自分のやりたい事がシリコンバレーにあったから、という自然な流れでシリコンバレーの企業にお勤めされている3人のエンジニアの方々からは、日本企業とアメリカ企業の雇用、実際の仕事の様子、昇進の形という、アメリカ企業の裏事情をお聞きする事ができました。(インタビュー日:2002年6月15日)

プロファイル

木田 泰夫: Apple Computer, Inc. インターナショナルテキストグループ

  • 東京大学農学部で生物化学を学んだ後、アップジャパンに就職。その後米国のアップルに移り現在に至る。

早川 道生: Adobe Systems Inc. Computer Scientist プリンティング テクノロジー

  • 東京理科大学で電気工学を学んだ後、富士ゼロックスに就職。その後、Adobeジャパンに転職、さらにAdobe本社に移り現在に至る。

Hoge (匿名希望): Software Engineer

  • 大学を卒業後、東京にある外資系企業の日本支社に就職。その後アメリカのインターネット系の企業に転職する。

渡辺千賀: JTPA代表

インタビュー

Q:皆様がシリコンバレーにいらっしゃるまでのご経歴を教えてください。
木田:私は東京大学の農学部でバイオテクノロジーを勉強していました。同時に、選択でとっていた情報科学のゼミにのめり込んでいて、その方面でアルバイトなどもしていました。自分では、将来は生物化学の研究者になろうと思っていたのですが、卒業間近になって急に悩んでしまい、突然、それまでは脇道でやってきたコンピューターの仕事、特に『パーソナルコンピューティング』を自分の生業にしようと思い始めたのです。

実は Mac は単なるおもちゃだと思っていたのですが、パーソナルコンピューティングがやりたいと思ったとたん、それなら Mac だろうと考えが変わったのです。そこで、アップルジャパンに『技術者ですが採用してください』と電話を掛けました。アップルからは『新卒は採りません』と言われましたが、『それなら中途で採ってください』と言って、レジュメを送りました。その後しばらく返事がなかったのですが、6月に採用になりました。

当時はアップルジャパンがちょうどエンジニアリングをはじめた頃で、そこで10年ほど働きました。私がアメリカに来る2、3年ほど前に社長が変わったのですが、そうしたら決定を行うスピードが大変早くなって、決めたことをいちいちアメリカに聞いてから行動するというのはすごく時間のロスに思えてきていました。そんな時にある同僚から、『木田さん、USに行けばいいじゃない?』と言われたのです。私もそれがリーズナブルな選択かなと思い、こちらに来ました。ちょうど日本の景気も悪かったので失うものもないかなあと思いました。

Hoge:私は大学を卒業した後、外資系企業の日本支社に入社しました。そこの上司がアメリカのインターネット系の企業に移り、彼が若いエンジニアを必要としていたことと、私自身にとっても希望していたインターネット、エンタープライズ関連の技術を得られると思い、アメリカに来ることにしました。

早川:コンピューターに興味を持った最初のきっかけは、兄が高校のときに買ってきたコンピューターの雑誌を私も読んで、大変興味を持ったことです。当時はコンピューターが高かったので、日曜日になるとは電気屋に開店前から並んでコンピューターを触りに行っていました。

その後大学も電気工学科に入りました。進路を決定付ける出来事としては、大学2年生のときのあるOA企業でのアルバイトがあります。そこでは、ビジネス向けのソフトを開発していました。使っていた言語がC言語だったので、C言語を覚えたりしながらやっていくうちに、メインのプロダクトではありませんが、ある程度の事を任されるようになったのです。結果的に、そこで技術もお金も得る事ができて、この業界に入ろうという決定打になった気がします。また、大学4年生のときに、あるスタートアップから仕事を持ちかけられたので、やってみる事にしました。社長1人、社員1人、バイト1人でマンションの1室を借りてやっているくらい小さな会社でした。ゲームソフトを作ったりしていたのですが、何しろ小さな会社ですから、『この商品が今日中にできないと会社が潰れます』なんていう状況で(笑)、かつてない緊張感、達成感を味わうことができました。

大学を卒業してからは富士ゼロックスに入社し、レーザープリンターのハードウェア設計の仕事に就きました。富士ゼロックスはとてもオープンな会社で、割合に好きなことをやらせてくれていたような気がします。あるとき、Adobeのポストスクリプトのプリンターを開発することになり、製品開発後の最終的な品質チェックをAdobeの本社で行うため、私は日本から派遣されてシリコンバレーに来ました。1週間ほどだったのですが、天気も良く、緑も多いここで仕事がしたい、と思って日本に帰りました。仕事には満足してはいたのですが、もともとソフトウェアの仕事がしたかったということもあり、Adobeジャパンにソフトウェアのエンジニアとして転職しました。

初めに入ったプロジェクトは1年半でキャンセルになりましたが、同じ技術を応用するプロジェクトのチームにすぐに入る事ができました。そして、新しいプロジェクトの技術を学ぶためにアメリカに1年の予定で長期出張ということで派遣されたのです。しかし、不運なことに、私がアメリカにいる間にそのプロジェクトもキャンセルになってしまって、アメリカのチームも日本のチームも皆解雇されてしまいました。当然私の戻る場所もなくなったのですが、ポジションがあれば、アメリカのAdobeに残っても良いと言われたので、ポジションを見つけてアメリカ雇用となりました。現在は、ポストスクリプトのコアチームに入っています。

Q:皆さんがシリコンバレーに理由は何ですか。アメリカに来る際に不安などはありませんでしたか。
木田:たまたま自分のやりたいことをやっている企業がシリコンバレーにあったので来ました。アップルは一時期大変な時期があって、つぶれたらどうしようと悩んだことがありました。その時、結局自分は『自分は物作りが好き』なのであって、ソフトウェアエンジニアリングじゃなくてもいいんだ、と気が付きました。

 で、会社がつぶれたら、おにぎりが大好きなので、”おにぎり屋さん”をやろうと妻と決めたのですが、それで気が楽になりました。それで見えない思考のバリアがなくなったのでしょうか、アメリカに来ることは会社を変わって引っ越しをする以上には特別なことと思わなくなっていました。

早川:私ぐらいの年だと、結婚している場合が多いのですが、そういう人の中には、もうリスクをおかしたくないというケースがありますね。割といい企業といわれるところに入っている人たちはそれで満足しているケースが多い。その会社が潰れなければ彼らはそれで幸せなので、あえてこちらに来る必要もないのではないでしょうか。

Hoge:アメリカに来ることに対して、極端な不安を持っている人が多いかもしれませんが、それは、2、3日かけてアメリカに関する資料を調べれば大した問題ではない気がします。うまい蕎麦屋がないとか、そんな程度です。また、1度会社に入って感じたことは、会社の中でも部署毎にやっている事が全く違うということです。例えば、ネット関係とハードウェアーではやっている内容も、求められる技術も知識も違ってきます。私が東京で働いていた会社では主にデスクトップ製品を開発していたのですが、徐々に興味を持ち始めていたインターネットやエンタープライズ向けのソフトウエアの開発はほとんど行っていなかったので、躊躇なくアメリカに来れました。

Q:アメリカでは、元の上司に引き抜かれて会社を移るということが頻繁にあるのですか。
木田:あります。また、元同僚などから声を掛けられることもあります。その方が人材を選ぶ際のリスクもコストも少なくて済むからではないでしょうか。

Hoge:そうですね。全く知らない人を面接して採用するよりも、能力や人や人柄がある程度判っている人を自分で連れてきた方が、時間もお金もかかりませんよね。

Q:リスクという事についてお聞きしたいのですが、日本とアメリカの企業でエンジニアとして働く場合、リスクの違いというものがあると思われまか。
早川:日本では、ある程度勤めていた会社を解雇されたら、次への就職というのはとても難しい。中途採用の門戸が狭いですから。小さい会社は別ですが、小さい会社では、大企業時代よりもぐっと給料が下がってしまいますよね。日本では、同じ仕事でも大きい会社の給料の方が高いという構造になっているので。

また、こちらでは、年齢で雇用を制限してはいけないために、単純にその人の能力で見てくれる面があります。ですから、若くても能力のある人は高い給料をもらえるし、年齢が高くでも能力がなければ低い給料になってしまいます。

渡辺:シリコンバレーの辺りだと、IBMだろうが、HPだろうが、30人しかいないスタートアップの会社だろうが同じ内容の仕事なら給料はあまり変わりません。小さい会社の方が給料が良いこともあるくらいです。

Hoge:補足して言うと、面接の際に生年月日や、出身地、宗教を問うことは違法です。例えば、日本人を採用したがっている企業の面接で、『私は日本人だから雇ってくれ』とは言えないのです。『私は日本語のネイティブスピーカーです』としか言えません。言語は能力ですから。

渡辺:履歴書にも写真を貼りません。人種と性別が判ってしまうので。

Q:アメリカの大企業は、容赦なく首になる事が多いと聞いたのですが。
木田:個人の能力にかかわらず、ある部署をまとめて全て解雇することも多いのですが、もちろん優秀な人はその後すぐに他のチームに入ったりもできます。アップルの場合は、雇用はほとんど部署ごとで、各部門の人材確保における最大のライバルはアップルの他の部署ですね。

渡辺:アメリカでの解雇は、人種や性差別の問題も絡んでくるので、日本以上に大変な面があります。ひとつの部署を解雇する際に、この人は有能だから解雇しないとなると、その人が有能であったいうことを証明しなくてはなりません。さもないと、同じ部署にいたのに解雇された人に訴えられる危険がある。必要のなくなった部署はまるごと解雇、というのが最近の傾向です。

Q:アメリカで働いていると、ビザの心配はありませんか。また、グリーンカードを取得するのは大変困難だという話もよく聞きますが。
Hoge:ビザ取得の困難さは会社によって違うと思います。というのも、グリーンカードを取りたいが為に会社に残る人と言うのが大勢いるからです。例えばインドや中国とシリコンバレーの企業ではもらえる給料が50倍くらいの差がありますから、彼らはどうしてもアメリカにいたいのです。それを逆手にとるような会社は、優秀な外国人のエンジニアを自分の会社に少しでも長く留めておくために、わざとグリーンカードが出るのを遅らせたりすることがあります。

Q:日本とアメリカでは、エンジニアに対する報酬に違いはあるのでしょうか。
早川:データなどで各企業の平均給料などを示してあるものは気をつけないといけません。CEOの給料が飛びぬけて高いために、平均値をあげている可能性があるからです。詳しく知りたい場合は、http://www.salary.com/などを見てはいかがでしょうか。とはいっても、こちらは税金が高いので、手取りでは同じくらいかもしれませんね。

Q:一度エンジニアを選ぶと、エンジニアを続けるしかないのでしょうか。アメリカ企業ではエンジニアのキャリアパスはどのようになっているのでしょうか。
木田:それは本人のキャリア設計にかかっていると思います。日本ではよく、本人の希望にかかわらず、昇進するとエンジニアでいたい人もマネージメントに回されるということがありがちですが。

Hoge:アメリカのキャリアパスとしてはエンジニアリングの昇進と、マネージメントの昇進という2つの道があります。エンジニアリングのステップとして、アソシエート、エンジニア、シニアエンジニア、スタッフエンジニア、プリンシパルエンジニアという感じで進み、スタッフエンジニア、プリンシパルエンジニアはそれぞれ、マネージメントの課長、部長クラスの給料とリスペクトをもらえます。日本の企業でもそういった2つの道を分けてきているところも出始めていると聞きましたが。

木田:ただ、トップの方に行けばいくほど、同じクラスのマネージャーとエンジニアを比べたらエンジニアの数は少なくなっていきます。だから、キャリアパスとして最後までエンジニアを選ぶのはアメリカでも難しいと思いますよ。

早川:エンジニアはピラミッド構造ですから、トップに立つのは難しいですよ。優秀な人は、本当に優秀ですからね。プリンシパルになる人は天才の域です。

Q:日本の企業とシリコンバレーの企業を比べたと時、各々の良い点、悪い点と思われることについて教えていただけますか。
Hoge:日本の企業の良い点は、比較的中長期的に物事を見ている点だと思います。アメリカの場合は3カ月ごとの決算に合わせて結果が求められます。そうなると、プロジェクトを短い間に仕上げようとして、無理なスケジュールを組みがちになります。日本の場合にはそこまでタイトにはやっていない。シリコンバレーのいいところであるスピードが悪い点になることもあるということです。

早川:アメリカでは、期限を区切って淡々と作業をするといった感じですね。期限がきたら少々の問題があってもKnown Problemとして製品を出荷します。大問題の場合は当然延期になります。

Hoge:逆にシリコンバレーのいい所は、優秀なエンジニアを多く集められる点だと思いす。そのひとつの理由はやはり、英語だということが大きいのではないでしょうか。極端に言えば、世界の50億人の中から優秀な人を探すのと、日本の1.2億人の中から優秀な人を探すのの違いですね。

Q:こちらでは日本以上に学歴社会だと聞いたのですが。
Hoge:まず、日本以外の外国人の学歴と能力の説明させてもらうと、インド人や中国人が留学するためには、スカラシップが取れなくては自費で留学なんて高くて出来ない。だから、本当に難関を突破したエリート中のエリートが来るので、こちらに来る外国人の学歴はとても高いし、能力もあると思います。とはいうものの、学歴はあくまで就職するときの最初のスクリーニングの判断材料であって、後は本人の能力次第だと思います。学歴よりも人脈が大事だと思います。

Q:シリコンバレーに来て、日本と違うと感じた点はありますか。
木田:まず、ひとつ面白いと感じたことは、こちらで働くともうアメリカチームの一員とみなされること。日本にいたときは、私が『これが重要だ』と言ったことは、全て日本の意見として取り入れてくれていました。でも、今では私が何か主張しても『じゃあ、日本に聞いてみよう』となる。私の『複雑な日本市場を理解する日本人』という神通力がなくなってしまったのです。

Hoge:日本に比べて4、5倍のパフォーマンスを求められることに初めは戸惑いました。日本だと、仕事をする時間で評価される面があったのですが、こちらでは、8時間掛けても4時間で終わらせても関係なく、結果で評価されます。もちろん4時間で終わった人はまた次の事をして結果を出すから、どんどん格差が広がっていくという大変厳しい世界です。しかも中途採用だったので、誰も指導などしてくれません。日本に居たときは、たまたま同じ年に入社したというだけで助け合ってくれる『同期』という存在がありましたが、こちらではそれもない。大変ではありましたが、それを乗り越えて自分の評価が上がっていくうちにだんだん仕事が楽しくなってきました。

Q:日本とシリコンバレー双方を経験したことで、自分の可能性が広くなったと思われますか。
早川:私は、日本にずっといるよりも、こちらに来たことで可能性が広がったと思っています。例えば、英語での実務経験が出来たし、ハードウェアからソフトウェアに移れましたし。職種転換を受け入れてくれる環境が良かったと思っています。日本でも可能だったかもしれませんが、こちらのほうが効率よく出来たと思います。

Hoge:アメリカに長く居ると2つの傾向が出てくると思います。日本のよさを再認識するパターンと、悪さを益々悪く思ってしまうパターンです。どちらにしても視野が広がったということは言えますが。私は、日本にやりたいことがなかったからこちらに来たのではなく、こちらにやりたいことがあったから来ました。自分がやりたい事があれば、国は関係ありません。

木田:日本に居るときは、知らないうちに日本というバリアーを作ってしまいがちですね。それ以外には、日本に居るからシリコンバレーに居るからという差は感じません。ただ、技術系の人脈を作るのには、シリコンバレーは最適だと思います。

Q:最後に、日本の学生に一言お願いします。
Hoge:自分のやりたいことを明確にして、それが出来る場所がシリコンバレーなら是非来ていいと思うし、そうでないなら、他のオプションを探したほうがいいと思います。私の場合、PCソフトの80%以上がアメリカ製ということで、アメリカ企業に目を向けました。パッケージソフト開発をしたかったので、開発をしているところに来たという感じです。ワイヤレスのことをやりたいなら日本のドコモにいけばいいと思います。

木田:シリコンバレーに来ること自体が目的ということはないと思います。あくまでも手段でしかないですよね。

早川:私の場合も、自分の興味のあることをやっている技術のトップの場所に行きたかったという感じでした。自分の求めることがある所へ行ってほしいと思います。

インタビュアー感想 :石川 智子

3方とも、ご自身の技術を持って、自分のやりたいことができる場所なら何処へでもいかれるけれど、今はその場所がシリコンバレーであるということを強く感じました。大学の学部とは全く違う分野からエンジニアになられた方もいらっしゃったりと、それぞれ、背景や会社は違いますが、普段は聞くことの出来ない、企業での仕事のやり方、職の変遷等が垣間見る事ができ、大変興味深いインタビューでした。