2003年8月14日
JTPAニュースレター編集部、monthly meetingにTensilicaでチップ設計のエンジニアをされている東原氏をお招きしインタビューを行いました。
シリコンバレーにいる理由は「そこにはシリコンがあるから」という東原さん。自分の分野を極めたければ、そのメッカにいるべきだという信念を持ち、アメリカに滞在している理由は、あくまでもやりたい事がそこにあるからだけだと力説します。
同時に、技術者の技術を評価し、それを伸ばそうとする環境が米国には整っていることも、東原さんの活躍の影の大事な要因であったのではないかと編集部は感じました。


はじめに現在のお仕事は?
現在の会社は、Tensilica, 小さなスタートアップ企業で、チップの設計のエンジニアをしている。この会社のもつ技術にほれ込んでいる。働きやすい。こんなに働きやすい環境は初めて。アメリカへ来て、今年で14年。最初の5年はボストン、その後はシリコンバレーに在住。一貫して半導体、シリコンとそのソフトウェアに関することに携わっている。
大学から企業へ
日本の大学にて電子工学を学ぶ。 修士課程まで修了。
学生時代、1980年代より、半導体に関する研究に取り組んでおり、チップが世界を変えるという確信をもっていた。就職活動では、日本の会社とUSコンピュータ会社の子会社(外資系企業の日本法人)である、日本デジタルイクイップメント(日本DEC)より内定を得るが、チップ設計エンジニアとして日本DECに入社。
Why US Company?
一般的に日本企業では、採用後にどの部署に配属されるかは運に委ねられるが、この点が外資系企業では異なっていた。面接時に自分の将来の上司となるマネージャーと会い、気に入ってもらえると採用。自分は、半導体のエンジニアとしてやっていきたかったので、入社後のresponsibilityが明確になっていた点に惹かれ日本DECに入る。この当時、シリコンバレーの名前さえ知らなかった。
半導体のビデオコンプレッサーの開発に携わる。もともとハードウェアが専門であったが、ソフトウェアの知識もなければよいチップが作れないことから、ハードウェア、ソフトウェア両方の専門性を高めていく。
4年後、ボストンにある本社に1年間の予定で派遣される。実はこの当時、本人は気付いていなかったが、既に会社の状態は傾きかけていた。このボストンに派遣されている間に、日本法人ではダウンサイジングにより自分の部署がなくなり、半導体に関する部門はUSに移されることになった。この機に、日本法人を退職、US本社に再入社。
日本法人は、この当時、日本初の大量解雇を行った企業ということで話題となった。
ビザについて
1989年、US本社に入社後、3ヶ月でL1ビザからグリーンカードホルダーへ。会社もこのプロセスに非常に協力的。またボストン一の大企業であったため、当時はグリーンカードがとり易かった。
英語について
US法人に入社して3ヵ月後、1人でこつこつ取り組んでいたプロジェクト(研究?)を、vice presidentにプレゼンテーションする機会があった。その時の上司からのアドバイスは、以下の通り: 出来るだけ多くの資料をそろえ、ホワイトボードの前にたち、次々に説明する、間髪をいれず話すこと。
エンジニア同士のコミュニケーションの場合、一般的な意味での英語コミュニケーション能力は多少劣っていたとしても、専門的なボキャブラリーをもち、論理的に説明でき、そのorganizationでのcommunicationのcommon groundがあれば、いいたいことは通じる。要は、自分の専門性、技術のすごさ、uniquenessを相手にアピールできればよい。
このプレゼンテーションは成功。Vice presidentから、プロジェクトを進めよとの返事。自らプロジェクトリーダーとして10人前後を取り纏めることになる。リーダーになると、チームの外部からのメールの数がぐんと増える。vice presidentからもinquiryが頻繁に来るようになる。結果、英語を書く頻度が増え、writing能力が向上した。presentationについても、project reviewなどで、プレゼンテーションの機会が増え、実践を通して次第に磨かれていった。
ある日アメリカ人ボスから、ちょっとしたdiscussionのあとに「君はまだ日本語で考えて話している。英語で考え、同時に話すようになれば。。。」とつぶやかれたときに、はっと気付き、それからは英語で考える努力をした。
シリコンバレーへ、そして転職
その後、東海岸をベースにしていたこの会社は、技術部門 – パロアルト設計センター – を初めて西海岸に設けた。自分の関わる半導体部門もそこにあったので、シリコンバレーへの移動を希望。20人程度の枠しかなく、競争率は高かったが、自分の上司に「日本人はwest coastで働くべきだ」と主張。それが効果的に働き移動に成功。その当時、US法人で日本人エンジニアは自分1人。唯一の日本人ではあったが、エンジニアだったこともあり、不自由は感じなかった。先にも述べたが、エンジニアに求められるコミュニケーション能力があれば十分やっていけた。
この会社は当時、従業員10万を越える世界第2のコンピュータ会社であった。その後、DECはダウンサイジングを繰り返す。自分のプロジェクトがなくなる度に社内転職。ちなみにこの会社の給料はあまり高くなかった。
1995年、同僚がこぞってSGIへ移るに伴い自分も転職。SGIにはDECから入社した元同僚がたくさんいた。入った当時SGIは絶頂期。会社が下降線をたどりはじめる直前に入ったため、会社に入ってからすぐにprojectが次々につぶれはじめた。自分のボスも転職を決めてしまったし、彼からも次の会社を考えるようにと非公式にアドバイスされた。SGIには8ヶ月在籍。
ビデオなどに興味があったのでSony USAに転職。DECで培った半導体のビデオコンプレッション技術での経験が活きている。このときの転職も人脈による。個人的に自身の知り合いでbackground, expertise, interestも理解してくれているリクルーターから日本企業で働いてみるのもよいのでは?とSONY USAを薦められた。
SONYでは、Sr. Manager/Project Managerまで昇進し30人のエンジニアを抱える$50million projectをマネジメントする。
日本人であることがこの会社では強みとなった。Leaderになると、他のfunction(部署)とのやりとりが増えた。日本とのやりとりをスムーズにしたり等が評価され、次々にpromotionの機会を得て、短期間でproject leaderとなった。しかし、社内で上司の一人と、かみ合いが悪く、まったくの個人的な理由で転職をすることに。
そして、SGIの時の上司に推薦されて、現在の会社、Tensilicaへ。SGIには8ヶ月しかいなかったが、既にネットワークをもっていた。Tensilicaには、SGI出身者がとても多い。このようにネットワークを利用して転職する場合、Job Interviewというものはない。この会社はとても働きやすい。こんなに働きやすい会社は初めてと言ってもいい。
ネットワーキングとは
東原氏の転職は、どれもネットワーク、個人的な人脈によるものである。その会社にいるときにどのようなネットワークを作るかが重要。それがあれば、レイオフの後、一週間もあれば次の仕事がみつかるとのこと。そのためにやってきたことは、自分が何をできるのか?competencyを自分の上司、referrerとなる人に日頃からアピールしておくこと。また現在manager職についている、もと同僚との関係を維持することも大切。当然のことながら、Lunch, breakfastというのもそのために利用すべき。
Tensilicaとその技術について
http://www.tensilica.com/index.html
創業者はChris Rowen, Ph.Dである。 スタンフォードの学長John. L. Hennessy, Ph.DもAdvisory boardとして参画している。
Tensilicaはある半導体プロセッサーの技術をもっている。これはあらゆることに利用できる基盤技術であり、例えば家電、電話、ゲーム機器の性能を飛躍的にあげることができる。東原氏は、この会社のもつ技術にほれ込んでいる。聞いていて、専門性のある人にしか本当の意味でのすごさはわからないだろうと感じたが、とにかくすごいというのは、東原氏の語り口から伝わってきた。
このプロセッサーの技術は、そのまま製品開発に使えるものではない。確かにすごい技術であるが、任意の利用目的に対しては「帯に短し、たすきに流し」。
そこでTensilicaは、ある用途に特化したプロセッサーを売るのではなく、この基盤となるプロセッサー技術と、これを使ったソリューション開発のために必要なソフトウェア、具体的にはコンパイラなどのツールを開発して売っている。
社員番号は59番。入った時には、この会社が売る技術のベースはある程度出来上がっていた。現在の仕事は、この技術を使ってカスタマーが製品をつくるためのツールの開発。製品そのものをつくらない会社というのは、ものを作っているメーカーに比べるとそれほど仕事量は多くない。
個人のevaluationのシステムは特になし。社員はみな優秀。能力のない人物はいない。5人に1人はPhDをもつ。土地柄もあるが、スタンフォード、バークレー出身者がとても多い。平均年齢は37,8歳。新卒で入ってくる人は少ないけれども、教授からの直接推薦などで来ることもある。一時期は140人にまで社員数は増えたが現在は不景気の影響もあって100人。
社内で、カスタマー対応を行っているアプリケーションエンジニアのサポートをすることもある。自分が魅力を感じる技術の啓蒙活動のためには、なんでもやりたいと思うし、小さい会社ではフレキシブルに動くことも必要。しかし、自分自身はアプリケーションエンジニアになりたいとは思わない。しかし、自社のもつ技術のすごさを実感しており、この技術が世の中にどれほどのインパクトを与えるものなのかを知っているため、この技術を製品化する魅力も感じる。
実際に、この技術は徐々に浸透しつつあるが、新しい技術を使いこなすこと(応用すること)は大変であるし時間もかかる。自分自身、応用面の方に興味があるので、今後はこの技術の啓蒙、およびコンサルテーションを行うことにも興味がある。やはり自分の啓蒙する技術を使った製品を見てみたいと強く思う。
シリコンバレーにいる理由
自分がシリコンとソフトウェアに興味があるから。技術が好き。コアのテクノロジーをおさえているところで働きたい。
現在、アウトソーシングなどといって、Indiaなどに仕事が出て行っているが、出て行っている部門は、製造、量産技術など、つまり効率をあげるために起こっていること。技術が流出しているわけではない。あくまでも中心のテクノロジーはシリコンバレーにある。
もし家電をやりたいのであれば日本が一番よい。例えば、政治・金融・歴史・医学など、興味が別のところに移れば、シリコンバレーにはいないだろうし、今後自分の興味の対象が他のものに移った時には、別の土地へ移動する可能性もある。
何よりも新しい技術を生み出すこと、技術の中心にいることにenthusiasmを感じている。自分が惹きつけられる技術がなければシリコンバレーにはいない。東原氏はこの気持ちを満足させる手段としてシリコンバレーで生活している。
■インタビュアー:Chika Ando+JTPA Editorial

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