのビデオがうまく動かないハプニングから始まりました。(会場は思わぬハプニングに爆笑でしたが)。橋本さんは、そんなハプニングにも動じず、プレゼンをすんなり開始してくださいました。
日本シンボリックス社に入社後、プログラマーとして3次元コンピュータグラフィックスに関わる。当時はコンピュータが3千万円という時代。オフィスにこもってプログラムを書くのが性に合わなくて、もっぱら客先にてプログラムを組む生活を続ける。お客さんからは、プログラマーの出前と称される。客先では、その時代はOSが色々な種類のものが乱立しており、更にそれらをネットワークでつなぐような事もやり、どんどん知識が吸収できた。
90年代はじめ、ゲーム会社が3Dに興味を持ち出し、オーダーが急増してきた。コンピュータを使ったゲーム分野にエンタテイメントの大きな可能性を感じるようになる。しかし、ただでさえ、30人の小さな会社。開発を一人でやるには、他社との競合していく上で限界が見えてきて、就職活動を始めた。そこで、株式会社スクウェアから声がかかり、ゲーム業界へ転職することになる。
スクウェアでは、任天堂用ゲーム機のために、研究開発がスタート。しかし、開発用に用意されたツールは完全なエミュレータではないという事態が判明、急遽、予定を変更してOpenGLでSIGGRAPH向けのデモ「ファイナルファンタジー 6 in 3D」の開発を決断する。ハードの制限がきつかったが何とかやり遂げる。その後ターゲットとする機種の変更する検討を始める。プレステかセガサターンだったが、標準的な技術で実装され、ドキュメンテーションのも充実しているプレステを選択。研究開発をOpenGL で作っていた為、移植がスムーズにいき、「ファイナルファンタジー7」を実質10ヶ月で仕上げることができた。ファイナルファンタジー7も終了間近のころ、ファイナルファンタジーの映画制作の話がもちあがり、製作のためにそれからの6年間をアメリカで映画つくりに没頭する。せっかく作るならば、みんなが夢としているものに挑戦しようと、よりリアルな人間をグラフィックスで作ることを目指す。結果としては、自分達の期待を超える出来栄えに満足するが、興行的にはうまくいかずに、スタジオは閉鎖に追いやられる。しかし、その時に作られた一部は(現在の映画の中で一番人気を誇る)「マトリックス」のDVD限定特別版「Animatrix」に採用されている。
その後、現在も勤務するElectronic Arts社に引き抜かれたのだが、その理由は、今後のゲームに不可欠な3Dグラフィックス+リアルタイム性を、常に開発してきたからではないか。
EAでは、物理シミュレーションを洋服のシミュレーションや髪の毛のシミュレーションなどに応用した技術開発を考え始めている。
自分が仕事を通して、ずっと気にしてきたことは、いつも目に見えるもの、結果が目に見えるようものを作る事である。
(感想)橋本さんのプレゼンの後、「ファイナルファンタジー」のビデオもようやくセッティングが完了して、しばし洗練されたグラフィックを会場全体で楽しみました。なお、中華料理屋という場所柄、スピーカー施設がかなりヘボかったのは、主催者側の反省するところであります。この場をかりてお詫びします。
プレゼンの端々に、橋本さんのリスクとベネフィットのバランスをうまくとってプロジェクトをリードしていくセンスを感じました。ハプニングがあっても、長期的なリスクまで見据えて最適な判断をしていくということがプロジェクトを成功させる大きな鍵のようです。
最後に話された、「いつも目に見えるもの、結果が目に見えるようものを作ることを心がけてきた」という言葉、これはグラフィックスの世界だから人に見せないと納得しない、というだけではないですね。全てのビジネスにも通じるのものだと思います。ビジネス用語で使われて久しいAccountabilityという言葉が浮かんできました。説明責任と訳されていることもありますが、もともとはAccountという会計から出てきた言葉と聞きます。結果、経過をその都度、リアルタイムに説明して、相手に理解を得る、フィードバックを得る。常に自分のした事している事を説明して、その結果に責任をもつ、ということにつながっています。最後の最後につじつまを合わせたり、あるいは、言われたとおり実行したのだから私には非はないですよ、という姿勢では無いですね。
オフィスにこもっているのが嫌で、客先でプログラムを書き続けたという、彼の出前プログラマーの生活が、色々な知識を吸収する以上に、この結果に対する責任感とリアルタイム性(スピード)という大切な姿勢を育ててきたのではないでしょうか。
吉田 大輔氏  Fujitsu Microelectronics, Director of Sales


富士通入社後、ヨーロッパ販社を担当後、アジアの販売へ。シンガポールの販社へ出向。そろそろ日本に帰って来いという、本社からのラブコールに抵抗して、シンガポールに移籍してしまう。その後、シンガポールも長くなったと実感、アメリカに移籍する。2000年にアメリカの販社へ移籍。現在、東地区を除くアメリカ全土のセールス担当。
これら、シンガポール、アメリカでの営業活動を通して、経験したこと。
1)思っていたのと違う、右も左もわからん。
アメリカに来たはじめての日のエピソード、Safeway(スーパーマーケット)に行くのにタクシーを2時間待った。帰りもまた2時間タクシーを待って帰ってきた。アメリカってなんて不便なところ!? 新天地では、いつもヨチヨチ歩きで始まっている。今まで蓄えてきたものは何も通用しない。
*Rule1,3,5: 1,3,5年周期で自分の外部への順応度が変化。
1年目は生活環境への順応、3年目は、市場構造を理解し、人との距離を知り、自分の仕掛けが芽をだす。5年目で現地のKey Personとの間で、貸し借りの関係ができる。裏情報に通じ、無理が利くようになってくる。ここまでくればいい感じ。人脈が重要なファクターとして育ってくる。
2)やる気があるのに成績が上がらない、空回りして能力が発揮できない。もっとできるのにと思いながら前に進まない焦りがある。見えない壁(しがらみや利権)があって、革新的なアイデアが潰される、重要なResponsibilityが与えられないなどがある。
*どぶさらい戦法:目立たない事、人が嫌がることをどんどん引き受ける。(苦情、返品、難しい製品等) 誰もやりたがらないから、Expertになりやすい、利権争いもなく、自由にやって結果も出やすい。意外と将来、有望な分野も多いなどメリットが多い。
*忍法隠遁の術:他の人ができる事はやらないで任せる。成功して、皆がよってきたら任せて逃げる。他の人ができる事は絶対にやらない、人と違うことをする事で自分のValueをはっきりせる。
*ハマス(自爆テロ)戦法:とにかくやって見せましょうという戦法。経験が無く、判断できないときはとにかく先にやって見せる。失敗したら喜んで責任を取る気持ちで。改革はスピード、Politicsが入る隙を与えない。1週間、一ヶ月、3ヶ月が勝負。チームがばたばたしないうちに、畳み掛けるように行う。
3)日本に対して正しい事を要求しても、取り上げてもらえない。
1.困ったことがあったらどんどん言って来いという言葉。でも、できないことはできないんだからしつこく頼むなという意味も含んでいると理解しよう。海外販社だけで、なんとかやってみます(内心はできないと思いながら)といって,結果できないと、客先との関係にヒビが入る事になる。
*適度に難しそうなレベルを選んでお願いする。社内のKey Personごとに的確なお願い。いくつか答えを作ってあげて選ぶだけは好評。
2.市場のニーズをつかめ、ニーズにあった製品を作らなければ売れない。しかし、細かく市場調査してまとめ上げてRecommendationを作っただけでは返事をくれない。
*市場の要求と、自社がもっているCore Technologyのマッチングが重要。ここまで調査を昇華する必要がある。これができなくて失敗するケースが大半。逆に、これができるものは大抵成功している。
3.これから新製品を売り出します。
*製品拡販のStrategyの第一歩は、設計者の熱意。製品のRoadmapはあてにならない。
最後に、仕事をしていく上で最重要な事は、山をも動かす気迫。それにコネクションが合わさって、成功に近づくのではないか。
(感想)自ら、このプレゼンテーションを吉田演劇場と題し、自分の経歴を芸人紹介といいながら、ここに残せないような社内の秘話まで飛び出し、笑いが絶えないプレゼンテーションでした。しかしその笑いの中には、しっかりしたノウハウがたくさん詰まっておりました。最後に吉田さんが、最も大事なものとしてまとめた言葉が気迫。製品拡販についても、製品のRoadmapなんかじゃなく、設計者の熱意だとしていました。気迫、熱意という必要不可欠なものの上に、具体的なノウハウが生きてくるという事を示したかったのだと察します。
他人といかに違うことができるか、違うことをするか。自分がやっている事が軌道にのって、人が集まり始めたら、潔く明け渡し、自分はまた新しい事に挑戦していく。常に人との差別化を考えて行動する事の大事さを、数々の具体例から、実感できたプレゼンテーションでした。
Q&Aセッション


Comment:事業部に顔のきかない営業はだめ。無理なお願いを聴いてもらって、事業部を動かしてくれるととってもスムーズにビジネスが進み、そこから信頼が生まれる。営業の人の付加価値は社内を動かすこと。
A.(吉田さん)誠意が一番大切で、これは世界中どこでも同じ事だと思う。
Q.日本人であるメリット、デメリットは?
(山村さん)メリット: やりぬくしつこさがある デメリット:発想の転換。
(橋本さん)ゲーム業界としては、メリット: 最先端テクノロジーや日本とのコネクション デメリット:過剰期待があること。
(吉田さん)メリット: 日本語、日本の文化やビジネス習慣の熟知、日本とのコネクション、 デメリット: 自分でゴールを設定して自分をマネージしていくのが一般的に弱い。
(原さん) メリット:レールが一旦敷かれると、実行力はすごい、 デメリット:人と同じじゃなきゃいけない風潮
Q.こちらでは言い訳が多いというが、心に残る言い訳は?
(山村さん) 言い訳は多種雑多。辞めていくときの言い訳とか、給与交渉の言い訳。一番多いのはスケジュールに対して、あれが仕上がらないから自分の仕事ができないといったもの。しかし、優秀な人は、ものすごく優秀で、逆に言い訳しない。(言い訳に聞こえない?)
Q.シリコンバレー型の人間とは?シリコンバレーに合わせるための努力は?(吉田さん) 自分は何型と考えたことは無い。自分自身は新しい環境に常に興味を持っている。シンガポールにいるときに環境がmatureになったと感じたのもアメリカに移ってきた理由のひとつ。私自身は日本人であるし、その場所に合わせようとは思わない。
(橋本さん)ゲーム業界では、日本とアメリカで仕事のやり方が結構違い、日本の方が先頭を走っていると感じる。日本型は優秀な人が何でもやってしまう。アメリカ型は、完全分業で、その分TAT(Turn A round Time)が遅くなる。アメリカに来た当初、日本型でやりたかったが、できなかった。
(山村さん)あえてシリコンバレー型というならば、発想の転換がすごいところ。相対的に日本人が得意なところは、製品を作りこむ、組み合わせる、納期を守るなど、製品化の部分では卓越した力を発揮する。この2つの特性をうまく組み合わせていくことが有効なのではないか。
(原さん)シリコンバレーに向いている方として、あえて条件をあげると、自分にはこういうものができると積極的に自分を主張する人。ハイスピードの生活ができる。ネットワークをつくり、人との付き合いが好きなこと。
Q.日本で当たり前、アメリカではタブーなこと。
(原さん) 女性関係には気をつけるように。(会場 笑) Ethicalである、Fairでなければだめ。
(山村さん) Fairであること、Logicalであることが大事。説明のつかない事をするのは逆にマイナスになる。
(橋本さん) しっかりとしたExcuseが重要。理由はいつも問われる。隠し事はだめ。たとえば、納期がやばそうだとわかった時点ですぐに話すことが要。
(吉田さん) Responsibiityをはっきりさせる。雰囲気は通用しない。
Q&A終了
最後に。
まだまだ、皆さん聞き足りないようでしたが、Q&Aセッションは終了、アンケートを書いていただいて、懇親会に突入しました。
以下はほんの少しですが、懇親会の雰囲気が伝わるよう写真を添付します。



受付のお二人とプレゼンターの橋本さん(中央)



   プレゼンター吉田さん(中央)と参加者の方々

プレゼンター山村さん(右)と参加者の方々。1番最後のテーブル賞です。この時点で他のテーブルは全て片付けられています。しかし、話はまだまだ尽きない!
以上で、イベント報告終了です。ありがとうございました。