私はかれこれ30年近く前にニューヨーク州郊外の全く周囲に日本人のいない小学校で教育を受けました。正確には、幼稚園の「年長」に相当する学年から小学校3年生までです。その後日本に戻り、東京都下の公立小学校に転入したのですが、人格形成の初期にアメリカで教育を受けた自分にとっては、日本の小学校は「不思議の国」でした。


また、『三つ子の魂百まで』という諺もあるように、幼いころの教育というのは大人になってからの行動を強く規定します。以下では、自分の逆カルチャーショック経験を紹介する中で、私なりに理解するアメリカ人にとっての「三つ子の魂」を紹介したいと思います。
内容については、1ドルが360円に固定されており(私の滞米中に変動相場制に切り替わりましたが)、ベトナム戦争も終結しておらず、オイルショックの前後、という時代のものであるという点をご了解下さい。また、時代の違いに加え、アメリカの場合、学区(School District)が違えば教育方針も異なるので、あくまでも、そういう時代の、東海岸の特定の地域における、私個人の(最近怪しい)記憶に基づく経験であるということを前提にしてお読み頂ければ幸いです。
Pledge of Allegiance と「日の丸・君が代」
I pledge allegiance to the flag of the United States of America and to the Republic for which it stands. One nation under God, indivisible, with Liberty and Justice for all.
私のいた小学校では、毎朝Pledge of Allegianceをクラス全員で唱和していました。私は当初”indivisible(不可分の、一体の)”というのを”invisible(透明)”だと思い込んでおり、「神様だから目に見えないのかな」と妙に納得してそのまましばらく間違えつづけていたのですが、その後毎朝復唱し、しかもクラス全員を前にして各節をリードする、という月代わりの当番まで担当したため、すっかり記憶に焼き付けられてしまいました。
当時の私にとっては、毎朝繰り返される挨拶代わりのもの、という以上の実感はありませんでしたが、後になって考えてみると、幼い私は、毎朝星条旗に向かい、直立不動の姿勢で胸に手を当ててこれを唱える事により、「連邦」「(キリスト教の)神」「共和制」といった、「人造国家」アメリカをまとめるもろもろの原理への忠誠を誓わされ、同時に「自由と平等を実現した偉大な国家」であるアメリカという国、そしてその象徴たる星条旗に対する誇りを持て、と教え込まれていたことになります。加えて、週に一回(このへん記憶があいまいですが)は「星条旗よ永遠なれ」も歌っていました。
これに対し、日本に戻ってみると、卒業式や運動会での「日の丸」掲揚・「君が代」斉唱を巡って大人が散々議論していました。私の転入した小学校では、日の丸掲揚も無く、君が代も一切歌っていなかったはずです。わけがわからないなりにも「星条旗のもとに皆団結しているんだ」という意識をすっかり植え付けられていた私は、日本ではなぜ「自分の国」を象徴するはずのものを腫れ物のように扱うのかな、と子供心にも不思議に思いました(ませたガキだったんです)。
もちろんアメリカ人の全てが幼い頃から「愛国心」を形成しているというのは言い過ぎです。大人になってから知ったところによると、「忠誠の誓い」も全国で義務付けられている訳ではなく、州や学区によっては行わないところもあるようですし、同じ学区、学校内でも教師によっては取り入れなかったり、外国人の生徒には免除している場合もあるようです。また、”under God” という部分については、「信教の自由」に反するので違憲ではないか、という論争も長年続いているので、「忠誠の誓い」も日本における「日の丸・君が代」同様、賛否両論にさらされているようです。
とはいえ、ベイエリアやマンハッタンといった「リベラル」な地域以外では、依然としてかなり多くのアメリカ人が「忠誠の誓い」を幼いころ経験しているのだと思います。例えばテキサスのような地域に行くと、アメリカに対する誇りが行き過ぎて、外国に対する関心を失っている人が多数います。また、ベイエリアのような比較的リベラルな地域においても、9月11日のテロ事件や現在のイラク侵攻といった国家的な事件に臨むと星条旗をシンボルに団結し、「敵」に当たろう、という動きが出ます。そういった行動の根底には、この「忠誠の誓い」という幼い頃からの儀式により叩き込まれた国家への帰属意識や誇りといったものがあるではないか、と思います。
「カウンセラー」と「外人イジメ」
私は親の転勤についてアメリカに住んでいたのですが、両親は日本人社会のわずらわしさを避けるためか日本人の全く住んでいない地域に敢えて住み、幼い私と妹をいきなり地元の学校に転入させました。学校では私と妹が唯二の外国人(後で友人になったイギリス人の少年はいましたが)だったのですが、幸いだったのが2人とも幼かったため、英語修得も早く、比較的スムーズにアメリカ社会に入り込めました。その過程で助けとなったのが、小学校に常駐していた「カウンセラー」という心理学の学位を持ったスタッフです。今でも覚えているのですが、週に一回、放課後にカウンセラー(Mrs. パリスという女性でした)と会い、ちゃんと溶け込めているか、英語は身に付いているか、といったことを聞かれ、問題があれば言う、という面談を行っていました。私の母も海外生活ははじめてだったので、時々相談に乗ってもらっていたようです。人種差別を受けた記憶もありません。せいぜい隣の家のお兄さんに「ジュードー」と「カラーテ」を教えろ、といわれたぐらいです。幼いことの利点でしょうか、一緒に遊んでいるうちに、周囲に溶け込んでいて、英語も身に付いていました。
ところが、日本に帰ってみると、まだ「帰国子女」という言葉も一般化していない時代だったので、学校側も私の扱いに困り、先生からも「とにかく周りと同じようにしなさい」といった以上の指導は受けませんでした。日本が初めての「外国」であった私のような子供に対し、もっと先生がいろいろ相談に乗ってくれれば良いのに、と思ったこともあります。たとえ子供であっても大人同様悩みや問題は抱えている、という前提で、対等に接しつつ生徒が自分で問題を解決できるようなアドバイスをしてくれるアメリカの小学校のカウンセラーが懐かしくなった記憶があります。結局「周りと同じ」にすることはできず、母国であるはずの日本で、アメリカで遭わなかった「外人イジメ」に遭う、という結果になりました。
「皆で同じ授業を受ける」ことの不思議
次は授業、試験、成績といった学校らしいものについてお話します。これも州、学区、学校あるいは学年によって違うのかもしれませんが、少なくとも私の通っていたニューヨーク州ウェストチェスター郡アーズレー村(!)の、Concord Road Schoolの3年生までは、いわゆる講義形式による授業というのは無かったように記憶しています。
国語(英語)、算数、理科といったような科目のそれぞれにつき、生徒が進度別にいくつかの小グループに分かれ、時々担任教師とのセッションを行うのですが、大部分の時間は、他のグループが教師とセッションを行っている横で、個人でアサインメントに取り組んでいました。各セッションの内容はまずはじめに「かけ算の考え方」といった教師の説明があり、それから前回のセッションで出されたアサインメントのレビューが行われたような記憶があります。アサインメントが終われば、担任に申し出て追加を貰うことも可能でしたが、私のように教室の片隅にある図書コーナーで手当りしだいに本を読んでいても何の文句も言われませんでした。家に持ち帰る宿題もたまには出ていたような記憶もありますが、やらなくても怒られはしなかったと思います。試験というのもあまりなく、スペリングの小テストがたまにあったぐらいです。成績も、小学校低学年のうちは、AやらBがつくのではなく、「良く努力しているか否か」についてのコメントがあった程度でした。全体的に、生徒の良いところを褒めて、伸ばそう、というアプローチであったような印象です。
そんな学校生活に慣れた状態で日本の小学校に入ったので、様々なことに驚かされました。皆が同じ内容を、同時に、同じ黒板を向いて、先生が個々の生徒の理解度を考慮することなしに話す、という形式で受けなければいけないこと。教科書を先に読み、自分で問題を解いて理解はしていても、皆と一緒に、山のように出されるドリルの類いを提出しなければ先生に怒られること。掛け算を、原理を理解することなしにひたすら九九を覚える、という形で学ぶこと。成績が皆と同じテストを受け、その点だけで付く事。皆が同じくランドセルを背負い、半そでに短パンという同じような格好で学校に行くこと。
これらから判断するに、アメリカでは小学校の段階から「人と違うこと」は当たり前で、むしろ奨励されているに対し、日本では「皆と同じ」であることが奨励されています。さらに、アメリカの教育は個性と多様性に富んだ人間を多数育成することにより、教育や所得の格差が広がるという「コスト」を払っても社会変革のスピードを高めようとしているのに対し、日本の教育は差のつかない、安定した社会を志向している、という傾向が小学校教育の段階からある、ということも可能です。
Show and Tellとプレゼンテーション能力
日本の小学校では、クラスの前で何か発表をし、質問に答えたり、といった経験はしたことがないのですが、アメリカの小学校では”Show and Tell”という時間がありました。これは私の周りのアメリカ人のほぼ全員が経験しており、全国的に行われているようです。「ピーナッツ」の漫画でも、ライナスがこの時間にカボチャ大王の話をして、失笑を買う、というものがあるので、アメリカ人にとってはきわめて身近な経験なのでしょう。
”Show and Tell”は、自分が飼っているペットなどを教室に持ち込み、それがどんな動物か、どんな生態か、といったことにつきプレゼンテーションを行い、質疑応答に応える、というものです。テーマや内容は自分で考えなければならず、ユニークであるほど誉められ、また同級生の受けも良かったように記憶しています。私は日本から持って来た5月人形の兜や鯉のぼりを用いるという「異文化アドバンテージ」を活用して大いに受けた記憶があります。
その後私は大人になってアメリカに戻り、ビジネススクールに入り、その後コンサルタントになったのですが、その時改めて、アメリカ人が人前で物怖じせず発言したり、実に自然にプレゼンテーションを行えるのは子供の頃から”Show and Tell”で訓練を受けているからだ、と実感しました。残念ながら、小学校の3年間だけしかその訓練を受けていない私のプレゼンテーション技術はやはりそれなりでしかありませんでした。
日本でも最近は”Show and Tell”のようなものを取り入れている小学校もあるのかもしれませんが、「人前で話す」、それも「人と違う」話をする、という経験をすることはほとんど無いのではないでしょうか。
おわりに
お読みになられた感想はいかがでしたか?お読みになられて、「ウチの子供の学校は違う」「自分は別の地域の小学校に行っていて、全く違う経験をした」「日本の学校でも、最近は帰国子女受け入れ態勢は向上している」といったコメントがございましたらnaotake@jtpa.orgまでお寄せ頂ければ幸いです。