この転職記の彼とは何度かJTPAのパーティで話をする機会がありました。シリコンバレーの景気が傾いて起こったレイオフの嵐に巻き込まれた一人でした。だれかれもがレイオフされ、「一年間無職」などという人も多い中、根気強く仕事を探し続けた彼の「粘り勝ち」を感じさせるレポートになっています。
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JTPAの会合にすっかりごぶさたしているこのごろです。遠くに引っ越してしまって出席できそうになくなってしまいました。
一年前にレイオフで仕事を失いましたがやっと次の仕事にありつけ、仮オファーだった件も一件落着してホッとしています。特にビザをサポートしてくれる会社を探さねばならなかったことがきつかったです。また合法滞在には期限があったのもプレッシャーでしたが、かえって期間を決めて全力で就職活動に集中することができたと思います。職を得るまでの出来事がこれから転職される方々の参考に少しでも参考になれば幸いです。
私は日本で電気エンジニアとして働いたあと、アメリカに私費留学してコンピューターと信号処理と無線通信を学びました。もう一段上のエンジニアとして活躍するために必要な知識を系統だてて得たかったためです。修士卒業後はすぐに日本に戻る予定でしたがあいにく日本で仕事がみつかりませんでした。そんなところへカリフォルニアのA社よりオファーがきたため、2001年よりA社で働き始めました。
勤めていたA社からレイオフを言い渡されたのは昨年(2003年)の3月6日、退職まで2ヶ月ちょっとありました。ショックは大きく気持ちが極端に振れる日々でしたが、将来どうなりたいのかどのような方法があるのかを描くところから始めました。私はこれをBig Picture と呼んでいます。
今後ぜひとも信号処理で仕事をしたいと思い、これまで温めてきた信号処理のアイディアを特許として書き上げ最終日に会社に提出してきました。もちろんこの特許のことを履歴書に入れたのは言うまでもありません。退職まで土日なしの日々でしたが、後々の就職活動で役に立ったと思います。
人材紹介会社には日系、アメリカ系含めいくつか登録しました。が、結局今回の職につながったのは人づてでした。職種を重視し職場は日本でもアメリカでもかまわずに探しました。
8月の下旬に再就職支援会社D社のオフィスで行われた生命保険会社のセミナーに出席したところ、出席者のなかに元A社に勤め次の週からT社に就職するという人がいまして、その人がT社人事のリクルーターを紹介してくれました。しばらくは音沙汰がなかったのですが、10月に突然T社のC氏より電話がありました。丁度その数日前にオープンハウスと称してT社の会社説明会があり、のぞきに行ってきました。で、その関係かと思えば全然話が通じません。
どうもC氏はオープンハウスを知らなかったようです。電話は雑談で終わってしまいました。「今の電話はなんだったんだろう?」そしてその1日か2日後、例のリクルーターからオンサイトインタビューの話があり、もちろん喜んで受けました。しかし電話インタビューもなしにオンサイトインタビュー? ポジションも外部に公開されていませんが話を聞くと面白そうです。
まったく自信がなかったのですが、とにかくインタビューに呼んでくれた人たちをがっかりさせるわけにはいきません。しかも飛行機代とホテル代を出してくれるとのことで す。一生懸命準備をしました。
面接は朝から夕方まで8人くらいの人たちと面接をしました。内容はソフトウェアから電子回路、無線通信やら物理現象までとにかく広範囲に及びました。しかし返答はしどろもどろ。最後は人事の人と面接でこれは面接というより応募書類の記入事項確認でした。しかしビザのことを確認した時「えっ、ビザいるの?」といった返答で、「しまった」みたいな顔をしていました。帰る時まで精一杯笑顔でいたものの、内心落胆していました。仕事内容・職場環境はとても刺激的に思えましたがこれでOKが来たら奇跡です。
やはり何とも言ってきません。しかし11月の中旬を過ぎて、T社のリクルーターから日本の事業所のポジションに興味があるか?と言ってきました。もちろんYesです。しかしまたしばらく何も言ってきません。
しびれを切らして12月上旬にマネージャーに直接電話してみたところ、その日本のポジションの話はなくなったとのこと。ああ、やっぱり。T社の資料は処分してしまいました。しかし12月もクリスマス近くになって突然オファーの電話がリクルーターからあり驚きでした。丁度その前日に別のTY社からもオファーがありうれしい迷いとなりました。しかしT社のJob Descriptionはまだ見ていません。リクルーターにJob Descriptionを送ってくださいとメールする始末。
Job Descriptionこそが最初にあるべきなのに最後になってしまったなんとも変則的な就職活動でした。また紹介会社経由で8月から継続中のG社も担当者の勧めもあって3度目のオンサイトインタビューをしてもらいました。
正直迷いました。
最終的にはBig Pictureにどれだけ一致するかで選びました。T社で仕事をすることのリスクは高いですが能力を伸ばせる環境をに自分を置くことが大切だと思っています。私のスキルがもう少し高かったら明らかに別の会社を選んでいたでしょう。ビザが取得できることを条件に採用となったのですが、先日その条件もクリアされホッとしています。今は仕事の成果を出すのが最大の課題です。
ところで日系の会社にも応募しました。K社の技術部門に昨年秋に面接に行きました。これまでほとんど日本人がいなかったのですが半年前より日本からマネージャーが多量に送られてくるようになったとのことです。面接では日本人との面接の予定はなかったのですが、急に日本人2人との面接が追加になり、年齢的にマネジメント経験があって当然といった感じの質問で意表をつかれました。いやな予感的中で不採用になってしまいましたが、よい勉強になりました。
数々の面接を通して私自身の強み弱みを見る機会ができました。たとえ不採用だった会社にも面接のフィードバックをお願いしました。Big Pictureの見直しにも大変役立ちました。もちろん答えてくれないところも多いです。
履歴書について
相当力を入れて書きました。再就職支援会社D社のコンサルタント、地元の職安、インターネットで見つけた履歴書支援会社(有料)2社を利用し、またA社の元上司R氏にも見てもらいました。基本的なものを3種類用意し、Job Descriptionに応じてその都度カスタマイズした履歴書を提出していました。面接の担当者からも誉められてうれしかったです。
電話インタビューについて
アメリカ系企業は電話インタビューを1対1で行いますが、日系はほとんどの場合複数対1の会話でした。その複数対1に問題があります。会社側の人が個人個人ハンドセットあるいはヘッドセットを使ってくれればよいのですが、どの会社もハンズフリー電話を用いていました。その結果大変聞き取りづらく会話にならなかったこともしばしばです。ハンズフリー電話は避けてほしいとだめ元でも事前に言った方がよいと思います。
インターネットを使った求職活動について
なかなか職につながることはまれだと思います。業界動向や紹介会社の得手不得手を調べるのには役立つと思いますが、これまでWebを通じて送った50通以上の履歴書で電話面接となったものは一件もありませんでした。むしろ知人経由、紹介会社経由の方が確率は高かったです。
H-1Bビザについて
許可数の上限が前年度の1/3になり今年度は2/17で上限に達してしまいました。その後は10月まで待たされます。別種のビザ(F-1、L-1など)からH-1Bを必要とされる職への転職活動は時期が重要となると思われます。また私はビザスタンプ(シール)を先日カナダのバンクーバーで取得しましたが、リスクが高いです。アメリカまたはカナダの大学卒業でない場合は審査できないとして本国で申請するようにと言われている申請者がいました。この場合本国でビザを取得するまでアメリカに戻れない可能性があります。
就職紹介会社 (Recruiting company、 Staffing Company とも言われる)について
結果的には知人経由で職が決まりましたが、かなりお世話になりました。概してアメリカ系は双方の希望が一致しないと紹介してくれません。日系はかなり幅広く紹介してくれることが多いためいろいろな可能性に気付かせてくれることもままあるのですが、「押し込めばいい」といった感じの担当者も多いので要注意です。Stuffing とはよく言ったものだと本気で思っていたらStaffing の間違いでした。紹介会社そのものより担当者によってあたりはずれが大きかったです。
髪の毛は薄くなり白髪は増え胃も痛む就職活動でしたが、最後はなんとか仕事をみつけられ皆様に感謝しています。今のT社の職場で充実した日々を過ごしていますが、将来10年、20年後を考えるとBig Pictureに照らし合わせた次の就職活動が今から始まっていると認識してしています。